第20話 危うい交渉

「くだらないことに体力使っても、しょうがないでしょ」

「くだらないとはなんだっ。俺は顔を見られちまったんだぞっ」

「そんなもん、どうとでもなるわよ」

「おまえは自分が見られてないから、冷静でいられるんだ。事故は起こすし顔は見られるし、もう計画もなにもありゃしねえっ。おまえなんかと組んだのが間違いだったっ!」

「………………」


 チョコは徐に自分の被っているフードウォーマーに手を掛けた。


「おい、なにを……」


 ガムは最後まで言葉を発することができなかった。チョコが一気にフードウォーマーを剥がし、自らの顔を晒したからだ。


「バカッ。なにやってんだっ?」

「言ったでしょ。どうにでもなるって」


 慌てるガムとは対象的に、チョコは飽くまで冷静だ。切れ目で整った顔立ちの美人だが、彼女の性格を反映してか、どこか冷たさを感じさせる。


「これで私とあなた、同じ条件よ。自分だけ助かろうなんてハナから考えてない」

「う……」


 女であるチョコにここまでさせて、さすがにバツが悪くなったガムは黙るしかなかった。怒りと焦りに我を忘れて取り乱してしまったことを、今さらながらに恥じ入るばかりだ。冷静さを持続しなければ、負の連鎖を断ち切ることはできないと改めて思い知った。


「時間は貴重だわ。誰にとってもね。もっと有意義に使わなきゃ」

「じゃあ……こいつら、どうするよ?」

「まず、全員からスマホを取り上げなさい。その勇気あるお嬢ちゃんみたく、また通報されたら面倒だし」


 お嬢さんではなくお嬢ちゃんと言うところに、彼女の上から目線が窺えた。当の葉子は、顔面蒼白になって、まだ縮こまっている。

 葉子は、自分が助かりたいのも勿論だろうが、少なからずみんなのためを思って行動したに違いない。それなのに、俊哉からはあからさまに侮蔑と怒りが滲んでおり、葉子を睨んでいた。

 恭太郎は胸の奥が不穏になるのを感じた。強盗とは別のところで余計な火種が発生しなければいいのだが……。


「おら、早く出しな」


 さすがに、もう隙を衝こうとする者はおらず、言われるがままに次々とスマートフォンを差し出した。バッグに入れてある物は、チョコが再び各部屋を廻って回収した。

 全員分のスマートフォンが、ガムが携帯していたバッグに収められた。これで、もう外界と連絡をする術は断たれた状態になった。


「あとは……そうだな。また暴れられたら面倒だから、縛っとくか」


 ガムは日常会話のように物騒なことを言い出し、室内を見渡した。

 人を縛るようなロープなんて、もちろん都合よく転がってなどいないが、カーテンを裂いたり、家電製品のコードを利用したりと、方法はいくらでもある。


「あの……」


 おずおずと美晴が切り出した。いつ言おうかとタイミングを見計らっていた様子だ。

 なにを言い出すのかと、恭太郎は焦った。今、この二人組を刺激するのは得策ではないのは明らかで、彼女の口から出た言葉が起爆剤となってガムが再び激昂したら、止められる自信がなかった。

 でも……それでも、いざとなったら、体を張ってでも止めてやる……。

 ありったけの勇気を掻き集めて身構えるが、美晴から発せられたのは予想外なことだった。


「トイレに……行きたいんですけど」


 思考が麻痺していて、当たり前の生理現象にまで考えが至らなかった。極度の緊張に加えて、ついさっきまでは飲み食いしていたのだ。ずっと我慢していたのが、限界に近づいたのだろう。美晴は恥ずかしそうに上目遣いに訴えている。


「あ、あの、私も……」

「僕も、もうヤバいかも……」


 美晴が言い出した途端、葉子と俊哉からもトイレの要求が出てきた。誰が最初に言い出してくれるのかと待っていたに違いない。


「面倒くせえな。そんなもん、そこら辺にたれ流せ」

「そんなことできるわけっ」

「あん?」

「……ないでしょう」


 凄むガム相手に、葉子の声は小さくなった。それでも、生理現象が抑えられるわけではない。


「お願い。もう……」


 葉子が涙声で訴える。嗜虐心が刺激られたらしく、ガムはそんな様子をニヤニヤ嫌らしい笑みを浮かべて眺めているだけだ。

 この……クズが……。

 恭太郎は胃の中に熱湯を注がれたような怒りを覚えたが、どう行動を取ればいいのかわからずに、奥歯を噛みしめるだけだった。


「あんまりゲスいことすんじゃないよ」


 意外なところから助け船が出た。チョコが蔑む視線を向けている。


「なんだよ……」


 ガムは途端に不機嫌になるが、声に張りがない。自分の行為が如何に幼稚であったのかを思い知らされた様子だ。


「わりい。この女があんまりにも……あれだったもんでよ」


 歯切れ悪く言い訳する。さっきから観察していて感じたことだが、二人の力関係は明らかにチョコの方が上だ。状況判断や的確な決断はガムにはない。チョコが指揮官、ガムが実行部隊といったところか。


