第25話 コーヒーは静かに飲みたい

 食事といっても、料理の心得のない恭太郎に用意できるものなどたかが知れていた。美晴が朝食用に買っていたパンに、ハムとチーズを挟んだだけの簡単なサンドイッチを作った。温かいものも欲しいと、レジ袋を物色したら粉末のコーンスープを見つけたので、湯を沸かした。

 そんな恭太郎を見張っていたガムは、彼以上に料理とは無縁なのか「手際がいいじゃないか。彼女は作ってくれないのか」などとからかった。

 他の者も起きてくるかも知れなかったので、少し多めに作った。


「お待たせ」


 恭太郎は用意したサンドイッチとスープをテーブルに置いた。我ながら、果たして料理と呼べる物なのかと疑問に思うほど簡素な出来上がりだった。


「おお」


 質素な食事にも関わらず、ガムは相好を崩した。腹ペコといったのは大げさではなかったようだ。人質と犯人でテーブルを囲む、奇妙な食事が始まった。


「なかなか美味いじゃねえか」


 ガムは、旺盛な食欲を見せた。用意したサンドイッチすべてを平らげる勢いだ。片手で拳銃を構えたまま、逆の手でサンドイッチとカップを交互に口に運ぶ器用な食べ方で、次々と胃袋に送り込んだ。

 恭太郎は、しばらくは機械のように無言で口に押し込んで咀嚼していたが、俊哉は手を出そうとしなかった。スープが注がれたカップを、両手で包んでぼうっとしていた。


「俊哉。無理にでも食べた方がいい。いざという時、空腹じゃ力が出ない」

「腹が減っては戦はできねえってか。なんだよ。食い終わったら二人掛かりで俺に向かってくる魂胆か?」


 食事に有り付けたことで気をよくしたのか、ガムはからかい半分、威嚇半分で喋り始めた。


「そんなことはしないよ。孝之を加えた三人でも、あんたには勝てそうにない」


 恭太郎の言葉を素直に受け止め、ガムはますます機嫌がよくなっていった。己の強さを認められて気分が昂揚している。男なら誰でも当てはまることだが、ガムの場合はそれが特に顕著なようだ。実に単純な男だ。

 このまま会話が途切れて、無言で食事を続けるのも気詰りだ。取り入るつもりなど毛頭なかったが、恭太郎は差し障りのない話を振った。


「……なんで強盗なんかしたんだ?」


 ガムはサンドイッチを口に入れかけた姿勢で動きを止めた。


「なんだって、そんなことを訊く?」

「べつに。ただの場繋ぎだよ」

「場繋ぎだろうが、関心があるから訊いたんだろ。金が欲しいのか?」

「金が欲しくない人間なんかいないよ。でも、欲しかったら真面目に働いて稼ぐ」


 ガムは大げさにハッと嘲笑った。


「いいことを教えてやる。この世は運がすべてなんだよ。どんなに努力したって報われねえ奴は報われねえし、世間を舐めて生きてる奴でも、運に恵まれりゃ大金を稼ぐことができる」

「そんなことはない。努力すれば、人並みの収入は得られると思う」

「甘ちゃんの言いそうなこった。だいたい、この別荘からして、恵まれてるからこそ持てるんだ。ロクに苦労もしてない、学生のおまえさんが」

「ここは香澄さんの別荘で、べつに僕のものってわけじゃない」


 香澄の名が出た途端、ガムはバツが悪そうにサンドイッチをスープで流し込んだ。怪我をさせてしまったことを悪いと思っているのか。生まれついての悪党というわけではなさそうだ。捻れてはいるが、まだ修復ができる段階なのかも知れない。


「……とにかくよ、世の中には生まれた国が違うってだけで紛争に巻き込まれたり、安全に生活できたりするんだ。これだって運だろうがよ」

「だからって、罪のない老人から金を奪っていいわけじゃない」

「そこんとこが甘ちゃんってんだよ」

「なにが?」

「笑わせてくれるぜ。罪のない老人だって? 俺たちが奪った奴は、麻薬密売の大元締めだ。上手く世渡りしてたんで、犯罪者とは認識されていないが、あいつのせいで路頭に迷った、それこそ善良な人間はごまんといる」

