パキラと桜

私は一人だ。生まれてからずっと一人。

いや、物理的にはひとりじゃない。親や兄、遠方に住んでいる祖父母、クラスメイトの友人など、周りに人間はうじゃうじゃあふれている。



だけど、わたしは、ずっとひとりだ。



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違和感を覚えたのはいつ頃だろうか。


保育園に通っていた頃、土から這い出たミミズにみんなが飛び跳ね、慌てて砂をかけているのを見た時か。

道端で事切れていた小さなネズミを、土に埋めようと抱こうとした瞬間、母親に手を強くたたかれた時か。

一度だけ会ったことのある、私を誰とも分かっていなかったひいじいちゃんの葬式で、私一人が棺桶から少しだけ離れ、ハンカチを目に当てて泣くふりをしていた時か。


人の死。動物の死。植物の死。虫の死。

「死」に対する感情の大きさが死ぬ対象によって違うという点から、少なくとも人間にとって、生命の価値は同等ではないようだった。



私は一人だった。

校庭の隅に生えた、枯れてしまったシロツメクサたちを見て、泣いていた。


私はずっと一人だった。

隣のクラスの女の子が事故に遭って入院したと聞いて、可哀想だと泣けなかった。



命の重さは違うのだ。

それを理解できない私は、異常者なのだ。

だから私は、この世でずっとひとり。



---



時は流れ、私は20を迎えようとしていた。

高校を卒業してからは、近所の小さな事務所で秘書兼総務兼事務という、いわゆる雑用係として働いていた。


8時40分に出社し、事務所の窓を開けて空気を入れ替え、簡単に掃除をしておく。

ぱらぱらと出社してくる営業の男たちに挨拶しながら、窓際に置いてある植木鉢に水を吹きかける。


『パキラ』。私が片手で持ち上げられるほど小さいくせに、太い幹と立派な葉を持つ彼(彼女かもしれない)は、パキラという名の観葉植物らしい。

土が乾いていなかったので、今日は葉を濡らして水を与えてやる。裏側まで霧吹きすると、葉がみずみずしくぷるんと揺れて、思わず笑顔になる。


観葉植物と言われてこんな狭い場所に閉じ込められているが、彼が地上に足を下ろしたとき、どんな姿になるのだろう。

私が世話をせずとも力強く立ち続けるのか。それともやはり、一度この場に来てしまったからには、人の手が無ければ簡単に枯れてしまうのだろうか。



私がこの狭い箱のなかでもっとも生命力を感じる植木鉢を、優しく窓際に戻した後、毎朝レコーダーを流しているかのように繰り返される朝礼を聞き流して一日が始まる。



「寒田さん、××社の請求書、お願い」

「分かりました。午後一にはお渡しできるかと思います」

「さんきゅー」

「寒田くーん、コーヒー頂戴」

「はい」


雑用にはすっかり慣れた。

面倒くさい書類作成ばかり押し付けてくる営業にも、コーヒーすら自分で淹れられない部長にも、文句ひとつ言わない。何を言ったところで、私の仕事は変わらない。

そもそも仕事が与えられるだけ、幸せというものだ。


ちらりと窓際を見ると、陽の光に当たったパキラの立派な葉が、キラキラと揺れている。

