第13話 潜伏する邪気

 入ってまず圧倒されたのは、三和土の広さだった。このスペースだけで恭太郎の部屋の半分近くある。ちろりと嫉妬の炎が灯った。飾り棚にはガラスの置時計があった。尖頭状のアーチ形をしており、三~四㎏くらいはありそうだ。ちゃんと時を刻んでいることに、軽く驚いた。

 建物の中は必要最低限の家具しか置いておらず、清潔感があった。床や窓も綺麗に掃除されていて、空気も淀んでいない。恭太郎がそのことを口にすると、香澄は前日に頼んで掃除を済ませておいたのだと説明した。


「寝室は二階か。何部屋あるの?」


 俊哉も浮き立っていた。まさか夜中に夜這いするなんて考えて部屋数を訊いたのではないだろうが、彼の口調はどうにも心をざわつかせる。


「八部屋あるよ。狭いけど、寝るだけだから問題ないよね」


 見上げると、階段は壁際に配置されており、二階の様子は下からでは確認できない。小さい子供がいる家庭なら不安を感じる造りだが、一泊するだけなら、香澄の言う通りなんの問題もなかった。だが、俊哉は余計なことを言った。


「トイレに行くのに、いちいち下まで降りないといけないんだ。面倒だな」


 俊哉としては悪意はなかったのだろうが、香澄はあからさまに不機嫌になった。


「ホテルに招待したわけじゃないよ。気に入らないなら帰ったら」


 自己中心的な人間ほど、他人からの中傷を敏感に、しかも大げさに捉える。香澄の言い方に冗談は含まれていなかった。

 俊哉も口を滑らせてまずかったのを悟り、慌てて取り繕った。


「ごめん。不満なんかないよ。ただ、夜にはたくさん飲むだろうから、ちょっと心配で……」

「はあ? なに子供みたいなこと言ってんの」

「もうよせよ。俊哉くんも謝ってるじゃないか」


 孝之が間に入る。彼からしてみれば、もうお馴染みの場面なのだろうが、いい加減に辟易しているのが、その重たそうな口調から察せられた。


「……まあ、孝之がそう言うなら」

「本当にごめん。久し振りの旅行ではしゃいじゃったんだ」


 俊哉はもう一度頭を下げた。

 トラブルに発展しそうになったがなんとか治まり、ごく自然に一旦腰を落ち着ける流れとなった。互いに初対面の者が何人かいるため、自己紹介をしなくてはならないという理由もある。

 男性陣が途中で買い込んだ食料や各々の荷物を運んでいる間に、女性陣がお茶を淹れてくれた。ただ、香澄だけはさっさと居間のソファーでくつろぎ始めた。またもや、恭太郎の胸に微かな暗雲が立ち込める。

 美晴たちが淹れてくれたのは紅茶だった。恭太郎はコーヒー党だが、こんなところで注文を出すのは無粋だ。


「じゃあ、改めて自己紹介といきましょう」


 仕切るのは、やはり香澄だ。さっき合流したばかりの、香澄から俊哉と呼ばれてた青年は山越俊哉やまこしとしや。香澄と孝之とは遊び友達で、しょっちゅう行動を共にしているわけではないが、こういうイベントの際には声を掛ける間柄だという。

 最初の挨拶から受けた印象通り、少し軽そうな男だ。軽快な口調と豊富な話題を武器に、広い交友関係を持っていそうだが、反面、飽きた相手とはすぐに離れていきそうな雰囲気がある。

 その連れである女性は、伊庭千都留いばちづると自己紹介した。俊哉とは対照的な誠実そうな女性で、和服を着せたらとても似合いそうな落ち着いた仕草である。俊哉は自分の同伴者であることを強調したが、彼の恋人というよりも、彼の方が一方的に熱を上げているように見える。もしかしたら、この旅行中により親密な関係になりたいと狙っているとも考えられた。恭太郎は、自分と美晴の間にはなにか変化が生じるのだろうかと、淡い期待を抱いた。

