エピローグ

「美晴……僕は……」


 恭太郎は、香澄を殺したのは美晴という結論に達した。葉子は犯行を目撃してしまったために口封じされた。不運が不運を呼んで、恭太郎と美晴以外の全員が死亡する凄惨な事件にまで発展してしまったが、美晴は予想以上の混乱に乗じて犯人をチョコに被せることに成功し、ほくそ笑んでいるに違いない。なにしろ、無実を主張するはずのチョコは、もういないのだから。

 真実を看破された美晴が、どのように対処するのか確かめなければならなかった。それが自分の責任である気がした。彼女の意思を確かめたいのに、なにを言えば良いのか、皆目見当がつかない。すぐ隣に座っている彼女の顔をまともに見ることができない。


「恭太郎……」


 沈黙を破ったのは、美晴の方だった。警察を、孝之たちを、恭太郎を、すべてを欺こうとした美晴の声は、光沢を放つ陶器のように滑らかだった。


「約束、覚えてる?」


 美晴が放った一言は、恭太郎の記憶の葉脈にまともに突き刺さった。

 彼女は約束としか言っていないが、どれを指したものなのかは考えずともわかった。遠い日に交わした約束。恭太郎の能力は、誰にも秘密にするというものだ。

 能力のことに触れなくても可能性を示唆すれば、警察ならば真相を暴けるかも知れない。しかし、そうではない。そういう問題ではない。美晴は約束を持ち出すことで、沈黙を守れと迫っているのだ。


「恭太郎は、私を守ってくれるって言ったよね?」


 美晴は細い小指を差し出してきた。絶対に破らない約束、いや、破った際には然るべき報復も覚悟せよと迫る、彼女の意思表示だ。冷ややかさと熱さが綯交ぜになった瞳で、じっと恭太郎を見つめる。恭太郎は射竦められて心も体も硬直してしまった。

 心臓が大きく鼓動し、息が苦しくなる。平衡覚が崩れ、眩暈にも似た感覚に襲われる。視界が揺れて、思考能力さえ覚束なくなる。

 なぜか子供の頃に見たテレビを思い出した。ビルとビルの間に張ったロープの綱渡りをするという内容だ。挑戦した人は、始める前は愛想よく笑顔を振りまいていたが、いざ一歩を踏み出したと同時に、同一人物とは思えないほど表情が引き締まっていた。今の自分と同じで、精神力を維持できずに己を失いそうな怖さと闘っていたのだろうか。

 美晴は自首などしないし、犯行を認めもしないだろう。今、改めて約束を交わしたところで、それがなんの保証になるのだ。彼女は、いとも容易く葉子の命を刈り取ってしまった。邪魔者は排除する。それが彼女の基本理念だ。秘密を共有する自分は、果たして邪魔者ではなくなるのか。排除すべき標的から外れるのか。

 美晴は指切りのポーズのまま動かないでいる。彼女の小指に自分の小指を絡めるか、それとも拒否するか。もうしばらく熟考する必要があった。

 恭太郎は様々な思いを閉じ込めた息を大きく吐き、天を仰いだ。


〈了〉 

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祝福された者の約束 雪方麻耶 @yukikata

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