第35話 迷える通報者
なんということだ。たった一晩で、五人もの命が失われてしまった。しかも、そのうちの一人は、自分が手に掛けたのだ。
「……警察に連絡は?」
「まだしてない」
「なんでだ? こんなに人が死んでしまったのに」
恭太郎には信じられなかった。これだけの惨事が起きれば、すぐに警察に頼るのが常人の発想だ。
「だって、警察を呼んだら恭太郎だって……」
恭太郎は、はっとした。美晴は言葉を濁したが、彼女はこう言いたいのだ。あなただって人を殺したんだと。
逡巡を抱いたものの、やはり警察を呼ぶしかないという結論に達するのに、さほど時間は掛からなかった。この状況をなかったことになんかできないし、なにより、人としての道徳心が逃げることを拒んでいる。下手にごまかすのは駄目だ。ありのままを伝えるのが、結局のところ最善の結果をもたらすはずだ。
「大丈夫。僕のは正当防衛だ。なにしろ、ここに銃口を突き付けられたんだからね」
恭太郎は自分の額を人差し指でコンコン叩いた。
「でも、二発も撃ち込んじゃったんだよ。過剰防衛と見做されないかな……」
「……それでも、やらなきゃ僕の方がやられてたのは曲げようのない事実なんだ。きっと大丈夫だよ」
「そうか、な……」
「まさか、黙ってここを去るわけにはいかないし、変にごまかした方が、罪が重くなる。あとは警察に任せよう。大丈夫。……大丈夫なはずさ」
恭太郎は、執拗に大丈夫を繰り返した。美晴を安心させるためだったが、多分に自分自身の不安を払拭させたかった心理も働いていた。
「なら、先に葉子を探しに行きましょう。まだ森の中で千都留を探してるはずだから」
「連絡は取れないのか?」
「連絡先の交換してないから……」
「時間を決めてたってことは」
「それもしなかった。要領の悪そうな子だから、ずっと一人で探しちゃうかも」
段取りの悪さに、思わず舌打ちしたくなる。
恭太郎の心中を察して、美晴は慌てて取り繕った。
「私たちも動揺してたの。さっきは、とにかく千都留を見つけなきゃって」
「わかった。わかってるよ。美晴を責めてなんかいないさ」
宥めながら、ガムが全員のスマートフォンを入れたバッグを見つけた。驚いたことに、金のインゴットと一緒に無造作に投げ込まれていた。こんな時にも関わらず、輝きを放つ黄金が飛び込んだ際には目が眩む思いで、一本抜き取ったらどうなるかなどと不埒な考えが頭を過ぎった。黄金が持つ魔力だ。
すぐに思考は正常に戻り、自分のスマートフォンを取り出した。既に美晴と葉子は自分のスマートフォンは回収しているようだ。それなのに、緊急事態に備えて連絡先の交換もしなかったのは、よほど焦っていたのだろう。それに、美晴はどうやって葉子を説得して警察への通報を保留にしたのか、疑問を抱いた。
「今、電話するの? 葉子と合流してからの方が……」
「いや、やっぱり通報が先だ。葉子は電話を架けてから探しに行こう」
一一〇番しようと、電話機能を立ち上げてタッチパネルに指を置いたが、そこで動きが止まってしまった。
「……そういえば、ここってどこなんだ?」
警察に来てもらうには、当然、正確な所在地を伝えなければならない。しかし、初めて訪れた地であるし、運転は孝之に任せきりだった。
「私も町名だけしかわからないわ。番地がわかるようなものなんてないし……」
「なんとか、わからないかな」
恭太郎はマップサイトで調べた。GPSにより、現在地は表示されるが、やはり詳細な番地までは記されていない。
「葉子と合流して、森を抜けましょう。町まで出れば、警察の人も案内できるし」
「僕は車の運転なんかできないし、二人だってそうだろう? 歩いて森を抜けたら、何時間掛かるかわからないよ」
「それでも、ここでじっとしているよりいいよ」
「いずれにせよ、とにかく通報はしておこう。町名と岡田家の別荘であることを伝えれば、地元の警察ならわかるかも知れないから」
「でも、警察に知らせたら恭太郎が……」