 そして、もう一人女性がおり、彼女は兎川葉子とがわようこと名乗った。背格好は千都留とそっくりだったが、少しばかり地味な雰囲気を纏っており、話し方も遠慮がちだ。おどおどした言動が如実にマイナス要素となって、他の女性三人と比べると、第一印象の魅力が足りていない。決して醜女ではないものの、注目を集める華がないし、本人も人の目を集めるのは望んでなさそうだ。

 顔立ちまで千都留と似た雰囲気があるのに、態度や物腰が違うと、こうまで印象が違うものなのかと、妙な感心をしてしまった。

 それに、カップル数組が集まると思っていたので、相手のいない者が参加していることは意外だった。それなら、美晴もわざわざ自分を巻き込む必要はなかったのではないかと思ったが、目の前の男は二人とも遊び慣れている印象があった。美晴に限ってとは思うものの、雰囲気に流されてということも、絶対にないとは言い切れない。やはり付いてきたのは正解だったかと思い直した。

 葉子は俊哉と千都留が所属しているサークルの後輩とのことだ。大学は違うが香澄とも交友があるらしく、今回の旅行の話をしたところ、ぜひ参加したいと申し出たので、連れてきたと説明された。

 恭太郎は彼女の横顔をチラリと盗み見て、今の説明が本当かどうか疑いを持った。自分から申し出たにしては、表情に陰りがあったからだ。俊哉の車はツードアのクーペで、後部座席はかなり窮屈だったに違いない。変な考え方だが、強引に連れてこられたと説明された方がしっくりくる印象だ。俊哉の話を素直に受け止めれば、後輩思いのよい先輩ということになるのだが、所々に引っ掛かりを感じてしまう。


「恭太郎さんと美晴ちゃんは幼馴染みなんだ。なんだか素敵」


 早くも親しげな口調で言ったのは、千都留だ。おっとりと角が丸い喋り方をするので、人から話を聞き出すのが上手そうだ。香澄が下の名前で呼び合うルールを再び強いたので、彼女もさっそく準じている。

 まさか男性陣の抑止になるために付き添ったとは言えず、曖昧な対応で濁す。内心で突っ込んだ話は振ってくれるなと祈りつつ、当たり障りのない話に終止し、自分から余計なことは言わなかった。


「恭太郎くんは、ウインタースポーツはなんかするの?」


 俊哉が訊いてきた。元々アウトドア派ではない恭太郎は、正直に答えた。どちらかといえば、コーヒーなど飲みながら、推理小説やミステリー小説を読んでいる方が性に合っている。但し、資金面も出不精になっている理由の一つであることは黙っておいた。


「楽しいのに勿体ないよ。年が明けたら、このメンバーで蔵王にでも行ってみない?」


 俊哉は相当社交的な性格らしく、さっき初めて会ったばかりの恭太郎たちを気軽に誘った。彼の細いが引き締まった体つきから察するに、嗜むのはウインタースポーツだけではあるまい。秋が深まったこの時期だからウインタースポーツの話題を持ち出しただけで、おそらく一年を通して体を動かしているに違いない。スポーツをする者が人間的に優れているわけではないものの、ここでも恭太郎は少し気後れしてしまった。


「来年の話なんて、気が早過ぎるわよ。それよりも、今晩のメニューは決まってるの?」


 この場の主役は自分なのよと言わんばかりに、香澄が割って入った。食料の買い出しは、彼女と合流する前に三人で済ませたので、なにを購入したのかは彼女は知らない。今の香澄の言い方は、孝之の言い分を納得させるのに充分だった。

 俊哉は素直に自分の話題を打ち切った。彼も香澄に劣らず自己主張が強いタイプらしいが、ここは女主人を立てておこうと殊勝なことを考えたか。積極的で世渡り上手。社会に出たら出世しそうだ。一方、香澄の方は、接待役としての務めを明らかに放棄している。

 同じ学生だというのに、なんとなく上下関係が固められているようで、恭太郎の胸にモヤモヤとした消化しきれない感情が生じた。もちろん、そんな印象を持ったとこは、おくびにも出さなかったが。

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