第27話  回帰不能点

 突然、獣と間違えそうな咆哮が二階から聞こえた。続いて激しく争う音と、空気を割る爆音。それが銃声だとわかったのは一瞬で、恭太郎は心臓の鼓動と連動して立ち上がった。


「勝手に動くなっ」


 威嚇しながら、ガムもなにが起きたのかわからず、声が上擦っていた。


「銃声だっ。チョコが孝之を撃ったんだっ」

「そんなこた、わかってるっ」

「だったら、こんな所で待っててもしょうがないだろ。様子を見に行こう。あんたも一緒に来てくれ」

「しかし……」

「致命傷だったらどうする? あんたら、人殺しまでするのかっ」

「ちくしょうっ」


 困惑はしているが、一刻を争う事態だとは理解しているようだ。しかし、人質を放置して二階に上がるのは危険だ。迷ったガムが取った行動は至極単純だった。


「よし、おまえらから行け。俺は後ろから付いていく」


 ガムが言い終わらないうちから、恭太郎は階段を駆け上がった。


「おらっ、おまえらも早く行けっ」


 ガムに急かされ、千都留、美晴、俊哉の順で二階に上った。俊哉はフラつき、銃口に押されるような形で階段を上っていった。

 香澄の部屋は一番奥で、チョコが使っていた部屋の向かいに位置する。恭太郎は大して長くない廊下を駆け抜け、室内に飛び込んだ。


「動かないでっ」


 チョコに銃口を突きつけられ、恭太郎は奥まで進むことができなかった。しかし、銃に劣らないくらいの凶悪な光景が視野に広がった。銃がなくとも、それだけで足を止める効果は充分にあった。

 肩から血を流している孝之に、ベッドの上で目を開いたまま微動だにしない香澄。彼女の方は出血していないが、事切れているのはすぐにわかった。なにが起きたのかは、容易に想像がついた。


