第22話 切り離し
少しだけ安堵感が広がったが、それは一瞬だった。続いて彼女が発した要求に、また気持ちが痛いくらいに窄んだ。
「だけど、一人はここに残ってもらうわよ」
「なに?」
「当然でしょ。一ヶ所を見張ればいいからって、人質全員が見えない状態じゃ、こっちとしても落ち着かないわ」
「しかし……」
「あなたは」
恭太郎の反論に、チョコは言葉を被せた。
「保証書のない電化製品を買うかしら? 誰だって安心は欲しいわ。私たちだってね」
「……わかった。じゃあ僕が残る」
「悪いけど、それはこちらで選ばせてもらうわ」
「なぜ? 誰でもいいじゃないか」
「誰でもいいなら、こっちで選んでもいいでしょ」
「それは……」
恭太郎は言葉に詰まった。チラリとガムの方を一瞥する。二人のやり取りを黙って聞いていたガムは、恭太郎の視線を見逃さなかった。
「なんだよ。俺に言いたいことでもあるのか」
「……あんたが女性に悪さをしないとも限らない」
ガムは惚けたように口を開けたが、次の瞬間には更に大口を開けて笑い出した。
「こんな時に、女がレイプされないか心配ってか。馬鹿も休み休み言え」
心配していたことを一笑に伏されて、恭太郎は顔が熱くなるのを抑えられなかった。
「ガム、声がでかいわよ」
「だってよ、こいつは傑作だろ。命が危ういって時に女の心配なんてよ」
ガムは腹を揺すって笑った。本人にその気がなくても、大きな笑い声は恭太郎を執拗に辱める。その様子からすると、恭太郎に言われるまで、本当に性欲など念頭になかったようだ。
「なんだよ。この中に、おまえの恋人がいるのか?」
恭太郎は胸の内を見透かされて、鼓動が大きく波打った。女性にと曖昧な言い方をしたが、美晴を守りたいと真っ先に頭に浮かんだのは確かだ。
黙っていると、ガムは玩具を与えられた子供のようにはしゃぎ、女性陣を視線を巡らせた。
「あんたかい?」
指を差された葉子は、引きつったまま首を横に振った。
「じゃああんたか。そうだろ?」
ガムが次に指差したのは千都留だった。千都留は彼を睨み返したが、ガムはニヤニヤと受け止めるだけだ。意図してやっているかはわからないが、一人ずつ問い詰めることで、心理的圧迫を掛けている。
「やめて」
美晴が耐えかねて、圧力を弾いた。恭太郎が止める間もなかった。
「なんだ。あんただったのか」
ガムは殊更にいやらしい笑みを浮かべた。
「そうよ。だからなに?」
美晴は挑戦的な態度を崩さない。一度心が挫かれたら、再び立ち向かうのは困難になると知っているのだ。
「睨んでくれるじゃねえか。いい加減にしないと、後悔することになるぜ」
「そのへんにしときなさい」
再びチョコが割って入った。美晴を助けるというより、ガムの稚気にうんざりしている様子だ。早く休みたい欲求もあるのだろう。
「でもよ、こいつら人を舐めすぎだろ。自分たちの立場も弁えずに……」
「それだけあんたが下品に映ったんでしょ」
ガムの笑いがピタリと止まった。恭太郎としては溜飲が下がる思いではあるが、一方であまり刺激しないでくれと祈る。この大男は、怒ると手が付けられなくなるのは、さっきの件で証明済みだ。
「そうね……あなた」
チョコが指差したのは俊哉だった。
「ぼ、僕?」
いきなり指を差された俊哉は、哀れなほど狼狽えている。
「そう、あなたよ。人質はあなたになってもらうから」
「なんでっ、なんで僕なんだっ」
俊哉は子供のように喚いた。他の者を開放して彼だけが取り残されるわけではないのだから、そこまで狼狽えることはないのだが、やはり心理的圧迫を考えると抵抗したくなるのは仕方ないのだろうか。
それよりも、チョコが力で劣る女性を選ばなかったのが意外だった。恭太郎と同じ心配をしているわけではないだろうし、もしかしたら抵抗されるとは考えないのだろうか。
「おい、こんな小僧と二人きりでいても、つまらないぜ。このガキが想像してることなんかするつもりはねえが、やっぱり姉ちゃんの方がいい」
ガムの抗議に対して、チョコは大げさに肩を上下させて溜息をついた。
「遊んでるんじゃないのよ。ここから出るまで、もっとも安全な策を取るだけ」
「だったら、尚のこと女の方がいいんじやないか。腕力の差ってもんがある」
「そうだ。男を選ぶなら僕でもいいだろ」
ガムの考えに同調するわけではないが、提案を持ち掛けた自分が残るべきだという責任感が、彼の意見を背中押しした。
「駄目よ」
恭太郎の食い下がりを、チョコはピシャリと跳ね除けた。
「こういう時は、男も女も関係ないの。寧ろ女の方が肝が座るものよ。それにね、あなた……」
チョコは恭太郎を見据えたまま続けた。
「あなた、なにか油断ならないのよね。私の勘がそう言ってるのよ。もこもこの綿の奥深くに、硬い兇器を隠して持ってるって感じ」
「……とんだ見当違いだ」
「そう?」
美晴を守りたい一心で必死に抵抗したが、恭太郎はチョコが言うような強さを持っているとは思わなかった。真に強い者とは、状況に左右されることなく冷静な対応ができる者を指すのであって、今の自分のように一欠片の勇気に縋って踏ん張っているのを強いと言えるのか疑問を感じる。
せっかく男である俊哉を選んでくれたのだ。これ以上絡んでチョコの気が変わったら厄介だ。そう判断した恭太郎は、おとなしく従うことにした。
「……わかった。それでいい」
本人の胸中などお構いなしに決められて、俊哉は力なく頭を垂れた。こういった意思の弱さが、チョコの目に留まったのではないだろうか。
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