第31話 手目を上げる

 全員が注目しているが、気にしている余裕などなかった。さっき経験したあれを悟られるとは思えないが、朧気ながらも犯人像を得ていることも気取られてはならない。


「あなた、大丈夫なの? 持病とかあるわけ?」


 チョコは、如何にもバツが悪そうだった。恭太郎の予想外の出来事に、余程慌てたに違いない。みんなが駆けつけた時に銃を向けていたのは、防衛本能が働いたからだ。それだけ、恭太郎の叫びは突発的だったのだ。


「………………」


 困惑した視線を集める中、恭太郎の方も一人一人に視線を巡らせた。特に注意を払ったのは手だ。美晴には、あの手は女性のもののように思うと言ったが、絶対の自信は持てない。なにしろ、暗い上にやたらとぼやけていた。俊哉の手などは、男にしては華奢だし、彼の手だと言われてしまえば、そうかもと思ってしまう。

 くそ。なんであんなに、映像がぼやけていたんだ。

 歯噛みする思いで記憶を手繰ると、香澄は眼鏡を掛けていたことを思い出した。そうか。眠る時には眼鏡を外すのは当たり前のことだ。


「孝之、香澄の視力はどれくらいだったんだ?」

「シリョク?」


 孝之は苛つきと呆けが混ざった声で聞き返した。なんのことかわからないのだ。こんな時に目の良し悪しを尋ねられるなどとは、思わないだろう。


「視力。裸眼ではよく見えていなかったようだけど……」

「なんで今、そんなことを訊く?」

「いや、ちょっと気になっただけだ。なんでもない」


 恭太郎は質問を撤回した。香澄の視力がわかったところで、事件解決の糸口にはならない。特にこだわったわけではなく、つい口から出てしまった質問だ。


「……たしか、かなり悪いと聞いたことがある。矯正しなければ、見えるものはほとんど色彩の塊だと言っていた」


 孝之は憮然としながらも、質問に答えた。こんな場合でも、彼の生真面目さが出てしまっているのが切ない。


「そうか……」


 目は自然と各々の手を見てしまう。あの華奢な指に当てはまらないのは、ガムと孝之だけか……。

 視線の先にチョコの手を捉えた時、恭太郎は思わず釘付けとなった。彼女の左手には包帯が巻かれている。あの映像の人物の手には、そんなものは巻かれていなかった。不鮮明な映像だったが確かだ。断言できる。