「……なんてことを」


 すぐに追いついて、恭太郎の後ろから異変を目撃した千都留は、甲高い悲鳴を上げた。


「なんだっ? どうしたってんだっ」


 さらにその後ろで、ガムが叫んでいる。この場にはたった七人しかいないにも関わらず、騒然とした空間は弾けて破裂しそうだった。


「なんで、なんで殺したんだ? 彼女がなにをした」


 恭太郎の問い掛けに、チョコは反応しなかった。だが、それが自分に向けられたものだと気づいた途端、彼女は烈火の如く勢いで言い返した。


「ふざけないでっ。様子を見た時には、既に死んでたっ。私がこ……やったわけじゃない」

「そんなわけあるかっ。あんたじゃなければ、誰がやったって言うんだっ」

「知らないよっ。知るもんかっ」


 二人とも冷静さを失い、互いに喚きあった。激しい言葉の応酬の間を、孝之は苦痛に顔を歪めて座り込んでいる。


「どけっ。なにが起きてるっ?」


 ガムが、恭太郎の背中を突き押して入ってきた。悲鳴こそ上げなかったが、事の重大さにはすぐに気づいた。


「こ……こ……これは」


 顔面が蒼白になり、傍からでもわかるくらい大きく深呼吸をした。パニックに陥るまいと、必死に気持ちを踏ん張らせている。


「チョコ……おまえ……」

「あなたまで、なに言ってるのっ。私じゃないって言ってるでしょっ」

「だが……しかし……」


 ガムの迷いは、手に取るほどに伝わった。いくら本人が違うと声高らかに叫んだところで、状況が背景を物語っている。


「私じゃない以上、ここにいる誰かが犯人よ。ガム、あんたじゃないよね」

「馬鹿言うな。俺は、俺はずっと下にいた……。こいつと一緒にな」


 ガムは銃を待った手で俊哉を指した。


「だったら、二階で休んでいたうちの誰かよ。誰。誰がやったの?」

「ふざけるなぁっ!」


 これまで、呆然として俯いていた孝之が、猛然とチョコに詰め寄った。肩からの出血は激しく、どこにそんな体力が残っているのか不思議なくらいの勢いだった。


「おまえ以外、誰がこんなことをするっ。なんで殺したんだっ」


 チョコは力を抜いていた腕を再び掲げ、銃を孝之に向けた。彼のあまりの剣幕に、牽制しながらも目は怯えている。銃がなければ、孝之は躊躇なく襲い掛かっていただろう。


「……私じゃない」


 チョコは自分の無実を執拗に繰り返した。結論が出ないまま、膠着状態になった。


「……よし、全員、一度下に降りるんだ」


 落ち着きを取り戻したガムが、静かに命じた。怒鳴り声ではなかったが、腹の底から絞り出した声は重たかった。不安や混乱を突き抜け腹が据わったのか、異様な迫力があった。



 恭太郎たちは壁際に再び座らされた。

 リビングの空気は異様の一言だった。チョコたちが侵入してきた時は、空気中に針でも浮いていて痛みを伴う皮膚への刺激があったが、今は何トンもある天井がじわじわと下がってくるような息苦しさに、圧されて動けないでいる。誰もが胸中を吐き出して喚きたいのに、迂闊なことは口にできない板挟みから抜け出せないでいた。

 彼らの前を、ガムが行ったり来たりしている。感情を抑えるのに必死で、唸り声が漏れ出ている。まるで餌が目前にあるのに手が出せない獣だ。

 対して、チョコはソファに座って、全員を等分に見つめている。そうすれば、不条理な状況を打破できると思っているかのようにだ。


「誰だ。誰がやった?」


 とうとう第一声が発せられた。後戻りできない問答の始まりだった。重たく圧し掛かっていた空気が収束し、鋭利な矢となって各々の胸を貫く。

 ガムの問いに真っ先に噛みついたのは、やはり孝之だった。手当をしたので血は止まっているが、銃創は無残なものだった。散弾銃創特有のもので、穿たれた部位は一つではなかった。それでも、弾丸の軌道から外れていたことが幸いし、傷は肩に集中していた。着替えのために部屋に戻ることは許可されなかったので、シャツがどす黒く染まったままだ。


「僕たちの誰かなわけないだろう。あの女がやったんだ」


 憎々しげに口を開くと、ガムはわずかに躊躇しチョコに質した。


「チョコ、どうなんだ?」


 チョコは大きなため息を吐く。その仕草はちょっと演技くさい。


「何度も言わせないで。私じゃない。なんで怪我をして動けないでいる女の子を殺さなきゃいけないの。そんな理由どこにもない」

「拳銃を持って強盗なんかする奴が、言えたことかっ」

「私が血も涙もない冷酷な殺人者だとでも言うの? だったら、ここに押し入った時にとっくに殺ってるわよ。どうしても私のせいにしたいなら、彼女を殺す理由、動機ってやつを説明してちょうだい」


 チョコの主張は破綻していなかった。たしかに、人を一人殺すなんてとんでもない所業、よほどの理由がなければ犯さない。我々は、今日、いや既に昨日か、初めて会った。恨みつらみが重なるような関係ではない。

 孝之は、しばらく考えてから口を開いた。


「……たとえば、彼女の両親が資産家と知って、強請ろうとしたのに反撃されたとか……」


 孝之の説は、推測どころか、想像の域さえ出ていない。本人も自覚しており、声にはまったく自信がなかった。


「逃亡中に、もう次の獲物を狙ったってわけ。あんたの中じゃ、私はどれだけ極悪人なのよ。それに反撃ってなに? あの娘は腕を撃たれて弱ってたのよ。銃を持つ者の恐ろしさは、嫌になるほどわかってたはずよ」


 チョコの反論に怯むかと思われたが、孝之はすぐに次の説を出した。彼も必死だった。チョコかガムのどちらかが犯人でなければ、今よりも怖ろしいことになるのを知っているのだ。


「……じゃあ、彼女は外部に連絡する手段を見つけたんだ。それを察知したあんたは……」

「いい加減にしてちょうだい」


 チョコはピシャリと跳ね除け、孝之に最後まで言わせなかった。


「その連絡手段ってなに? スマホは全部取り上げたわ。ガム、バッグを調べてみて」

「あ、ああ」


 ガムは取り上げたスマートフォンを詰めたバッグをまさぐり、テーブルの上に順に置いていった。

 様々なメーカーのスマートフォンが、人数分並べられた。恭太郎は、自分のスマートフォンを確認した。助けを呼べる道具が目の前にあるのに、手が伸ばせないもどかしさに頭が熱を帯びる。

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