第41話 残る疑問

 空が蒼かった。恭太郎は自宅の近所にある公園に来ていた。程々の敷地があり、遊具が置かれている区域より、芝と木々が生育されている広場の方が大きな割合を占める公園なので、子供だけではなく大人も訪れる憩いの場だ。

 冬の朝は空気が澄んでいる。雲一つない、まさに抜けるような青空で、眺めているとどこか遠くに行きたくなる。広大で旅情を促す空だった。

 一画に設置されているベンチに腰を下ろした。息を吐くと、白い蒸気が宙に溶けてあっという間に見えなくなる。遠慮なく浸透してくる寒さを少しでも凌ごうと、恭太郎は両手をコートのポケットに突っ込んだ。

 あの惨劇から三ヶ月が経過した。年も明けて、新しい一年がスタートしたばかりだ。まだ次の仕事に就いていないので、そこそこ暇のある毎日となっている。

 事件当時は、死者の数の多さと、そうなるに至った経緯の複雑さから、世間をおおいに騒がせた。あまりの騒然振りに、恭太郎は自分とは関係ない話ではないかと錯覚したほどだ。若者だけの集まりの中に、強盗事件を起こした犯人が押し掛けたという状況も、人々の好奇心を刺激し、マスコミは生き残った恭太郎と美晴を悲劇の主人公のように書き立て、これもやたらとウケがよかった。

 有罪を覚悟していた恭太郎だったが、信じられないことに不起訴で釈放された。取り調べのために二十日間拘束されたものの、無罪が確定すると放り投げられるように自宅に帰された。嬉しいはずなのに湧き上がるものはなにもなく、複雑な気分だった。

 ガムとチョコの二人は、恭太郎たちと接触する前に強盗事件を発生させていたこと、加えて別荘に集まった学生五人を殺害した犯人として、凶悪性が強調された。

 恭太郎の行為は、自らの生命を守るための緊急回避として認知され、正当防衛が成立しての不起訴処分だった。

 休暇を楽しんでいたところに、いきなり強盗犯に押し掛けられ、事件に巻き込まれた恭太郎たちに同情的だった世間の声も、恭太郎に運が傾いた要因の一つだった。

 一躍注目と好奇の的となった恭太郎だったが、日々が繰り返され時が流れると共に、間断なく発生する事件に埋もれていった。世間やマスコミからしてみれば、既に賞味期限が切れた数多の事件の中の一つに過ぎなくなっていた。

 ようやく取り戻した何気ない日常は、この上なくありがたかった。もう、なにも問題はない。ないはずだ。だが、恭太郎の胸の奥には、納得できない点がいくつも残っていた。それは、抽斗の奥で溶けてくっついてしまった輪ゴムのように、擦っても擦っても取れず、しつこくこびりついていた。

 思い返してみるに、あの悪夢のような出来事には、色々と納得がいかない点があった。難易度が高いゲームを、チートなmodを入れて無理やりクリアしたような、モヤモヤした歪さの残滓が頭から離れないのだ。

 恭太郎が疑問を持つきっかけとなったのは、彼を担当した新井あらいという取調官の質問だった。


「兎川葉子の頭が叩き潰されていたことについて、なにか心当たりはないか?」

「え?」

「兎川葉子だ。あそこまで徹底的に破壊するなんて尋常じゃない。軟禁中に特に恨みを買うような行為をしたのか?」


 彼女の悲惨な亡骸を思い出し、目をきつく瞑った。だが、そのせいで映像で見た光景が、はっきりと脳裏に甦ってしまった。チョコが葉子を撃ち殺す、壮絶な瞬間だ。


「……いえ、あれは散弾銃で撃たれたから、ああなったんです。恨みとかでは……」


 新井は恭太郎の言葉を、苛立たしげに遮った。


「違う。散弾銃で撃たれたのは伊庭千都留の方だ。今は兎川葉子のことを訊いているんだ」


 この男はなにを言っているのだ? 恭太郎は理解が追いつかなかった。自分はニアによって、葉子の死の瞬間を擬似体験しているのだ。この能力は警察の科学調査よりも正確で、間違えてようのない事実だ。

