五月晴れ、君は死す。

※自殺・病気・虐待に関する表現があります。ご注意ください。




『私、大人になる前に、どこか遠くに行きたいな。』



伊東さつき。享年16歳。

同じ高校の、同じクラスの、クラスでは遠くに座っていたけど家は隣の女。


ものすごく一般的な表現をすると、私の幼なじみ。



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朝、母親からさつきの訃報を聞き、私は表情を変えぬままいつも通り学校へ向かった。

教室に入ると案の定、皆が興奮冷めやらぬといった表情で騒いでおり、私が席に着いたとたん周囲を固められてしまう。


「ねえ、伊東さんって本当に死んじゃったの?!」

「柳生さんって仲良かったよね…?大丈夫?」

「大丈夫。てか、もう授業始まるから」


少し大きめの声で群衆を一蹴すると、皆びくりと怯えた表情をする。

どうした。人の死について言及する度胸はあるくせに、生きている人間の、しかも骨と皮だけで構成されたような細っこい女の何が怖いというのだ。

すごすごと自らの席へ戻っていく同級生たちを見送った後、私は無表情のまま授業の準備を始めた。



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伊東さつき。誕生日は5月12日。

『五月に生まれたからさつき。分かりやすいでしょう?』

そう言って、青く腫れた頬をさすりながら、さつきは優しく微笑んだ。


単純すぎるだろ、その理由は。

けれど私は、さつきという名前が嫌いではなかった。



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ホームルームでは謎の祈りの時間が設けられた。

さつきの机にはいつの間に誰が買ってきたのか、綺麗な白い花が生けられている。

小さい花が沢山集まって綺麗だが、名前は知らない。


さつきならきっと即答するのだろう。

道端に咲く雑草の花ですら、彼女はその名を知っていたのだから。



教室がしめやかな雰囲気であった以外は、いつも通りの学校生活を終えて帰路につく。

いつもさつきと帰っていた道。たまに寄ったコンビニ。おごってやったアイスと、お返しの手紙。


涙は出なかった。

実感がわかないからなのか、いずれこうなっていただろうという諦観によるものなのかは分からない。



「ただいま」

「あっ、おかえり凪ちゃん。学校、大丈夫だった?」

「うん。なんかお祈りとかしたけど、それ以外はいつも通り」


台所でせわしなく動いている母親の問いかけに、素っ気なくもきちんと返事をする。

私の家は田舎のよくある小ぶりな戸建てで、優しくてお節介な母親と、無口だが家族思いの父親とともに生活している。

ごく一般的な日本の家庭だ。

私が心臓病を患っており、おそらく20歳まで生きることができないことを除いては。



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伊東さつき。血液型は…覚えていない、たしかO型。

『凪ちゃんはA型だから、万が一のとき私のでも輸血できるんだよ!

もし凪ちゃんに何かあったら、私の血、全部あげる』


年相応に健康そうなさつきの体に流れる血は、私の病も治してくれそうだと、素直にそう思った。

私がさつきのよく発育した体をジロジロ眺めていると、さつきはきゃあっと演技じみた悲鳴を上げて胸を隠すようなしぐさをして見せる。


『えっち!今私の胸見てた!』

『いや、全体的に見てた。いいからだしてる』

『や、やっぱりえっちじゃん!』

『そういう意味じゃなくて…。私のガリガリよりマシじゃん?』


そう言ってちらりとシャツの襟をめくり、浮き出た鎖骨を見て嘲笑する。

私の体はまるで骸骨だ。鶏ガラとしても役目を果たしそうにない。

そんな私の頼りない細い骨を、さつきは今にも泣きそうな顔でそっとなぞった。


『凪ちゃん、細い』

『うん』

『…本当に、20歳まで生きられないの』

『分かんないよ。やぶ医者かもしんないし、明日死ぬかも』

『やめて!』


悲痛な叫びが、人気のない河川敷に響く。

気付くとさつきは、私を強く抱き締めていた。


おい、私より10cmは高い身長と、15kgは重いであろう体で、私にのしかかるな。折れる。

そう心では毒づいても、声には出せない。

さつきは泣いていた。

背中をさすると、あざか傷があったのか、たまにぴくりと体を跳ねさせる。


『凪ちゃんがいない人生なんていらない』

『…んなこと、言うなって』


さつきは私がいないと、いつも独りぼっちだった。

母親から暴力を受け、家から追い出され、次々と変わる父親には優しくされたり殴られたり性の対象として見られたり、大忙しの日々を送っていたが、やはり独りだった。


友達はいなかった。さつき自身が必要としなかった。

さつきは私だけで良かった。


ただ家が隣なだけのふたり。

すぐに病院や家のベッドから逃げ出す私と、母親に追い出されたさつきで、いつも手を握って体を寄せ合っていた。

最寄りの公園の遊具のなかで、ただひたすら、二人だけの世界へ、何もかもが違う世界へ行けないものかと願い続けていた。



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「…凪ちゃん、私たちも行こうか」

「いや、私一人で行く。そもそも呼ばれてないし、大勢で行ったら追い出されるっしょ」


さつきの葬式を隣町でやると聞き(本当は隣家の庭に忍び込んで、会話を盗み聞いていたのだが)、私は学校を休んでいるのに制服を着て、出かける準備をしている。

隣の伊東家で何があったか大体察している母親は、私のことを非常に心配していたが、父親が無言で制止してやっと諦めてくれたのか、小さくため息をついた。

父親はめそめそと泣く母親の肩を優しくさすったのち、私の前へ来てひざまずく。


「凪。さつきちゃんのこと、何もしてやれなくて本当にすまなかった」

「何それ、父さんは何も悪くないじゃん」


言葉通り、私の両親はさつきのために、様々なことを試みた。

児童相談所はあてにならなかったけど、さつきはよくうちに泊まりに来て、私の倍以上の飯を食っていた。

箸の持ち方はぐちゃぐちゃだし、物もよくこぼすけど、さつきはすべて自分で綺麗に片付ける。

そして子供にしてはやけに大人びた雰囲気で、両親に深々と頭を下げるさつきを見るのが、私はあまり好きではなかった。



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さつきが変わったのは、高校1年生の時、私が倒れた日からだった。