「大丈夫。僕なら大丈夫だから……」
「なら、私が架ける。恭太郎が気を失っていた分、私の方が状況を把握しているから」
美晴は恭太郎の返事を聞く前にスマートフォンを取り出した。今まで警察に連絡しなかったのは、恭太郎の扱いがどうなるか慮ってのことだった。その本人から通報を勧められ、美晴の行動は素早かった。
恭太郎は、美晴の心痛を申し訳なく思いながら考え込んだ。自分になにかしらの罪が問われることになろうとも、やはり隠し通すなんてことは人としてできないし、また可能とも思えない。
美晴は不自然なほど声を潜めて話していた。人の死が絡む通報は、自然と用心深くなるらしい。恭太郎がガムを殺めてしまったことも、後ろ暗さを助長しているに違いない。
伝える内容が異様だったので、説明が上手くできないもどかしさに苛立っているようだ。しかし、一番の懸念だった現在地に関しては、スマートフォンのGPSから割り出せると聞かされたので、その点だけは拍子抜けした。ただし、上空に障害物がない場所でなければならない。屋内では正確な位置情報は取得できないと言われた。
美晴は一度外に出てから、通報を続けた。
「じゃあ、早く来てくだい」
美晴は緊急を要することを再三繰り返した。再び屋内に入りながら電話を切った。
「あとは警察に任せよう」
どすんと両肩に疲労が圧し掛かる。恭太郎は椅子に腰掛けようとしたが、美晴はそれを許してくれなかった。
「葉子は? 探しに行かなきゃ」
「葉子か……。警察に任せた方がいいんじゃないかな?」
二人だけで森の中を探索しても、都合よく見つけられるとは思えなかった。それに正直言えば、昨日会ったばかりの人間のために、疲労困憊した体に鞭打ってまで探したいとは思えなかった。とにかく、今は休みたい。
「ここで待っていれば、帰ってくるよ」
「……ちょっと冷たくない?」
美晴の声が尖った。
「あんなことがあった後で、彼女は今一人なんだよ。どれだけ心細いか」
「しかし……」
「もしかして、迷ってこの別荘を見失っているかも知れない」
「なら、尚のこと待ってた方がいいんじゃないかな。僕たちまで迷ったら……」
「もういいっ」
美晴は一人で出て行こうとした。恭太郎は慌てて引き止めた。彼女は一度言い出したら引かないところがある。責任感の強さも、幼少期から変わっていない。
このままでは、本当に一人で行きかねないので、恭太郎は重たくなった体に、無理やり活を入れた。
「待て。僕も行く。でもすれ違いになったら面倒だから……」
恭太郎は書く物を探した。都合よく、太い油性ペンを見つけたので、買い物をした際に食材を入れたレジ袋に、すれ違いになっても屋内で待っているよう書き置きした。
太い文字にレジ袋を目一杯使って書いたので、見逃す心配はないだろう。
テーブルの上に置き、フォークを重し代わりにした。昨夜、みんなで食事をしている時には、こんなことになるとは夢にも思わなかった。
「これでよし。行こう」
美晴は頷き、扉を開けた。恭太郎は振り向き、改めて室内の異様さに圧倒された。三人もの死体が転がっている部屋に、もし葉子が一人で戻ってきたら、平静でいられるだろうか。残した伝言に、現場をむやみに動かさないでおくことも書き足した方がいいかとも思ったが、その考えはすぐに引っ込めた。好き好んで死体に触る者などいない。それが妙齢の女性なら、尚のことだろう。おそらく、自分が使った部屋に引き籠もるのではないだろうか。二階には香澄の死体があるが、姿が見えないだけリビングよりずっとマシだ。
「恭太郎?」
恭太郎が室内を見たきり動かなくなったので、怪訝に思った美晴は声を掛けた。
「ああ。なんでもないよ。行こう」
葉子を探している間に、警察が到着してくれればいいのだが。
そんな期待を抱きながら、恭太郎は美晴の手を取って、森の中へと進んだ。
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