第43話 心の鎖

 今日は昨日より暖かかった。日陰は芯まで凍る寒さだったが、風が吹いていないこともあり、日向はストーブから程よく離れている所に座っているみたいに気持ち良い。

 時刻は午後の四時。場所は恭太郎が真相に行き着いた公園。遊んでいる子供たちが、日暮れと共に帰宅する時間を選んだ。

 今、恭太郎は美晴と二人でベンチに座っていた。あの日のカップルのように。

 黄昏時を選んだのは、なるべく周囲に人がいない方が良いと思ったからだ。話が終わった時、どのような状況になっているのか予想がつかない。

 緊張している恭太郎に対して、美晴は別段変わったところはなかった。


「でも良かった。恭太郎が逮捕されなくて」

「良かった?」


 あの一件以来、ゆっくり会うのは今日が初めてだった。二人は重要参考人として、頻繁に警察が接触してきたし、マスコミ関係者もしつこく追い回していた。しかし、そんなものがなくても、少し距離を置いていたに違いない。奥底につかえた疑問や不安が、二人の間に溝を作っていた。もっとも、そう思い込んでいたのは恭太郎だけだったのだが。

 恭太郎の反応に、美晴は意外そうに首を傾げた。


「だって、そうでしょ? あれは絶対に正当防衛だった。チョコのことは庇ってくれて嬉しかったけど、私がやったとバレても、緊急回避を主張するつもりだった」

「美晴……」

「そうしなければ、恭太郎が殺されていたかも知れないんだから」

「美晴……」

「どうしたの? なんか顔色悪いよ」


 恭太郎の緊張が、やっと美晴に伝わった。機を逸してはならないが、言葉が喉に引っ掛かって、滑稽なくらい声が掠れてしまった。


「……森の中で僕が見たのは、葉子じゃなくて千都留だったんだろ?」


 否定してくれ。笑い飛ばしてくれと願ったが、美晴はなにも言わなかった。なにもない正面の空間を見つめている。その沈黙こそが、雄弁に語る回答になっていた。

 セーターの模様の違いなんか、男にはわからない。あのカップルの男性が言った何気ない一言がきっかけとなった。

 新井という刑事には、なにか勘違いしていないかと問い質したが、やはり警察はそんなミスはしていなかった。勘違いしていたのは、自分の方だった。

 あの時見た映像は、千都留が殺されたの時の彼女の視界だった。チョコに撃ち殺され、その後、チョコ本人からガムに電話が架かってきた時のものだったのだ。

 似ている服を着て、頭部がほとんど潰れていた状態だったので、それに気づけなかった。そんな細工が施されているなんて考えもしなかったことも、恭太郎を思考の迷路に誘う一因になっていたのだろう。

 なぜ、千都留の死体へと誘導したのかは訊かなかった。それを訊いてしまったら、決定的な言葉で胸を貫かれてしまう予感がしたからだ。そして、その予感はほとんど確信に近い揺るぎなさで、恭太郎の気持ちを重たく沈めている。彼の推理は、芋づる式に絶望を掘り当てた。一つの確信を得たら、次の確信へと繋がり、端を発した香澄殺害の犯人にまで辿り着いた。

 どんな理由があって、美晴は千都留と葉子の死体を誤認させたのか。答えは一つしかない。彼女は恭太郎に能力を使わせたかったのだ。幼少の頃から一緒で、彼の性格を知り尽くした美晴は、葉子の死因を探ろうとするに違いないと確信があった。しかし、あれは葉子ではなく、千都留の死体だったのだ。

 当然、ニアは千都留が殺された時の映像となり、それを恭太郎は葉子の死に際の視界と思い込んでしまった。つまり、現場の状況や恭太郎と美晴の供述により、チョコが銃殺したとされたが、葉子を殺した犯人は未だ不明のままなのである。

 やったのは美晴だ。彼女が葉子の頭部を徹底的に破壊した。恭太郎には千都留の遺体を葉子と偽って追体験させることで、チョコを犯人に仕立てたのだ。

 そんなことをする理由は一つしかない。美晴は葉子の口を封じたのだ。香澄を殺した犯人は、美晴だった。

 トランプでゲームに興じていた時、香澄は「シュード」と言っていた。あの時はなにを言いかけたのかわからなかったが、美晴たちのグループの全容が見えてくると、答えはすぐに見つかった。香澄はこう言いたかったのだ。「シュードラ」と。

 シュードラとはヒンドゥー教における第四位の身分であり、隷属民を表す。彼女たちの間では、カースト制度が設けられており、その影響力は絶大だった。恭太郎が初めから抱いていた違和感は、彼女らの中だけで通用する身分制度が滲み出ていたからだった。一度嵌ってしまうと、物理的な拘束はないのに、精神的に縛り上げられ、逆らうことも逃げ出すこともできなくなってしまう。

 美晴と葉子は、サークルの中では、特に香澄に対してはシュードラの身分にあり、ずっと不条理な扱いに我慢し続けていた。数時間を共に過ごしただけの恭太郎が、あれほどのストレスを感じたのだから、美晴たちがどのような環境にあったのかは、想像に難くない。

 旅行に参加せざるを得なかった美晴は、恭太郎を連れていくことで、香澄たちに対する抑止力にしようと考えたのではないだろうか。それとも、外部から新しい風を入れて、歪な関係を清算したかったのかも知れない。美晴の目論み通り、恭太郎の存在は彼女たちの箍となって、露骨な嫌がらせやいびりを抑えた。所詮、苛めをする連中など、群れを成さなければなにもできない仔羊だ。香澄に突っ掛かったり、途中で退去しようとした恭太郎に、彼女らはさぞかし興醒めしたことだろう。

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