私が病院で生死の境をさまよっていた間、なんとさつきも自殺未遂で病院に運ばれていたというのだから、もう喜劇といって良いだろう。


病院を退院してから、さつきは何度も同じことを口にするようになった。


『凪ちゃん。私、凪ちゃんが死んじゃう前に死にたい』

『何言ってんの?どうせまた失敗するよ、あんた詰め甘いんだから』

『だって、凪ちゃんがいない世界なんて、想像するだけで死にたくなる』

『…でも首吊りやってから、あのババアますます陰湿になってんじゃん。下手な事すると殺されるよ』

『それでもいいよ。凪ちゃんが死ぬ前に死ねるなら』


パン!と大きな音を立て、さつきの頬をはたいた。

…つもりだったが、私の力が弱すぎて、べち、という何とも情けない音しか出ないまま、私の反撃は終わる。

さつきは、このクソ女は、どこまで自己中心的なのだ。


『…凪ちゃん』

『あんたが死んで誰も悲しまないと思うんだったら、大間違いだからね』

『…』


しかし、私にしてやれることはない。

私は20歳まで生きられない。彼女を連れて、病院にも暴力にも縛られない遠いどこかへ行くことが、私にはできない。


『…さつきぃー?』

『なぁに、凪ちゃん』

『死ぬときは、私にだけは言ってよ。覚悟すっからさ』

『…うん、わかった。ありがとう』



そして何か月かが経ち、『今日の夜、さよならします。凪ちゃん、愛してる。またね』という短いメールが送られた次の日の朝、私は母親からさつきの訃報を聞いた。

さつきの何人目かの父親が来る、前日だったそうだ。



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「じゃあ、行ってきます」

「終わったら電話してね。何かあっても、すぐに」

「分かったってば」


母親の車で葬儀場の近くまで送ってもらい、私は重い体をひきずって歩く。

もうこの体は長くない。

医者にはっきりと余命宣告を受けたことはないが、自分の体だからか、最近死期を感じてならないのだ。



体の中身は健康そのものなのに、表面をぼこぼこに傷めつけられたさつきと、

両親や待遇に恵まれ、幸せな生活を送っているのに、体の中はぼろぼろの私。


私たちは全く違っていたけれど、目指していた場所はいつも同じだった。



『二人で、どこか、遠いところへ。』



葬儀場が見える位置まで来た頃には息が乱れ、肩で呼吸をするほどになっていた。

これほどまで体力が衰えているとは思わなかったが、無事たどり着けてほっと胸をなでおろす。


葬儀場の様子をこっそり伺うと、明らかにむせび泣いている金髪プリンのババアがいる。さつきの母親だろう。



さつき、見えているか?

あんたの母親、あれだけさつきを殴って放置しておいて、あんなに泣いてるぞ。

本当はさつきのこと好きだったんだろうな。もう、どうでもいいけど。



暑くて寒くて眠くて吐き気がする。けれど、私はまだ生きている。

動けるうちに、さつきの手を取らねば。


ずるずると這いつくばる思いで、私は鉛のような足を動かして先へ進む。

周囲の葬儀屋の人間が私に気付き始め、さつきと同じ制服を着ていることから、さあこちらへとさつきの棺桶へと連れていかれる。

さつきの母親は案の定、私の存在に気付いた瞬間ヒステリーを起こし始めた。


「あんたが!あんたがさつきを見てあげなかったから!

さつきはあんなに優しくていい子だったのに!!」


…だ、そうだ。さつき。

私はあんたを守り切れなかったらしい。

そうさ。守るどころか、私はさつきの意思を尊重した。死んで良いよと、背中を押した。




ぼやけた視界のなか、何とか棺桶にたどり着く。

幸いにもふたはされておらず、真っ白い肌をしたさつきの手を掴む。


冷たいね。さつき。

さつきは、あんたの望んだ場所に行けた?

…そんなわけないね、まだそっちに私はいないんだから。




気付いた時には、固いアスファルトに転がっていた。

もう体は重力に逆らえないようだが、かろうじてスマートフォンの通話ボタンを押すことに成功する。

電話の先には母親がいる。もう何度倒れたか分からないから、無言でも電話さえすれば何が起きたか分かってくれるだろう。



さつき、すまん。あんたには私しかいないんだろうけど、私は両親に恩があるんだ。

あんたと心中はできないけど、もう近いうちにそっちに行くはずだから。



『あはは、いいよ。凪ちゃんは優しいからね』



地面に寝っ転がって空を見上げると、よく晴れた青空がとても綺麗だった。

さつきならきっと、私よりずっと多くの言葉でこの空を、美しいと表現したのだろう。



さつき。

私がこれまで出会った人のなかで、誰よりも繊細でもろかった人。

誰よりも死の意味を知り、それを願い、拒んだ人。


あんたの選択肢は最低だったけど、あんたがいる世界にこれから行けるなら、少しだけ死ぬのが怖くなくなったよ。



伊東さつき。

この世で一番のバカヤローで、私のたったひとりの友達。

享年16歳。

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