第12話 季節外れの別荘地

「あ、ここ左」

「今度は右ね」


 上手くできるかわからないと言っていたわりには、香澄はハキハキとナビゲートした。孝之の手助けをしたいからではなく、自分の指示通りに動くことに快感を覚えているように見えるのは、捻くれたものの見方だろうか。

 最初は歓声を上げるほど見事な針葉樹林に目を奪われたが、進むほどに道は細くなっていった。森の奥に位置する別荘地だと言っていたが、木々が空をどんどん小さくしていく様は、車窓から見上げるだけでも心細くなっていく。しかも、既に薄暗くなりかけているのにも不安に拍車を掛けた。街中と違って街灯など一つも見当たらない。これでは、完全に日が暮れたら足元だって覚束ないはずだ。


「紅葉はちょっと時期が過ぎちゃったね。きっとこの辺りも、もう二週間くらい早ければ綺麗に色づいたのが見られたと思うんだけど」


 孝之が解説を入れる。言われてみれば、葉が落ちきって裸になった枝木が多く見られる。


「この先、道が細くなっているうえに急なカーブがあるから気をつけて。事故が多発しているんで、別荘地を訪れる人たちの間では有名なとこよ」

「怖いな。ガードレールはあるんだろ?」

「あるけど、いきなり出るからスピードを緩めないで突っ込む人が後を絶たないんだって。今はナビまであるのに、馬鹿みたい」


 孝之は胸中で溜息を吐いた。香澄は他人事のように言うが、ただ乗っているのと実際に車の運転をするとでは認識に差がある。経験がある者も多いと思うのだが、頭で考えていることと動作がリンクしない瞬間があるのだ。これまでほぼ真っ直ぐだった道で突然急カーブが現れると、ナビが音声で知らせてくれても判断が遅れることがある。注意しているつもりでも、単純な運転に慣れてしまって、とっさの動きが封じられてしまうのだ。旅は到着直前が一番危ない。孝之は改めてをハンドルを握る手に緊張を伝えた。

 香澄が注意を促したカーブは無事通過できた。たしかに、知らずにスピードを乗せたまま走ったのなら危ない急角度だった。一見穏やかに見える山中には、人間を陥れる罠が数多く存在する。森自体が巨大な生物で、恭太郎は自ら怪物の腹の中に進んでいくような錯覚を感じ始めた。子供じみた不安を冗談で緩和しようか迷っていると、ついに舗装もしていない小道になった。ガタガタと揺れる乗り心地は慣れていないため、ひどくおっかなかった。道幅も車一台分しかなく、対向車が来たらどうするのだろうと落ち着かなかった。

 ようやく建築物が目に飛び込んできたのは、もう少しゆっくり走ってくれと弱音を吐く寸前だった。思わず深呼吸した。


「着いたわよ。あの右から三番目のがうちの別荘」


 香澄が指差した建物は、都心なら億を超えるであろう立派なものだった。二階建てでデザインテイストはナチュラルをテーマにしている。おかげで外観は森の中に巧みに溶け込んでおり、違和感を抱かせない。年季を感じさせるが決して古臭くはないのも、来訪者を喜ばせるのに一役買っていた。


「……凄い。お屋敷みたいだ」


 素直な感想が漏れた。漠然とログハウスをイメージしていた恭太郎は、秘かに自分の想像力の乏しさを恥じ入った。

 紅葉の時期を過ぎた今となっては、周囲に人の気配はなく、車庫に停められている車も皆無だった。どうやらこの地に赴いた物好きは、恭太郎たちだけのようだ。ゴーストタウンのようなもの悲しさはなく、落ち着いた静穏さが漂っているのは別荘地特有の空気だ。


「あれ? あれって俊哉としやの車じゃない?」


 香澄は自分の別荘を差した指をそのまま移動させて、道の傍らに停止している一台の車に向けた。孝之の車とは違うクーペタイプだ。外見はスマートでデザインも凝っているが、流線型の車高が低いボディとツードアなのが、恭太郎からしてみればマイナス要因だった。自動車は、運動性能の高さよりも快適性と居住性を求めた方がいいに決まっている。日本は高速道路でも最高速度は120km/hに定められているのだから、それ以上のスピードを実現できても意味がないはずだ。

 孝之が徐行して近づくと、ドアが開いて、やはり恭太郎たちと同年代の青年が姿を現した。孝之と同様、細い割には軟弱な外見ではなく、日頃からなにかしらのスポーツに興じているのがわかる。ただ、全体的に色が薄いというか、軽薄な雰囲気を纏っているようにも見え、恭太郎には少し苦手なタイプのように感じた。


「こんちわ」

「先に着いてたの」


 見た目通りの軽い挨拶は恭太郎と孝之を通り越して、香澄が応えた。孝之も恭太郎たち同様、彼とは初対面のようだが、彼らに接した時のように気さくに話している。


「ちょっと早く着いちゃってさ。なんなら少しそこら辺を走ってこようかって相談してたところだよ」

「うちの駐車スペースに停めといてもよかったのに」

「初めて来たから、どの家が香澄さんのかわからなかったんだよ」

「だったら適当なスペースに停めときゃよかったのよ。ここは夏は人気だけど、山奥過ぎてこの時期に来るご近所さんは滅多にいないんだから」


 恭太郎は背中で二人の会話を聞いてて、落胆の溜息をつきたくなった。これだけ見事な自然を独り占めできるのに、なんとも勿体ない話だ。人生を豊かにする材料は、まさにこういうところにあるというのに。別荘が自分の所有物なら、毎年でもこの時期に訪れる自信があった。


「じゃあ、私たちが先に入れるから、隣に付けて」

「了解」


 別荘には三台分の駐車スペースがあった。二台とも無事収まり、早朝から始まったドライブがやっと終わったことに、恭太郎はひとまず安心した。

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