第21話 水は低きに流れ

 それから、何人かがトイレに立ち、その都度ガムが付いていくといった行為が繰り返された。ガムは「面倒くせえな」と悪態をついたが、知ったことではない。その原因を作っているのは彼らなのだ。トイレの度に縛ったり解いたりをしていたのでは、ガムの苛つきはもっと大きなものになっていただろう。孝之の進言は正解だったのだ。

 恭太郎は、それとなくチョコの観察を続けていた。しかし異変は予想外のところで起きた。


「おい、どうした?」


 孝之が焦って香澄の肩を揺すっている。香澄は、力なくぐったりと孝之にもたれかかって揺すられるがままだ。


「なんだか……頭が痛い。熱があるみたい」


 荒い呼吸の中で出た声は、絞り出したという表現が当てはまった。


「なんだよ。こんな時に……」


 ガムがいかにも迷惑そうに顔を歪めたのが、言い方に力が籠っていなかった。怪我をさせてしまったのが原因だと弱気になっているのだ。

 恭太郎の胸に重たい感情が降りてきた。こんな時もなにも、その元凶はおまえらだろうに。本人は掠っただけだと言っていたが、拳銃で撃たれるなんて経験、普通に生きていれば一生縁のないことだ。肉体的なものより精神的なものが作用して、発熱や頭痛を引き起こしたのは想像に難くなかった。香澄の傍若無人さには辟易し憤ったが、だからといって苦しんでほしいわけではない。

 ガムが立ち上がって、香澄の額に手を当てようとしたが、孝之がその手首を掴んだ。


「ああ?」

「彼女に触るな」

「本当に熱があるか確かめるんだよ。仮病かも知れねえだろ」

「これが仮病なわけないだろうっ」

「わかるもんかよ。どうもおまえらは油断がならねえ。いかにも噛みつきそうな、その目が気に入らねえんだよ」

「待てっ」


 二人の言い争いが加熱する前に、恭太郎は間に入った。また暴力に発展するのを阻止する意味もあったが、それ以上に考えていた案を伝えるためでもあった。ある意味、絶妙だとも言えた。このタイミングを逃したら、もう切り出すチャンスはないような気がした。


「なんだぁ? おまえも殴られたいか」


 ガムが威圧してくる。しかし、それは怯弱の裏返しで予想の範疇だ。目と腹に力を込めてなんとか耐えた。


「落ち着いて。逆らう意志なんかない」

「じゃあ、なんだってんだよ」


 ガムは明らかに苛ついている。彼自身、長時間の緊張で、まいり始めているのだろう。恭太郎は、今より他にないと確信を強めた。


「ひとつ、提案があるんだ」

「提案だと? 意見できる立場だと思っているのか?」

「僕たちだけじゃない。あんたらにも益のある話だ。だから提案なんだ」


 恭太郎は、必死に口調を落ち着いたものに維持した。これから取引を持ち掛ける以上、早口になって怯えを気取られることは避けたい。状況がどうであれ、精神的には対等だと思わせなければ、相手な有利な条件で丸め込まれるだけだ。


「……言ってみろ」


 来たっ。

 どんなに強靭な精神の持ち主でも、今よりも楽な道を示されれば、必ずそっちに向かう。それが生き物の本能だからだ。精力が有り余っていようが、体力に自信があろうが、休息は絶対に必要だ。