「……チョコ」

「なに?」

「その包帯、外したか?」


 恭太郎は彼女の左手を指差した。つられて、チョコは自分の手を見る。


「なに? さっきから。わけのわからないことばかり言って」


 チョコが不機嫌になるのも無理はない。恭太郎の能力を知らなければ、香澄の視力やチョコの包帯が、犯人特定に繋がるなどとは考えないだろう。

 しかし、今の恭太郎には、チョコの気分に構っている余裕などなかった。


「大事なことだ。答えてくれ」


 あまりの真剣さに、チョコは少し気圧された。いきなりスリーサイズを訊かれたみたいに不愉快だった。この包帯がなんだというのだ。


「ずっと巻いてたよ。それがどうかした?」


 チョコは大きな宝石がはめ込んである指輪を見せびらかすような仕草で、指を開いて手を振ってみせた。

 恭太郎はチョコの示した手を凝視した。たしかに綺麗に巻かれており、乱れた様子はない。一人で巻き直したとして、あれだけ綺麗に巻くことは無理のように思う。

 改めて戦慄が走った。チョコは犯人じゃない。手のサイズから、ガムと孝之も除外できる。

 俊哉はどうだ? 無駄だと思ったが、一応確認した。


「俊哉……」

「え?」

「きみは、ずっとリビングにいたのか?」

「まさか、僕を疑っているのか?」


 俊哉の顔から血の気が引いた。状況的には、人質として自由を奪われていた彼はもっとも容疑が薄いはずだが、素直に外すことはできなかった。

 恭太郎が降りてきた時、ガムは居眠りをしていた。とてつもなく難しいにしろ、ガムの目をかいくぐって二階に行かなかったとは断言できない。


「いたよ。ガムに監視されてたんだ。香澄の部屋に行くどころか、二階にも上がれるわけないだろう」


 殊更に自分の無実を主張しようと、声が上擦っている。額面通りに受け取れば、彼の主張は真っ当なものだ。しかし……。

 俊哉に向けていた視線を、そのままガムに向けた。察知したガムは恭太郎の意図を察した。


「ああ。こいつはずっとここにいた。間違いない」

「少しも居眠りしなかったと言い切れるか?」

「居眠りなんかするわけねえだろ。おまえ、俺を舐めてんのか」


 しかし、ガムの目は泳いでいた。やはり、微睡みと覚醒を繰り返していたに違いない。相手が俊哉なら、油断するのも無理はない。


「トイレには?」

「……一度行ったな。それこそ、こいつが舟を漕いでいる時にな」

「こいつを一人にしたの?」


 チョコが表情を険しくした。


「しかたねえだろ。それとも、空き瓶にでもすればよかったのかよ」

「それにしたって、気を緩めすぎよ」

「おまえはいいさ。暖かいベッドの中でぐっすり休めたんだからな。こっちはずっと起きてなきゃなんなかったし、ガキのお守りはしなくちゃなんねえしで大変だったんだ。小便くらいで目くじら立てるなよ」


 ガムが早口で巻くし立てた。怪我をしていたとはいえ、チョコが休んでいたのは事実だ。そのことを攻められれば、彼女も勢いをなくすしかなかった。

 このまま仲間割れでもしてくれればと、恭太郎は淡い期待を抱いた。


「……本当に、このガキが寝入ったタイミングで行ったんだ。それに、時間にして一分も掛かってねえ。俺だって、それくらいは心得ている」


 恭太郎の期待を簡単に裏切り、ガムは声を抑えて宥めた。声からは険がなくなり、チョコもそこまで批難するつもりはなかったようだ。熱くなった空気は瞬く間に冷却され、落ち着きを取り戻した。

 場が鎮まったことで、恭太郎は考察を再開した。

 ガムは寝ていないと言い張っているが、意識が不明瞭になっていた時間はあるはずだ。強盗、逃走、事故、そして軟禁。一日にこれだけ忙しなく動き回って、肉体的にも精神的にも疲労困憊でないわけがない。ほとんどの者が休んでいる中、一人だけ意識を保ち続けるなど、不可能だ。

 では、ガムが居眠りしていた時間があるとして、俊哉に二階まで行くことができただろうか。


「………………」


 正直言って、難しいように思える。可能であっても心が行動を起こすことを許さない。逃げ出すならともかく、いつ起きるかもわからないのに、危険を犯してまで香澄を亡き者にしようとは考えないだろう。ましてやガムは拳銃を持っているのだ。心理的圧迫が鎖となって、実行に移るのは至難の業だ。

 俊哉を容疑者から外した場合、残りは美晴、千都留、葉子の三人だ。条件は同じなだけに絞り込めない。三人とも等しくチャンスはあった。もっとも、美晴に関しては考察するのも馬鹿らしいが。

 千都留か葉子のどっちかが?

 ちらりと二人の手を一瞥するが、判然としない。

 決定打が欲しい。香澄の最期の視界を脳内で再生するが、決め手がみつからない。もう一度、能力を使うしかない。その結論に達するのに、さほど時間は要さなかった。

 さっきはいきなりだったので、ほとんど情報を得られなかったが、犯人を特定する目的があれば、見えるものもあるかも知れない。


「……もう一度、香澄の遺体を調べる」


 恭太郎の主張に一番早く反応したのは、以外にもチョコだった。


「大丈夫なの? ちょっと触れただけで倒れちゃったのに」


 心配というより、揶揄する言い方だった。彼女には、貧血かなにかで気を失ったように見えたのか。

 香澄は首を絞められて死んだ。あの苦しみを追体験するなら、また気を失ってしまう可能性は否めなかった。だが、状況を打破するためにはやるしかない。


「殺すとか脅しておいて、よく言う」


 せめてもの嫌味を返し、恭太郎は二階に上がった。抜け目なくチョコもついてくる。


「私も行きます」


 美晴は立ち上がり際、孝之の耳元でなにか囁いた。彼の落ち込みようは胸が締めつけられる。少しでも立ち直らせようと慰めの言葉を掛けているのだろうと、恭太郎は思った。チョコとガムも同じように思ったらしく、特に止めることはしなかった。


「仲がいいのね」


 チョコは嫌味とも受け取れることを言って、美晴を先に行かせた。二人のことは恋人同士だと勘違いしているので、心配してついてくるのだと思ったようだ。もちろん、本当に心配してくれているに違いなく、恭太郎は純粋に嬉しかった。

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