第18話 晩餐は終わり
体が硬直して動けないでいると、孝之が後退りして戻ってきた。顔面が蒼白になっており、目が見開かれている。
「孝之?」
只事ではない様子に、さすがの香澄も不安を顕にしている。
香澄の呼び掛けに応じる余裕もないまま、孝之は後退してリビングに入った。
「へえ。随分と小洒落た内装じゃないか」
孝之に続いて入ってきたのは、見知らぬ二人組だった。体型から男女のカップルだとわかった。体型からというのは、二人とも黒いフードウォーマーを装着していたからだ。目の下まで覆えるネックカバーが付いており、露出しているのは目の周りだけだった。その姿にも驚いたが、それよりも恭太郎の目は彼らの手に釘付けになった。男の手には黒くて鈍く光る拳銃が握られており、女の方は散弾銃を構えていた。
本物? まさか……モデルガンじゃないのか。
現実感が乏しい状況に突然放り込まれて、恭太郎の思考は停止してしまった。
恭太郎だけではない。その場にいる全員が氷漬けにされた魚のように、一切動けなくなっていた。
「なっ、なによ、あなたたち。ここは私の別荘よ。出てって」
香澄は孝之とほとんど同じ台詞を吐いた。出てけと付け加えた点は、気丈というところか。
「香澄さん。やめとけ」
俊哉が声を絞り出す。彼も侵入者の手に握られている物に気づいたのだろう。喉にへばりついた声を、やっと押し出した感じに掠れていた。
「ここには、今何人いる? これで全員か?」
香澄を無視して、男はリビングを見渡した。誰も彼の問いに答える者はいない。
「質問に答えねえかっ」
男の恫喝に、一同の体が跳ねた。恐怖が精神を腐食し、まともな判断力を鈍らせていく。
「あ……ああ。これで全員だ。あんたらの目的はなんだ?」
孝之が答えた。声が震えているが、目はしっかりと男を見据えている。恭太郎は感嘆すると同時に、なんでこんな男が香澄なんかの恋人なのだろうかと、場違いなことを考えた。
「みんなガキか。大人は一人もいないのか?」
男は孝之の問いを無視して、一人一人舐るように視線を移動させた。
今の今まで酒を飲んでいた相手をガキ呼ばわりする。このことで、侵入者の年齢が伺い知れた。三十から四十代か。いや、最近は高齢者でも若々しさを保っている者もいる。五十代の可能性も捨てきれない。
「ここに救急セットはあるか?」
男が質問した。ただ、あまりの緊張感と脈絡のない質問だったので、答える者はいなかった。男は癇癪を起こしたように、一人掛けのソファを蹴飛ばした。女性たちから短い悲鳴が上がる。
「……あ、ある。万が一の場合に備えて、あるはずだ」
なぜか、客の立場でここには初めて上がり込んだ俊哉が答えた。あまりにも突発的な展開に、恭太郎同様に考える力が停止してしまったようだ。最後の方は視線を香澄に向けていた。
「……あるわ」
「よし。晩飯は終わりだ。みんなこっちに移動しろ。壁際に並ぶんだ」
男は指示を出したが、すぐに動く者などいなかった。惚けたように座ったままだ。
「早くしろっ」
男の怒号が爆ぜる。恭太郎は条件反射みたく立ち上がり、美晴の手を取って壁を背にした。
他の者も同様だったが、香澄だけは怯えながらも男を見据えている。家主としての意地がさせているのだろうが、戦力の差を計算できない虚勢は愚か者の行動だ。
「なんだ? 粋がいい姉ちゃんがいるな。さっき出てけと言ったのもあんただったな」
男が香澄の視線を受け、揶揄する。既に場を完全に支配したと自覚しているのか、喋り方に余裕があった。
「香澄。言うことを聞くんだ」
孝之が彼女の腕を掴んで強引に立たせた。香澄は悔しげに奥歯を食いしばっているが、逆らうだけの度胸はないようだ。この場合は、その方がありがたかった。
「おい」
男が顎をしゃくって、香澄に言った。
「救急セットはどこにある?」
「二階の突き当たりにあるクローゼットに入っているはずだわ」
「よし、俺と一緒に来い。救急セットを持ってくるんだ。ついでに二階の確認もする。こいつらが嘘をついているとも限らねえ」
「嘘なんかついてない。これで全員だ」
「そうだといいな。お互いのために。おい、早く立て」
「待て。僕が行く」