今朝あげた水を吸い込み、この淀んだ小さな箱の空気を綺麗にしてくれているのだろうか。

それとも、我々のことなど考えもせず、必死にひたすらその生を全うしているのか。


何にせよ、彼は綺麗だ。この部屋の中で、一等綺麗だ。



「…寒田さん?コーヒー、こぼれそうです」

「え?あっ」


ふいに声をかけられ、条件反射でポットから手を離す。

部長の好きなカフェオレ(といってもただのスティックコーヒーだが)を入れたコップは、なみなみとお湯が入って今にもこぼれそうになっている。


やってしまった。

これでは味がかなり薄くなっているだろうから、また淹れ直さなくては。


小さくため息をつき、礼を言おうと顔を上げると、先ほど声をかけてくれた社員が、なぜか心配そうにこちらを見つめている。

彼女の名前は確か…かすが。春日桜だ。

春生まれ以外ありえないような名前をした彼女は、今年大学を卒業してこの事務所に入ってきたばかりの新人だ。


「大丈夫ですか?」

「すみません、ぼーっとしていて」


無駄にしてしまったコーヒーに申し訳なさを覚えつつ、シンクに流そうとコップに手をかけようとしたその時。


「待って!もったいないですよ!」

「え、でも…」

「もう一本入れちゃえば問題ないですって!」


そう言うや否や、彼女は部長のコップに新しいスティックをバサッと入れる。

唖然とする私をよそに、粉をマドラーで強引に溶かして、何と部長のコーヒーを一口飲んだ。


「ちょ、何してるんですか?!それ…」

「だってなみなみだと持って行きづらいし、怪しまれちゃいますよ。味もちょうどいいです!」


そう言いながらコップの縁を綺麗にティッシュで拭き、満面の笑みで渡してくる春日からは、何の悪意も感じ取れない。

…こういう人間なのだ。無神経で、後先考えず、他人の領域にぐいぐいと踏み込んでくる。それがきらっきらの善意だから、余計たちが悪い。


どうぞと差し出された、一見何の変哲もないいつもの部長のカフェオレを受け取りつつ、一応頭を下げて給湯室を出る。

新入社員の視線をびしびしと感じつつ、おそるおそる部長にコップを差し出す。


「…お待たせしました」

「おお、すまん」


いつもより丁寧に置いたコップを、部長はすかさず手に取る。

反応を見ずに済むようすぐ自分の席に帰ろうとすると、それを待たずして部長が声をあげた。


「お?これ、いつもの奴か?」

「…あ、えっと」


やばい。やばいやばい。体が硬直して動かなくなる。

何と返せばいいのかわからず、とりあえず振り向いて部長を見ると、なぜか彼は嬉しそうに微笑んでいた。


「いつもより美味しい気がするんだが、気のせいか?」

「…今日は、少し濃く入れました」

「そうか!やっぱりか、俺の舌は間違ってなかった」


満足げに笑う部長を見て、凍り付いていた体に血が巡る。

ぺこりと小さくお辞儀をしてお盆を抱え、給湯室へ戻ろうとすると、にこにこしながら春日が近づいてきた。


「あ、か、春日さん、ありがとうござ…」

「しーっ!内緒ですよ!良かったですね!」


あくまで小さな声で彼女はささやく。

私だけに見せた、小悪魔めいたその笑顔は、何かに似ていた。


(…何だったかな。あの顔)