 だから、恭太郎は新井の間違いを指摘した。飽くまで協力的な姿勢からだ。


「刑事さん、勘違いしてますよ。葉子は間違いなく撃ち殺されたんです。ひょっとして千都留と混合してませんか?」


 途端に、新井の声の質が変わった。


「おまえ、舐めてんのか? 警察がそんなミスするか。撃ち殺されたのは伊庭千都留で、兎川葉子は撲殺されたんだ。顔がわからなくなるくらい徹底的にな」


 こいつ、なんでこんなに威圧的なんだ? 恭太郎は大きな怒りと小さな怯えを抱えながら、話が食い違っていることに不安を覚えた。

 葉子は撃ち殺された。それは間違いのないことだ。この馬鹿は千都留と葉子を取り違えているのだ。二人は体格が似ていたし、あの時は着ている服まで同じようなものだった。警察だって人間だ。絶対にミスをしないとは言い切れない。だから冤罪という言葉があるのだ。

 しかし、それでも疑問は残る。チョコは、あれは事故で殺すつもりはないと言っていたではないか。つまり、千都留も撃ち殺されたのだ。千都留と葉子、二人とも撃ち殺されていたのでなければ、辻褄が合わない。

 新井が二人を取り違えているとしても、一人は撲殺されていたなどということは、あり得ないのだ。


「……撲殺ってのは確かなんですか?」

「なんだと?」

「なんで撲殺ってわかるんですか? あんなに滅茶苦茶になってたのに」

「だから、警察を舐めるなってんだよ。ぱっと見は似てても、撃たれた傷と殴られた傷は全然違う。そんなもん、間違えるかよ」


 確認したのは自分じゃないだろうに。新井は鑑識が調査した結果を読んで、喋っているに過ぎない。しかし、それはどうでもいい。問題なのは、二人ともに銃殺であるはずが、なぜ違う殺され方をしたという結論に至ったのかだ。

 自販機で買ったばかりの缶コーヒーのステイオンタブを開け、甘ったるいコーヒーを流し込む。熱い液体が喉を通過する感触を楽しみ、大きな深呼吸をした。あの一件以来、自分を落ち着かせるために深呼吸をする癖がついてしまった。冬の公園で飲む缶コーヒーは、どうしてこんなに美味いのだろうか。

 新井とのやり取りを反芻し一つの疑問が湧き上がると、いくつもの不自然な点が浮かび上がる。

 まず、香澄を殺したのは結局誰だったのか?

 仲間を立て続けに殺されたので、やはりチョコが犯人なのだろうと結論づけてしまったが、映像の人物が包帯を巻いていなかったのが、どうしても引っ掛ける。

 そして、なぜ葉子は殺されたのか。彼女は千都留を探すために、森の中で美晴と別れた。悪意に満ちた偶然によって、チョコと出くわしたとして、撃ち殺したりするだろうか。

 チョコは千都留を撃ってしまったことに、少なからずショックを受けていた。偶発的に葉子と遭遇したとしても、安易に銃に頼れる心理状態ではなかったのではないだろうか。羹に懲りて膾を吹くという言葉もある。人を撃ち殺した負い目は、もっと慎重さを身に付けるはずなのだ。

 パズルを完成させたいのに、合うピースが見つからないどころか、ピースそのものがないような状態に心が焦れる。脳に微弱な電気を流されているみたいに、ピリピリと不快な刺激が走った。

 なにかがおかしい。なにかが……。

 現場百篇。警察による表現で、事件現場にこそ解決への糸口が隠されているので、慎重に慎重を期して調査すべきであるという意味だ。不可解の発端は、やはり香澄の殺害だ。現場に戻ることはできないが、彼女の死を追体験したのは、警察にも取得し得ないアドバンテージだ。脳内に焼き付いた映像を再生する為に目を瞑った。

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