「麻薬の密売……?」


 思いも掛けない単語が出来てきたので、戦慄が一気に腰から背中へ、そしてそのまま脳天まで駆け抜けた。ガムたち二人は、単なる強盗ではなく、恭太郎が想像すらできない犯罪の世界に足を突っ込んでいた人物なのか。

 喋っているうちに興奮してきたのか、ガムの口調に熱が帯びてきた。


「路頭に迷うだけなら、まだマシだ。絶望のあまり自殺した人間だって一人や二人じゃないはずだぜ」

「……それが事実なら、警察が動かないはずない」

「社会に揉まれていない学生ちゃんには理解できないか。警察は一切動かねえ。なにしろ相手は表に出ない水面下で巧みに動く。どんなに反吐が出そうな行為でも立証できなきゃ犯罪じゃねえんだ。世の中、そういう仕組みになってるんだよ。馬鹿らしいじゃねえか。真面目に生きてる者が涙流して、狡猾な奴は楽して儲けてよ」


 恭太郎は学生ではなかったが、わざわざ訂正しようとは思わなかった。ガムの感情が籠った言い方に、彼自身がなにかしらの被害を受けたのではないかと勘繰りたくなる。ただの金目当てではなく、復讐の目的もあるのではないだろうか。


「それでも怪我をさせるなんて……」

「怪我? そりゃ俺たちじゃねえ。すぐに通報されないように縛ってやったからな。俺たちがいなくなってから下手にもがいて、勝手に傷ついたんだろ」

「私が休んでる間に、ずいぶん仲良くなったじゃない」


 チョコが二階の狭い踊り場に立っていた。当然のように銃を構えている。なんだか、タイミングよくガムの発言を邪魔するのが趣味なのかと思えるほど、絶妙な間で割り込んでくる。


「調子に乗って余計なことまで喋らなかったでしょうね」

「そんなことするわけねえだろ。俺は間抜けじゃねえ」

「どうだか、油断すると自分の本名まで喋りかねないんだから」

「……馬鹿にしてんのか」


 チョコはほんのわずかに圧されたようだが、すぐに持ち直した。

 恭太郎はかなり早い段階から思っていたことだが、二人の間に硬い絆や信頼関係が感じられない。全幅の信頼を置きあっている感じではないのだ。コンビを組んで日が浅いのか、ひょっとしたら、今回が初めてではないのかと思わせる薄さがあった。


「暢気に食事なんてしてるから、そう見られても仕方ないかもね」

「そんなこと言ってもよ、腹が減っては戦はできねえ、だぜ」


 ガムは先程と同じことを言った。同じことを二度も三度も言う人間は、発達障害のきらいがあると、恭太郎はなにかで齧ったことがあるのを思い出した。


「それにしたって、なにもこいつらにまで食べさせることはないでしょ」


 恭太郎はカチンと引っ掛かった。食べさせることはないではなく、こいつらと呼ばれた点に対してだ。


「……俺たちは人質をいたぶって楽しむ趣味なんかねえんだ。べつに構わねえだろう」


 ガムの声が少し低くなった。チョコの冷たさに反感を覚えたようだ。二人の間の空気がピリッと緊張したが、それはわかるかわからない程度のわずかなものだった。


「ま、いいけど」


 チョコはすぐに視線を和らげ、階段を降りてきた。


「たしかにお腹が空いてたんじゃ、なんにもできない」


 チョコは断りもせずにサンドイッチを掴むと、一口齧った。


「ハムとチーズだけか……。でも、パンはふかふかね」


 美味いのか不満なのか、判断に困る感想を口にする。サンドイッチを作ったのが恭太郎だと知らないはずだが、ごく自然に彼に視線を向けた。


「ねえ、コーヒー淹れてちょうだいよ」

「……インスタントしかないよ」

「贅沢は言わない。けど、砂糖とミルクをたっぷり入れてちょうだい。糖分を取らないと頭が働かないの」


 知ったことかよと内心毒づき、恭太郎は立ち上がった。

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