第30話 二人だけの秘密
「はあっ!」
恭太郎は、息苦しさに耐えかねて跳ね起きた。美晴の心配そうな顔が飛び込んでくる。暗い部屋ではない。煌々と明かりが灯った寝室だ。自分はベッドに寝かされているのだと、それだけはわかった。さっきまで自分が使わせてもらっていた部屋だ。
「恭太郎、大丈夫?」
「僕は……?」
記憶が混乱して、自分が置かれた状況がすぐに把握できない。だが頭の片隅で、自分はまだ生きているんだと考えていることは自覚できた。
「二階から凄い悲鳴が聞こえたから、慌てて駆けつけたの。そしたら、あなたは倒れてるし、チョコは銃をあなたに向けてるし、びっくりした」
「気を失ったのか?」
「いきなり倒れたんだって」
恭太郎が身を起こそうとしているので、美晴は支えながら答えた。
「大丈夫なの?」
美晴は同じことを聞いたが、それには答えなかった。答えられなかった。考察で頭がいっぱいになり、聞こえてなかったのだ。
さっきのあれは、香澄が今際の際に見たものだ。幼少の頃に同じ経験を一度だけしたことがある。自動車に跳ねられた老人の最期を、彼の視界を通して追体験したのだった。
あまりにも現実離れした現象だっただけに、あれは混乱した脳が見せた夢だったのだと思っていた。そうして自分を納得させていた。あれ以来、同じ体験をしたことはなかった。それはそうだ。死体に触れる機会など、そうそうあるものではない。
夢なんかじゃない。死体に触れたら、その人の最期に目に映った光景を追体験することができる。いや、強制的に入り込まされてしまう。どんなに現実的でなくとも、れっきとした僕の能力なんだ。
全身に悪寒が走る。今際の際の追体験をするだって? そんなおぞましい能力が、なんで僕に備わっているんだ……。
「恭太郎?」
恭太郎は美晴の手首を掴んだ。
「痛っ!?」
恭太郎のいきなりの行動に、美晴は驚いた。思わず腕を引っ込めようとするが、思いの外強い握力で、腕がぴんと引っ張られた。
恭太郎は愕然とした。映像が流れ込んでこない。当然だと思い直す。美晴はまだ生きている。見ることができるのは、飽くまで死ぬ間際の視界なのだ。
「見たんだ……」
「え?」
「香澄は、首を締められて殺されたんだ」
美晴は目を見開いた。
「犯人を……見たの?」
「いや、暗くて誰かはわからなかった」
「どういうこと? 香澄が殺されるのを黙って見てたってこと?」
美晴は信じられないものを目撃したみたいに、恭太郎に詰め寄った。もし、そうであれば、犯人だけでなく彼のことも許さないというほどの勢いだ。
「違う。見たのは香澄だ。抵抗しようにも、体を動かすことはできなかった」
「怖くて動けなかったってこと? でも……」
「違うんだ。僕が見たのは香澄の死に際の視界だったんだ」
「なんのこと? なにを言ってるの? まだ意識が混乱してる?」
香澄は、今度は不気味な眼差しを向けて体を引いた。闇の中で奇怪な生物に遭遇したような仕草だった。
恭太郎は少し迷ったが、美晴には真実を打ち明けようと決めた。彼女に隠し事はしたくないし、理解を得られると思った。
「……僕が子供の頃、交通事故を目撃したのを覚えているか?」
「……なんの話? なぜ、今そんなことを」
「覚えているかい?」
「そりゃ……忘れないよ。あの時、おばさんがとても慌ててたのを、はっきり覚えている」
「じゃあ、その時に不思議な映像を見た話は……」
「………………」
「まるで、僕自身が交通事故に遭ったかのような経験をしたって」
「おじいさんが見たものが、恭太郎にも見えたって話……、えっ? じゃあ恭太郎が見たのって」
「ああ。香澄が殺される直前の視界だ。彼女の命が消えたから、それに追従して、僕は意識を失ってしまったんだ」
「そんなことって……。冗談じゃないよね」
「こんな時に冗談を言うほど、図太くないよ」
「そんなことって……」
美晴は、同じ台詞を繰り返した。
恭太郎は素早く頭を回転させ、今後の指針を決めた。
「美晴、このことは、みんなには秘密だ。顔は見られなかったとはいえ、犯行中を目撃された知ったら、犯人はなにをするかわかったもんじゃない」
「……わかった。言っても誰も信じないでしょうけど。でも、本当に犯人は見えなかったの?」
「残念ながら。でも、影から判断するに、華奢な体格で女のようだった。下に降りよう。みんなの体格を見比べれば、だいぶ絞り込めると思う」
「女……。やっぱり、チョコが犯人ってことはないの?」
「わからないんだ。僕らの中に犯人がいるなんて信じたくないけど、今日会ったばかりであるのも事実だ。完璧に信じられるほど、彼らのことを知っているわけじゃない」
「そうか……。そうよね」
美晴は伏し目がちに頷いた。
「繰り返すけど、僕の能力については、絶対に秘密だ。いざという時のアドバンテージになるかも知れないからね」
「いざという時って……これで終わりじゃないと思ってるの?」
「犯人の動機が不明だし、これからどう動くかもわからない。この犯人の人物像が上手く想像できないんだ。ガムの言い分じゃないけど、普通、こんな状況で人殺しなんかするかい?」
「あの二人に罪を擦り付けたかったのかも……」
美晴の推論に、恭太郎は息を呑む思いだった。
「それだ……」
考えてみれば、至極単純だ。こんな状況下で殺人が行われれば、犯人はガムかチョコと考えるのが普通だ。
「それだ。それに違いない。だけど……」
「なに?」
「美晴の推測は正解だと思う。けど、思いつくのと実行するのとでは、全然、まったく次元が違う。千載一遇のチャンスだからって、殺人なんて所業、実行するにはとてつもない決意と精神力が必要だと思う」
「そこまで追い詰められてる人なんて、私たちの中にいる? 私は、やっぱりチョコが犯人だと思う……」
「狂気と言ってもいい……。なにか……人として歪んでいるような」
「恭太郎……」
「ごめん。思い込みの予断は危険だ。でも、なんとしても犯人を割り出すしかないんだ。美晴もみんなの、特に女性陣の動きを、それとなく観察しててほしい」
「その中には、チョコも含まれてるのよね」
「もちろんだ」
恭太郎は仕切り直す思いで深呼吸をした。意外にも効果は大きく、ざわつく心が鎮まるのが自覚できた。気持ちが落ち着けば考える余裕も戻ってくる。これから行うこの能力を、便宜上、臨死体験を英訳したNear-death experienceから取って、『ニア』と呼称することにした。
「ニア。これから、僕の能力をニアと呼ぼう」
「ニア……」
「呼び方を決めておけば、他の人にはわからなくとも、美晴にだけは伝わるだろう」
「わかった。ニア、ね」
「行こう」
恭太郎は美晴を促し、共に全員が揃っている階下に向かった。
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