「若い女の子に恥をかかすもんじゃないわ」

「だから、ちょっとからかっただけだって。そんなに睨むなよ」

「女の子から先に行かせる。もちろん、私が付いていくけど」


 チョコは、これみよがしに銃をチラつかせた。散弾銃などゲームの中でしか見たことはなかったが、あれも本物の銃だと見るべきだろう。

 恭太郎の頭には、どうやって手に入れたのかという疑問が湧き上がった。普通に生きてきたのであれば、あんな物騒なもの手にする機会すらないはずだ。

 美晴が最初で、葉子、俊哉の順でトイレを行くのを許された。ただし、俊哉に付いていったのはチョコではなくガムだった。


「さてと、これでもういいよな?」


 ガムが改めて縛るためのロープを物色し始めた。その背中に孝之が抗議する。


「待てよ。縛った後でトイレに行きたくなったらどうするんだ」

「そんときゃ、解いてやるよ」

「それで、また縛るのか。ひどく効率が悪いな」


 孝之の言うことはもっともだったが、口調はぞんざいで、明らかに挑発していた。一度痛めつけられたことで、心が萎えるどころか突き抜けてしまったのか。


「なんだぁ? おまえ、さっきからやたら反抗的だな」

「やり方が全然クールじゃないって言ってるのさ。そんなんだから、こんな余計な面倒を背負い込んでるんだよ」


 この挑発には、ガムよりもチョコの方が頬をピクリとさせた。恭太郎は鼓動が速くなるのを感じながらも、大した度胸だと感心もしていた。いや、銃を持った相手にここまで言えるとは、度胸を通り越して無謀ともいえた。

 同じことをチョコも感じたらしく、偽名が示す通り、溶けたチョコレートを彷彿とさせる、ねっとりとした妖しげな笑み浮かべた。


「あなた、勇気があるのね。一歩間違えれば向こう見ずとなる危うい勇気だけど、震えてるだけの臆病者より、よっぽど好きよ」


 一瞬だけチラリと恭太郎と俊哉を一瞥したのを見逃さなかったが、意趣返しの挑発に乗ることはないと自分を納得させた。それから、しばらく膠着状態が続いたが、チョコが止まった時を再び動かした。


「たしかに縛ったり解いたりを繰り返すのは面倒ね。いいわ。縛るのはやめといてあげる。その代わり……」

「わかってるさ。抵抗すれば、今度こそ容赦しない、だろ?」

「そういうこと」


 恭太郎たちは壁際に座らされ、二人はテーブルの椅子にどっかりと腰掛けた。

 縛られないだけマシと思う他なかったが、体が動かせる分、なんとか銃を奪えないかと考えてしまう。それゆえ、焦燥が募りに募る。俊哉はどうかわからないが、孝之もその機会を窺っているようだ。散々蹴られた恨みもあるのだろう。目がギラギラと光って、そばにいるだけで息苦しくなった。


「いいもん食ってんじゃねえか。ガキのくせによ」


 腹が減っていたのか、ガムはまだ残っていた食事を意地汚くつまみ始めた。彼の口からは、やたらと「ガキのくせに」が出てくる。裕福な者に対するコンプレックスを抱えているのを感じた。金を持っているのは、香澄や孝之ではなく彼らの親なのだが。

 チョコはつまみ食いなどしなかったが、ボトルからワインを注いで、チビリと飲んでいた。さっきから気になっていたことだが、ひどく顔色が悪い。先ほどからの余裕の態度は実は演技で、必死に気丈に振る舞っているようにも見える。腕の怪我が相当辛いのかも知れない。だとしたら、これからの彼女の言動には逐一注意を払わなければならない。もしかしたら、千載一遇のチャンスが訪れる可能性があるのだから。

 恭太郎は、彼らから、特にチョコから目を離さないよう気を張った。

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