一瞬考えたのち、午後までに作成しなければならない請求書のことを思い出し、すぐデスクに戻る。

××社の請求書は値引きや特別価格の処理が面倒くさいのだ。早く済ませてしまわねば、私の昼休憩が潰れてしまう。

ふう、と小さくため息をついた後、相手にされずすねたように冷え切っていたパソコンを叩き起こし、ブルーライトカット眼鏡をかけ、いつもの単調な請求書作成を始めた。



---



春日桜の笑顔が何に似ているか思い出したのは、その一週間後だった。


事務所からほとんど出ない私が、珍しく朝いちで郵便局に行っていた間に、事は起きていた。

普段とは違う事務所内の雰囲気を外から感じつつ、入り口を開けて「戻りました」と小さい声でつぶやくと、一か所に集まっていた人間たちが一斉にこちらを向く。


どうしたというのだ。なぜ皆、資料棚の前に集まっているのか。

…いや、違う。資料棚ではない。集団ができているのは、その前の、窓際の。


「かっ、寒田さん、ごめんなさい…」

「…えぇ、」


彼がいなかった。

いつも、お世話していたパキラが。窓際にいつでもいて、凛々しく自らの生を全うしていたパキラがいない。


春日桜が今にも泣きそうな顔でこちらを見ているが、それよりも彼女が手にしているビニール袋のほうが先に目に入った。

手に持っていた領収書の類を乱雑にデスクに置き、無表情をよそおって半透明のビニール袋に近づく。

無言で春日桜からビニール袋を奪い、中を見る。


「…」

「ごめんなさい、今日、寒田さん忙しそうでお水あげてなかったみたいだったから、私、あの…」

「今日は土は乾いていませんでしたし、雨も降っていて湿度が高いので、葉水も必要ないかと思い、何もしていなかったんです」

「あ、あ、ごめんなさい、すみません…」


少し湿った新聞紙が、何かを隠すようにかぶさっている。

おそるおそるかき分けると、幹がぽっきりと折れた彼の姿があった。

…いや、一部だ。葉がない。ここにあるのは湿った土と、パキラの根だけだ。


「葉っぱや、幹はどちらにありますか」

「…土は可燃ごみで捨てられないから、こっちに移したんだよ」

「可燃ごみ?!」


吐き捨てるようにつぶやいた営業の男を、思わず睨め付ける。


「この木は折れただけでは死にません!差し木をすれば…」

「まあまあ、寒田くん。そんなに大きくなかったし、また買い直そう。今度はもっと立派な、簡単には折れないものにしようか」

「部長、そんな言い方…」



皆の喧騒が遠くに聞こえていた。

今日は可燃ごみの日だった。私がいつも朝捨てていたのに、今日は朝いちで郵便局の予定だったから、確認していなかった。

確かもう、帰ってきた時には、廊下に溜められていたごみの山はなくなっていて。

つまり、そういうことだ。



今ここにあるパキラの、弱々しい根と、絡みついた土が、彼の最期の姿だということ。

あのみずみずしい、私の毎日を少し優しくしてくれる、パキラはもういないのだ。



「あ、」

「寒田さん、何も泣かなくても…」



誰かの声が聞こえ、私の手の甲に水滴が落ちて、やっと私は自分が涙を流しているということに気付いた。

悲しい。寂しい。つらい。やりきれない。

私の脳みそにある薄っぺらい辞書から、思いつく限りの感情を連ねても、この涙の理由には名前が付けられなかった。


ああ、いや。分かった。喪失感だ。

何よりも大好きだった、心の支えだった彼を、私は失った。



「寒田さん、ごめんなさい…。私が落として折れちゃったんです」


震え声がすぐ近くから聞こえる。恐らく、春日桜だ。


「なあ、寒田さん。春日ちゃんも悪気があったわけじゃないんだし、そんなに責めてやるなって」


私がいつ、春日桜を責めたというのだ。


「寒田さん、寒田さん…」


気付くと春日桜は私の真横にいて、今にも私の手を握ろうと手を伸ばしていた。

反射的に飛びのき、彼女の顔をまじまじと見る。

ずいぶん前から泣いていたのだろう、薄化粧はすっかり落ち、目元が真っ赤に腫れていた。



お前が、泣くな。