「駄目だ。このお嬢さんが行くんだ」
孝之の訴えを軽くいなして、香澄を急かした。銃を上下に動かすだけで、有無を言わせぬ圧力がある。
「香澄……」
「大丈夫……大丈夫だから」
「あんたこの子の彼氏かい? 心配すんな。取って食うわけじゃない」
目だけしか出ていないが、男は下品に笑ったようだ。香澄を先頭にして二階に姿を消した。
「なあ、あんたらいったいなにが目的なんだ? ここは別荘だ。金目のものなんか置いてないぞ。僕たちは全員学生で、現金だって小遣い程度しか持っていない」
孝之は残った女の方に質問した。いつの間にか、恭太郎たちのリーダー的立ち位置にいると気づいて責任感を発している。気丈に振る舞ってはいるが、声は哀れなくらい萎えていた。
「金なんかいらないよ。今の私たちは、この別荘の持ち主より金持ちだから」
体つきから女だとわかっていたが、声を聞いたことで、より確固なものになった。物騒なことをしているわりに、軽やかなメロディーみたく綺麗な声だった。
女は自分で言ったジョークが可笑しかったのか、クックと含み笑いをした。
「車……」
「え?」
恭太郎が孝之の耳元で囁くと、彼は怪訝そうに眉をひそめた。
「車のキーを渡すんだ。奴らの狙いは移動手段を確保することだ」
「なにをコソコソ話しているっ」
女が銃口を恭太郎に向けた。
怒鳴られて、恭太郎の張っていた気は急速に縮んだ。これまで一度も経験したことのない恐怖が骨の髄まで食い込み、抵抗しようと抗う精神を駆逐していく。それでも、このまま硬直してなにもしないわけにはいかない。肉食獣に襲われた草食動物も、生き延びるために必死の抵抗をする。逃げたり、隠れたり、時には反撃したりもする。蹂躙されるがままの流れを変えなくてはならない。
「……あんたら、駅近くの民家を襲った二人組だろ」
顔が隠れていても、女が動揺したのがわかった。初めて見せた感情の揺らぎだ。相手は決して心のない機械ではない。虚を突けば驚くし、不安や怖れだって抱く、同じ人間だ。それがわかり、恭太郎は少しだけ勇気を得た。
「……なに。もうニュースになってるの」
「逃げるための車を探して、ここを見つけたんだろ?」
「……へえ。お見通しってわけ。山道を抜けて逃げおおすつもりだったのに、カーブで曲がりきれなくて車を潰しちゃったの。マヌケな話よね」
あのカーブだ。恭太郎は、来る際に通り掛かった、ほとんどU字の場所を思い浮かべた。事故と聞いて初めて気づいたが、女は手の甲から血を流している。黒い手袋が血を吸っているので垂れることなく床を汚すことはなかったが、滲み具合から決して少量の出血ではないことが窺えた。
「車なら持ってっていいから、さっさと出ていってくれないか」
孝之がキーを差し出すと、女はすかさずひったくった。まるで所有権は自分にあるのが当然という感じにだ。
「どっちの車?」
「……ワゴンだ」
「ふん。ガキのくせにいい車転がしてるのね。親のスネ齧ってんでしょ」
女はホルダーに指を引っ掛けて、くるりと一回転させてからポケットにしまった。
「もういいでしょ。早く出てってよ」
千都留がヒステリックに叫ぶが、女は鼻で笑った。
「馬鹿なの。こんな時間に車飛ばしてたら、捕まえてくださいって言ってるようなもんでしょ。それに、私たちが出ていった途端に通報するつもりでしょう」
「通報なんかしないわ。出てってもらえれば、それでいいもの」
「信用すると思う? ヌルい学生さんとは違って、大人の世界じゃ嘘や裏切りなんて日常茶飯事なのよ」
女の声が少しだけ陰った。香澄たちにではなく、自分に言い聞かせている感じだった。同情なんかしないが、強盗を働くに至った背景というものがあるということか。
姿を消していた香澄と男が、階段を降りてきた。香澄の背には銃が付きつけられたままだ。
「誰もいなかった。やっぱりこいつらで全員みたいだ」
「だから、そう言ってるじゃないか」
男は噛みつく孝之を一瞥して、再び香澄を壁際に座らせた。乱暴されずに戻ってきてくれたので、孝之は胸を撫で下ろした。
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