第16話 悪魔が苦手な音
香澄の我の強さは噴飯ものだったが、アルコールが入れば不愉快さも多少は軽減できる。だから世の中のサラリーマンは、仕事帰りの一杯がやめられないのかなどと考えてしまう自分がいる。
夕食前の酒宴はそれなりに盛り上がった。俊哉が暇潰しにと持ってきたトランプで大富豪を興じた。孝之はポーカーを提案したが、恭太郎がルールを知らなかったのだ。最初は子供っぽいと愚痴を言っていた香澄も、だんだん熱くなっていった。
トランプで行うゲームに大抵当て嵌まることだが、進行していくうちに、その人の人柄なり性格が透けて見えてくる。香澄はなにも考えずにその場の流れに任せるがままにする向こう見ずで、如何にもわがままなお嬢様らしい。孝之は逆に熟考派で、運に頼るゲームであろうが、慎重さが窺える。俊哉に至っては、カードを取る手つきに小狡さが滲み出ているように見えてしまう。動きに変な癖があるわけではないのに、不思議なものだ。
恭太郎はトランプゲームなど久し振りだったせいか、貧民で終わってしまう回が多かった。革命など逆転するルールはあるのだが、引くカードによる運が大きく影響するゲームだ。こんなに負け続きだと、今日は運に見放されている日なのかと首を捻りたくなった。
「さすがにシュード……の彼氏だけあるわね」
香澄が、耐え切れずにと言った感じで吹き出した。
「香澄さん、それは……」
俊哉が急に焦り始めた。妙に居心地が悪そうだ。知らない単語が混ざっていて聞き取れなかったが、なにか不快なことを言われたのは感覚でわかった。
「シュー……なに?」
「なんでもないよ。香澄さん、今日は……」
「あら、ごめんなさい」
悪びれた様子のない香澄に対して、俊哉の焦り具合は不自然なほどだった。孝之も恭太郎と同様なにか違和感を覚えたらしく、どうリアクションを取っていいのか困っている。
場の雰囲気が微妙なものになった時、まるで助け舟を出してくれるように、美晴たちが料理を運んできてくれた。
居心地の悪さは恭太郎も感じていたので、さっさと立ち上がって料理をテーブルに並べるのを手伝った。孝之も恭太郎に追従する形で、手伝い始めた。
香澄が動かないのはもう諦めたが、俊哉も恭太郎たちが動くのを眺めながら飲み続けたのは、苛立ちを覚えた。不愉快さを中和してくれたアルコールが蒸発していく気分だった。
「時間がなかったし、簡単なものになっちゃったけど」
千都留は恥ずかしそうだったが、普段からちゃんと料理をしているのを窺わせる出来だった。肉料理がメインの内容で、スープとサラダもある。決して手の込んだものではないが、食べる者に喜んでもらおうと意図する工夫が垣間見られた。その気遣いが程よい調味料になりそうだ。
スープを並べていたのは葉子だが、華奢な彼女には重たかったのか、皿を乗せたトレイのバランスを崩した。
「あっ」
落とすまいと必死に腕に力を込めたのが災いして、乗せられた皿はすべて自分に向かって落下してしまった。
「熱っ!?」
不幸中の幸いというべきか、彼女の体がクッションの役目を果たしたため、皿は割れずに済んだ。だが、当然ながら中身が盛大に葉子の服にぶちまけられてしまった。せっかくのニットベストがスープを吸ってしまったが、彼女はそれよりも床を汚してしまったことの方を気にした。
「ごめんなさいっ。私ったらなんてことを……」
「なにやってるのよ。どんくさいわね」
すかさず、香澄が嫌味で攻撃する。熱いスープを被った葉子の心配もせずにだ。ここまで来ると、もういちいち相手にするのも時間の無駄と思えた。葉子はまるで取り返しのつかない大失態をやらかしたように萎縮してしまっている。
「ここはいいから、早く着替えてらっしゃい」
美晴が葉子の肩を抱いて、強引にその場から離れさせた。こういう場合、男よりも女の方が素早く動けるものらしい。場慣れしているということなのだろうか。
「でも、一泊だけだから上着の替えなんて……」
「だったら、私のセーター貸してあげる」
千都留が美晴と交代し、二階へと連れて行った。女の出掛ける際の荷物の多さには日頃から呆れていた恭太郎だったが、意外なところで役に立つものなのだなと、変に感心してしまった。彼は上着どころか下着の替えさえ持ってきていなかった。
「さっさと床を掃除してよ」
香澄はますます傍若無人振りを発揮した。いや、人を使おうとしているのだから暴君振りと表現した方がピッタリだ。恭太郎は荒く息を吐いた。蒸発したはずの不快感さが、再び澱となって胸の奥底に溜まっていく気分だった。
一悶着あったが、やっと全員が席に着いた。自然とカップル同士が隣席になる。その中にあって、葉子の存在はやはり浮いてしまい、改めて本当に自分から進んで来たのか疑問を抱いてしまった。
彼女は千都留から借りたハイネックのセーターに着替えていた。デザインは千都留が着ているものと瓜二つで、体型も似ていることから、まるで似ている姉妹のように映った。
「お揃いだね」
千都留は無邪気にはしゃいだが、葉子は先の失敗を気にしているのか、弱々しく微笑むだけに留まった。もう済んだことだし、美晴たちがきちんと片づけたのだから、そこまで気にする必要はないと思うのだが、生来の性格らしい。そんなところが、香澄の嗜虐心を刺激するのではないだろうか。
恭太郎は、数時間前に会ったばかりの彼女の行く末を心配してしまった。恭太郎はこの前まで働いていた。だから、わかる。社会に出てもいじめからは解放されない。いや。もしかしたら、学生時代よりも弱肉強食が表立つ世界かも知れない。
集団の中において、れっきとした優劣関係があり、どれだけコンプライアンスを掲げようが、陰湿な仕打ちや暴力的な発言、相手を追い込む無視などはなくならない。先ほどの俊哉のSNSの説は、現実世界では苦手な相手に立ち向かえない軟弱な者が、インターネットの中で更なる弱者を探しているという。おそらく的を射ていて、それを擁護する葉子の将来は、他人の恭太郎でさえ不安を搔き立てるものだった。
「じゃあ、いただきましょ。乾杯から始める?」
場の雰囲気を和ませようと意識してか、千都留は殊更陽気に振る舞った。
「私たちはもうやっちゃったけど、いいわ。もう一度乾杯しましょう。何度やってもいいものだから」
早くも頬を染めている香澄がグラスを高々と掲げた。全員がそれに倣う。
「それでは、新しい友人との出会いに……」
「乾杯っ」
新しい友人……。恭太郎は内心溜息を吐きたくなったが、強いて反対するのも馬鹿馬鹿しい。この連中とは今回限りのつき合いで、美晴にもそれとなく縁を切るように勧めよう。そう毒づきながらグラスを合わせて、中身を飲み干した。
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