パキラを失った私の涙と、自身の失態によって人を泣かせてしまったお前の涙では、重さが違うだろうが。


…そうだ。全ての重さは違うのだ。

私にとってのパキラの命の重さ。ここにいる全員にとっての、ただの観葉植物の命の重さ。

愛していたものを失った涙。同僚を傷つけてしまった涙。


同じ質量、同じ材質、同じ見た目でも、すべて、重さは違う。



「…すみません。取り乱しました。こちらの土は、回収業者に依頼しておきます」

「寒田さん…本当にすみません」

「いえ、わざとではないなら、大丈夫です」


あごに溜まった水分を乱雑に拭き、私はすっと立ち上がった。

私が歩き始めると、まるでモーゼが通るかように皆が私をさっと避ける。

手についた土を流し、支払ってきた税金の領収書を整理し、パキラの根と土を綺麗にわけ、私の午前は終わった。



---



いつもお昼は、解放されているビルの屋上で、持参した弁当かコンビニのおにぎりを食べていた。

今日に限っては皆気まずかったのか、屋上には他社の社員と思われる人物しかおらず、私は少し安堵しつつ定位置のベンチに腰掛ける。

朝降っていた雨はいつの間にかやんでおり、空にはたくさんの白い雲と青い空の色が混じり合っていた。



「寒田さん」


ふいにかけられた声。

少し予想していたが、やはり、春日桜だった。


「もう気にしてませんから」

「そうじゃなくて。…いや、謝りたい気持ちはありますけど、それが目的じゃないんです」


深刻そうな顔をして、春日桜は私の前に立つ。


「寒田さんにとって、あの木は…」

「パキラです」

「…パキラ、さんは、どんな存在だったんでしょうか」


ぽろ、と箸でつかんでいたブロッコリーが弁当箱にこぼれた。

春日桜の顔を見上げる。

彼女の顔は至極真剣で、とても冗談を言っているようには思えない。


「存在、ですか」

「はい。すごく特別にお世話をしてあげていましたし」

「お世話…私はただ、彼が一生懸命生きているのを、お手伝いしていただけです」

「彼?」


つい漏れ出た自分の言葉にハッとなる。

木のことを擬人化して、まるで恋人のように浸っていたつもりはない。

ただ生きているパキラを尊敬していた、好きだっただけなのに、勘違いされたのではないかと恥ずかしくなり、つい顔を下に向ける。


「…あの木のことです」

「あ、パキラさんですよね」

「…馬鹿にしにきたなら帰って下さい」


あからさまな”さん”付けについ毒づいてしまったが、春日桜は動かなかった。


「私、寒田さんのこと尊敬してたんです。私より年下なのにしっかりしてて、上司とか営業の嫌なお願いもきっちりこなして。ずっと涼しい顔して仕事してる寒田さんが、パキラさんの手入れをしている時だけはすごく幸せそうでした」

「…そんなに、違いましたか」

「別人でした」


そこまで見られていたと思わず、私はますます恥ずかしくなって猫背になる。


「だから今日…寒田さんが忙しそうで、朝一で出て行っちゃったから、私がお手入れしようと思ったら…」

「…重いでしょう、持つと意外と。土は水を含んでいますし、見た目よりだいぶ重量があるんです」

「そう、です。だから、私よろけてしまって…本当にすみませんでした」


私より年上の春日桜が、頭を深々と下げる様子を見ていると、何だかバカバカしくなってきた。

はあ、とため息をついた後、頭を上げてくださいと呟く。


「…私、命の重さが分からないんです」

「命の、おもさ」


どうして春日桜にこの話題を話してしまったのだろう。

唐突に始まった私の話に、彼女はただ私の言葉を繰り返した。

ゆっくりとした動作で弁当箱を閉め、ベンチの横を開けると、春日桜は遠慮がちに隣に座った。


「私の命。春日さんの命。部長の命。さっき食べた鮭の命。…パキラの命。全て同じに見えます」

「…」

「おかしいでしょう。みんな人間が死んだらつらいんです。身内でも何でもない他人でも、人間や近しい動物が死ぬと悲しむのに、小さな魚や植物の命が消えても、人の心は大きく動かない。それが普通なの」

