どう見たってこれ人じゃないでしょ

 走りながら、俺は彼女と話をすることになってしまった。

 今日は非番だったから、日帰り旅行のつもりでニセコまで来たこと。

 家に帰る途中で彼女をたまたま見つけたこと。


「矢賀さん、やっぱり車がお好きなんですね。良かった。通りかかってくれて」

「まあなあ。冬の峠を走るのが好きなんだよな」


 かくいうお前はなんなんだ。

 と、聞きたくて聞きたくて仕方なかったが、何が相手を刺激するか分からない。

 バックミラーをチラリと覗くと、鈴木は上手いこと車の外に顔を向けていて、顔が見えない。

 あまりよそ見をするとこちらが事故を起こしてしまいそうになるので、それ以上探るのをやめた。


「そういう鈴木ちゃんはどうしてあんなところに?」

「スキー旅行の途中にわたっ……」


 わた? わた、なに? 私? 今私って言おうとしたか?


「今なんて?」

「お祖母ちゃんが倒れたって聞いて慌てて引き返していたところだったんです……」

「そりゃあ大変だ。家まで送っていこうか」


 と言って家まで送ると娘は死にましたってパターンか?

 良いぞ、もういい。できた。はいできました心の準備。


「い、いえ悪いです! 家は札幌の方ですよ! 矢賀さんのお家と逆方向になっちゃうじゃないですか。峠の下の町までで十分です」

「だけど……」

「いえいえいえいえ! 大丈夫ですから! 交番か何かに送ってもらったら!」


 おっとそうじゃない。

 さてパターンが読めないぞ。


『次の道を左です。その先、道なりに30km直進』


 カーナビだ。

 

「30kmって遠いですね……」

「車ならすぐだ。この天気じゃネズミ捕りも何もないし……」


 むしろ警察が居てくれればそれはそれで楽だ。

 見慣れた二股の道路が見えてくる。


「よかった。じゃあもうすぐ町なんですね……ここを曲がれば……」

「あっ、やべっ」


 俺は、その曲がり角の前で車を停めた。


「……違う」

「どうしたんですか?」

「違う。カーナビの表示が少しだけずれている。調子が悪いのか。二股路の手前じゃなくて、二股路で曲がらなきゃダメだ。元の道に戻っちまう」

「あ、あれ? そうなんですか!? てっきりここを曲がるものだとばっかり。ほらカーナビも……あれ?」


 カーナビはもう少し先の二股路での進路を指し示している。

 

「カーナビもちょっと調子悪いのかもな」

「…………っ」


 今舌打ちしなかったか?

 今小さく『っ』って聞こえたぞ?

 いやそれはないだろうないないないあり得ない。

 俺は正しく表記されたカーナビのルートに沿って、いつもの道を走り出す。

 気のせいだろうか、後ろから妙な圧迫感があるような。まずいのか、不機嫌なのか、お前のミスだろ、自分の機嫌は自分でとれ、幽霊なのに俺に気を遣わせるんじゃない。


「そ、そういや腹減ってない? 缶コーヒーとチョコくらいしかないけど」


 ポテチはさっきの急ブレーキで悲しいことになったが、深夜のおやつはまだあった。


「わぁ、ありがとうございます。寒かったので助かります!」

「だいぶぬるくなっちゃってるけどね、ほら」


 そう言って缶コーヒーを渡そうとした時、嫌な湿り気を帯びたゴムのような感触が俺の左手を包んだ。


「うわっ!?」

「きゃっ!」


 ハンドルが思わず乱れ、自慢の愛車が狭い道路を蛇行する。無闇矢鱈と優秀な四駆SUVなので勿論無事だったが、正直生きた心地がしない。


「ご、ご、ごめん。大丈夫か?」

「どうしたんですか矢賀さん?」

「いや、手が冷たくてびっくりした。悪い」

「あ、ごめんなさい。手袋が雪でぐちゃぐちゃになったままだったのにそのまま缶コーヒーもらっちゃったから……冷たくなってたんですね~」


 くちゃっ、べたっ、妙な音が運転席の背後、後部座席のフロアマットの上で鳴る。


「せっかくもらったコーヒーを落としちゃうところでしたよ。危なかった」

「お、おう」


 ……なに?

 幽霊? 幽霊だろこれやっぱり。手袋が雪で濡れたとかじゃない。

 もう水、氷水だったもん。氷水が俺の左手に触ってたよ。

 本当になんなんだよもう俺を騙すならもっと上手く騙してくれよ、最悪じゃん。


「……ああ、美味しかった。ありがとうございました」

「チョコはいらない?」

「深夜なのでやめておきます。太っちゃいますから」


 子供っぽい笑い声だが、どこか作り物っぽい。


「そ、そうか」

「食べ過ぎは良くないでしょう?」


 お、俺を食うのか?

 食えるのか? こいつがなんだとしても間抜けすぎる。

 人間じゃないかも、いや十中八九人間じゃないが、それにしたってこいつになにかできるとは思えない。

 けど機嫌を損ねたら何をされるか分からない。

 分からない。早く、早く、早く町に。


「あっ、見てください。明かり」


 下り道の終わり、ポツポツと並ぶ民家、農家の納屋、遠くには街の灯が見える。

 帰れる? 帰れるのか?


「良かったあ。電話は通じないけど他の人達はいますよね」

「だな。もうちょっと行けばコンビニ……セイコーマートがある。日付が変わるまでは開いているから寄っていって助けてもらおう」


 助けてくれ。誰か俺を助けてくれ。

 助けてくれ。もう限界だ。

 絶対に後部座席になにか居る。

 そうだ。押し付けよう。コンビニ店員に押し付けよう。この得体の知れないやつをそこで降ろして、それでバイバイだ。

 コンビニが近づいてきた。駐車場に車を停める。


「あっ、待って。ここまでで良いので」

「すぐ店員さんに話してくるから!」


 俺は慌てて車を降りる。見覚えのある店員の顔が外からも見える。


「た、たすけてくれ!」


 そう言って店の中に入ってきた俺は完全に不審者だった。


「お、お客様……」


 店員は、何故か俺の手を凝視する。

 釣られて見てみると、俺の左手にはほんの少しだけ赤い血がついていた。

 あの女の手が触れた場所だ。

 駆けつけた警官は俺を逮捕した。

 理由は簡単だ――俺の車の後部座席には死体が乗っていたからだ。

 そうさ、俺はあの子を殺したんだ。轢き殺したんだ。

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