第29話 ギフト

 恭太郎は静かに脳を活動させた。発言には充分に注意を払わなければならない。真相が明らかになったとして、やはり犯人がチョコたちだったら、それを口にすることはできない。面倒になるくらいなら全員を殺してしまおうなんて連中だ。きっとそれは脅しじゃない。おとなしく罪を認めるどころか、開き直って皆殺しにするだろう。

 とにかく、この二人を遠ざけることが最優先だ。真実がどうあれ、我々の中に殺人者がいたと結論づけなければならない。当人には迷惑だろうが、一時の演技だと思えば、どうということはないはずだ。隙を見て打ち合わせをする必要がある。それとも、いっそのこと自分が犯人だということにしてしまおうか。


「………………」


 恭太郎は立ち上がり、二階に向かおうとした。見るともなしにテーブルの上に視線を流した。まだ湯気が立ち上っているカップが、妙に空々しく映る。


「私も行く」


 チョコもすかさず立ち上がった。


「私たちに不利な証拠を捏造されたんじゃ、敵わないから」

「そんなことはしない」

「どうかしら? 早く行きなさい」


 恭太郎は一つ深呼吸をしてから、階段を上り始めた。脚が思うように動かず、極度に緊張してることを訴え、ひどく弱気になっていることに気づかされる。

 十三階段を上る死刑囚じゃあるまいし……。

 質の悪い冗談で自らを鼓舞し、二階の最奥部、香澄がいる部屋に入った。彼女が死んでいたなんてみんなの勘違いで、実は生きている。そんな一縷の望みを託した妄想を描いたが、ベッドに横たわったままの彼女を一目見た途端、妄想はしょせん妄想でしかないと思い知らされた。恐怖で固まったままの濁った双眸が、勘違いであるはずがない。

 香澄に近づいた。後ろから刺さるチョコの視線が気になる。まず、屈んで彼女の顔に鼻を近づけた。


「ちょっと、なにしてるの?」


 死人にキスをするとでも思ったのか、チョコが焦って止めようとする。


「匂いだよ」

「匂い?」

「一見したところ、外傷はない。まさかとは思うけど、毒を盛られたのかも知れないと思って」

「……あなた、医学生なの?」


 恭太郎の言動に少し期待を見出したのか、チョコの声が色づいた。


「ミステリーや推理小説は結構読んでてね。そっからの知識さ」


 途端に、チョコの上がりかけた高揚が萎んだ。これだけ感情を表面に出すところを見ると、彼女も事態の収束を望んでいるのがわかる。演技に思えないだけに、本当に彼女が犯人ではないのかと、二律背反的な不安が高まる。


「推理小説……。それは作り話でしょう」

「でも、充分に勉強したり取材して得た知識を書いているんだから、まったく参考にならないってことはないと思う」

「で? 死因は毒なの?」

「これといった異臭はしないけど、無臭の毒もあるかも知れないから……」

「結局、なにもわからないんじゃない」

「僕は監察医じゃないんだから、死因なんてそんな簡単にわかるもんか」

「あなたが特定しなければならないのは、死因じゃなくて犯人よ。それはわかってるわよね」

「急かさないでくれ。気が散る」


 外傷はないように見えるが、必要なら服を脱がして体を調べなくてはならない。

 それにしても、この形相……。

 開かれた目は、自分の死そのものを見せつけられたかのように恐怖で満ちている。嫌な性格だったが、いつまでもこのままでは不憫と感じた。


「目を閉じさせてやろう。いいだろ?」

「それくらいなら、いいんじゃない? でも、なるべくならベタベタ触らない方が、あなたたちのためかもね」


 調べろと言っておきながら、触らない方がいいと忠告する。身勝手なものだ。触りもしないで、見るだけで死因を特定できたら、それこそ監察医なんていらない。

 不機嫌を抑えながら、香澄の瞼を閉じたやろうと手を添えようとした。


「ん?」


 あまりの面持に敢えて目を逸らしていたが、眼球に溢血点が出ている。顔面も赤黒くうっ血している。これは、扼殺された者の特徴ではなかっただろうか。


「…………」


 新たな発見に興奮しながら、香澄の顔に掌を当てた。


「う?」


 手が触れた途端、恭太郎の視界は瞬時に真っ白となった。なんだ? と思う間もなく、すぐに暗い空間に放り出された。

 暗かったが、まったくの闇というわけではない。常夜灯が点いていて、その僅かな灯りで室内であることが認識できた。しかし、問題は暗さではなかった。暗い上に視界がぼやけてよく見てないが、何者かが覆い被さっており、喉が潰れそうな圧迫を感じた。息苦しい。というより、息ができない。

 いきなりのことだったので、状況を飲み込むのに時間を要してしまった。首を絞められている。自分は今、何者かに殺され掛かっているのだ。


 があっ!


 死に物狂いで抵抗するが、イメージ通りに体が動かせない。だがそれは、首を締められているせいではなかった。自分の意思が、まったく体に伝達できないのだ。一人称視点のゲームをプレイしている途中で、コントローラーの充電がなくなったみたいに、なんの動作もできなかった。


 こ、れ、は?


 恭太郎は思い出した。幼少の頃に、たった一度だけ似たような経験をしたことを。そして理解した。これは香澄が殺される寸前に見た光景だ。全体重を掛けて首を絞めているこの人物が、彼女を殺した犯人だ。


 誰だ? くそっ、見えないっ。


 動けない以上、この映像を脳に焼き付けておかなくてはならないが、なにしろぼやけていて、ほとんど水墨画が蠢いている風にしか見えない。犯人の背後から光が漏れていて、それが逆光となり余計に見えにくくしている。それでも、手が一瞬だけ離れ、視界の隅に捉えることができた。


 細い指。小さな手。……女?


 確信に至らない疑問を抱いた。離れた手が再び頸部を圧迫し始め、耐え難い苦痛がいつの間にか心地好さに変わっていく。そして、次第に意識が遠ざかっていった。

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