「…おかしいなんて、そんな」

「だから、私はおかしいんです。他の人とは違う、変な生き物なんです」


自分の中で巣くっていた感情は、一度口に出してしまえばわりに単純なものだった。

私は頭が少しおかしいのだ。

普通とは違っていて、変で、だから一人なのは当然のことだった。


「寒田さん、」

「パキラが死んじゃった。この事務所で一番好きだったのに。パキラ、死んじゃった」

「あ、か、寒田さ…」

「あぁ、うぁあ、あああぅ…ぐ、うぇ…」


およそ20手前の女性とは思えないような泣き方だったと思う。

けれど、ずっと大切にしていた、私をこの箱の中で生かしてくれていた、強くて凛々しいパキラは、もうこの世にいない。

そう思うと涙と鼻水が次々に零れ落ち、私の弁当箱にぼたぼたと溜まっていく。




悲しい。寂しい。やりきれない。悔しい。


ただの木に、話もできない、意思疎通さえかなわない相手に、どうして私はこんなにも。


心にぽっかりと空いた穴にすうすうと風が入り、怖くて寒くて、涙が出た。




「寒田さん」


突然手を握られ、反射的に私はそれを振り払う。

ハッと横を向くと、ひどく真剣な顔をした春日桜が、払われた手をそのままにこちらをまっすぐ見つめていた。


「寒田さんは正しいです。命に対して真摯に向き合っているだけです」

「…命は、不平等です。人の命は重いんです、この世界では」

「みんながそう思い込んでいるだけです。もしくは、みんながそう思っていると、寒田さんが思い込んでいるだけ」


入れ子のような春日桜の言葉が、混乱しているためか頭の中でぐるぐると回り、うまく理解できない。

その様子を彼女は悟ったようで、聖母のように優しい微笑みを浮かべ、壊れ物に触れるかのように丁寧な手つきで私の手を取った。


「寒田さんはとても敏感で、優しくて、まっすぐな方なんですね」

「…知りません」

「私、こんなにきれいな人、初めて見ました」


そう呟くと、春日桜はそっと手を離す。

前を向いて自分の手のひらを合わせ、目をつむって何かを呟いているようだったが、聞こえないどころか口の動きすらほとんどない。


何十秒かした後、春日桜はそっと目を開き、空を見上げた。

つぅっと一筋の雫が彼女の頬を伝ったことを、私はどう受け止めたら良いのか分からなかった。


「…謝りました、パキラさんに」


私を見ず、ただ空を見てそう呟いた春日桜が、何に似ていたのかようやくわかった。

ただ一生懸命今を生きている、私が見てきた色々な動植物。パキラも含め、彼女は何を気にすることもなく、ただ生きて、私を救ってくれていたのだ。


彼女の表情はいつだって綺麗だった。それは他人のために向けられた顔ではなく、自分自身をそのまま表していたからかもしれない。


「…何か、言っていましたか」

「さあ、わかりません。私に植物の声は聞こえないから。寒田さんは聞こえるんですか?」

「いいえ、私も何も」


そう言った後、思わずふっと笑みをこぼしてしまった自分に、驚いた。



私は一人だ。

春日桜も、一人。パキラも、他の誰も、皆一人なのだ。



そして春日桜は、一人だということを自覚していようがいまいが、必死に生きている。

その姿は今見えているどの命よりも、輝いて見えた。



---



あの日から、数週間がたった。

パキラがいた場所には、全く違う種類の植物が元気に葉を揺らしている。


「その子はなんていう名前なんですか?」


私がサンスベリアの葉を撫でていると、後ろから人懐っこい声が聞こえた。

手を止めて振り返り、春日桜が向ける笑顔に、かすかな笑みを返す。


「サンスベリアです。乾燥に強いので、まだお水はあげなくて大丈夫ですよ」

「だいじょーぶですって!お世話はもう寒田さんにお任せするって決めましたしー」


ぷう、と頬を膨らませつつ、春日桜はサンスベリアに近づく。

空へ向かってまっすぐ伸びたサンスベリアの力強い葉を、春日桜はそっと優しく撫でた。


「今は何をしてたんですか?」

「葉っぱに埃がたまってしまうので、綺麗にしていました」

「ほんとだ、つやつや」


春日桜は、うっとりとした瞳でサンスベリアを見つめる。

それに気づいたのか、サンスベリアはさらに力強く、ぴん!と葉を伸ばしたように感じた。




パキラがいなくなった日から少しして、すぐに別の観葉植物が窓辺に飾られた。

サンスベリアは剣のように鋭い葉がまっすぐ上に伸びているのが特徴の植物で、パキラとはまた違った力強さを持つ植物だ。


美しい。

誰のためでもなくただひたすら生き抜こうとするこの命は、美しい。



サンスベリアを手入れしながら、ちらりと横を盗み見る。

春に生まれたとしか思えない名前をした彼女は、いつものようにきらきらとした瞳で私の手先をじっと見つめる。



…一つ、ここ最近起きた事によって、変化した認識がある。

命は平等だが、人によってその重さや価値は大きく変化してしまう。それは違いない。


その理由は、愛の形なのではないだろうか。

私はパキラを愛していた。同じように人々は、自身の愛する人やものの命の無事を、必死に祈っている。ただ、それだけなのかもしれない。


人と動植物の意思疎通が難しいように、人と人さえも気持ちを通じ合わせることは不可能に近い。



けれど、たとえ一人だとしても、私はあの日失ったパキラと、彼のために泣いた春日桜の美しい涙を忘れない。

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