 恭太郎は、舌で唇を湿らせてから切り出した。


「……みんなを、特に香澄さんを部屋で休ませてほしい」

「ふざけるな。それのどこが提案なんだよ」

「最後まで話を聞いてほしい。休んでもらうのは、香澄さんだけじゃない。あんたの相棒もだ」

「なんだと?」

「チョコって呼ぶよ。本人がそう言ってたからね。さっきから見てたけど、チョコの顔色はひどく悪い。出血して血が足らないんじゃないか?」

「………………」

「座っているのもやっとって感じだ。違うか?」

「……余計なことは言わない方が身のためよ」


 チョコは恭太郎を睨んで、銃口を向けた。

 心臓が冷水を注ぎ込まれたように縮まったが、ここで怯むわけにはいかない。奥歯をぐっと噛みしめる。


「銃を置いてくれ。そんなフラフラの状態じゃ、誰に当たるかわからない」

「こっちは誰でもいいのよ」

「罪を重ねるのか? 強盗に殺人まで加わったら、あんたらは破滅だぞ。いいから聞いてくれ」

「大人しいガキだと思ったけど、意外と度胸があるじゃない。虚勢じゃないとは言い切れないけどね」


 憎まれ口を叩きながらも、チョコは銃口を恭太郎から外した。


「続けなさい」

「このまま一ヶ所に固まって睨み合っていても、ジリ貧だ。各々の部屋でベッドで寝た方が、ちゃんと休息が取れる。もちろん、チョコが休む部屋も提供する」


 恭太郎の提案に、一同は驚きを隠せないでいる。香澄になんの断りもなく話を進めているが、反対する気力など残っていないはずだ。


「なにを言い出すかと思えば……」

「口を開く時は、よく考えてから喋れよ。部屋に入られたら、なにをするかわかったもんじゃねえ。そんな話に乗るわけねえだろ」

「あんたこそ、よく考えなよ。部屋に入ったからってなにができるってんだ? スマートフォンは没収されちまったし、助けを呼ぶことなんかできない。連絡する手段なんかないんだよ」

「……窓から逃げ出すかも知れねえだろ」

「逃げ出してどうするんだ? ここは幹線道路から外れて、車で三十分は掛かるんだ。しかも森の中には外灯なんか一つもないから、自分の足元だって見えやしない。そんな状態でどこまで進めるか……。第一、二階から飛び降りることだってできやしないよ。そして、もう一度言うが、スマートフォンは没収されたから連絡手段なんかないんだ」

「ふうむ……」


 ガムが鼻から息を吐いた。彼の頭の中では、恭太郎の話にどこまで信憑性があるか計算しているのだ。


「助けを求めるには、たっぷり二〜三時間は掛かる。その頃には、あんたらは出ていくんだろ。夜明けには出ていくって言ってたもんな」


 ガムは助けを求めるようにチョコに視線を投げた。普通なら到底受け入れられない提案だろうが、相棒が怪我をして弱っているこの状況下なら、妥協するのもありと迷っているのだ。もう一押しと、次弾を放った。


「それに、もう一つ利点がある。あんたらだって人間だ。疲労が極限に達すれば隙だって生じる」

「油断なんてしねえ」

「聞きなって。あんたらは二人でしかも一人は怪我人だ。対して僕たちは香澄さんを抜かしても六人いる。いくら銃を持ってたって、一斉に飛び掛かられたら対処できるかい?」

「おまえらガキに、そんな度胸があるとは思えねえな」

「窮鼠猫を噛むってこともある。でも、部屋で休ませてくれるなら、あんたは階段を見張ってるだけでいいんだ。下に降りるにはあの階段を使うしかないんだから。それに、各々の部屋に分かれれば、相談もできなくなる。どうだい?」

「なんか怪しいわね。人質が犯人に有利になる話を持ち掛けるなんて」


 チョコが訝しんでいる。目は鋭く光っているが、負けないくらい額も汗で光っていた。相当我慢している証拠だと、恭太郎は自分を鼓舞した。


「なにもあんたらにだけ有利なことを喋ってるわけじやない。最初に言った通り、これはお互いのための提案なんだ。僕は香澄さんをちゃんと休ませたいし、他のみんなにだって休憩を取ってほしいだけだ」

「……いいわ。その提案、乗ろうじゃない」

「おい、チョコッ」

「ただし……」


 チョコは恭太郎を睨んだ。


「もう一度、徹底的に部屋を調べて身体検査もさせてもらう。今時のガキは、携帯端末を二つも三つも持ってるのも珍しくないからね」

「いいよ。気の済むようにやってくれ。その代わり、なにもないとわかったら、みんなを休ませてほしい」

「約束は守るから安心しなさい」


 チョコは面倒臭そうに、恭太郎の声を手で払った。彼女の我慢も限界に近づいている。一刻も早く横になりたいのだろう。

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