第9話 合流と出発

 当日は幸いにも天候に恵まれた。少し雲があるものの遙か上空をゆっくりと流れていく。晴れて爽やかな空気が気持ちよかった。

 目覚めのコーヒーを啜っていると、スマートフォンが着信音を鳴らした。手に取って確認すると、美晴からアパート前に到着したとメッセージが入っていた。

 恭太郎は残りのコーヒーを一気に飲み、すぐに荷物を持って部屋を出た。


「おはよう。忘れ物ない?」


 朝なのに、美晴は溌剌としていた。久し振りの旅行でテンションが上がっているようだ。日頃と違う行為は心を動かす。


「一泊だけだろ。それに男だから持ってくもんなんてそんなにないよ」


 恭太郎は苦笑しながら答えた。


「それにしても、時間早過ぎない? 目的地までは三時間程度で着くんだろ?」


 暇つぶし程度にインターネットで調べてみたが、ここからなら富士山周辺まで片道二時間もあれば到着すると記してあった。詳細な場所は聞いていないが、山梨県にある別荘ということで、富士山を目標に設定して調べてみたのだ。


「馬鹿ね。それは渋滞にはまらないで、しかも休憩も取らずに走り続けた場合よ」

「そうなんだ?」


 恭太郎はまだ運転免許を取得していなかった。交通の便が発達した東京に住んでいる限り、必要性を感じなかったからでもあるし、幼少の頃に目撃した衝撃的な光景が心に引っ掛かっていることも影響していた。当然、自動車での旅行などは皆無で、ドライバー視点での計算の仕方が今一つピンと来なかった。

 取り留めもない話をして待っていると、光沢のある黒い自動車が目の前に停まった。ワゴンタイプで八人は乗れるやつだ。車の趣味は露骨に性格が表れるというが、余計なアクセサリーを飾ったり、妙なステッカーなど貼っておらず清潔感があった。

 初めて見る車だったが、これが迎えに違いないと思った。

 はたして車から降りてきたのは、恭太郎たちと同年代の青年だった。

 細面だが体つきはがっしりしている。いわゆる細マッチョというやつだ。白い歯を見せながら近づいてくる仕草にはゆとりがあり、同性の恭太郎から見ても、モテるだろうなと思わせる爽やかさだ。


「おはようございます。えーと、上原くんと相葉さん?」

「おはようございます。木原さんですね?」

「はじめまして。木原孝之です」


 挨拶は二人揃ったが、その後の会話は主に美晴に任せた。岡田香澄は彼女の自宅で拾うとのことで、促されるまに車に乗り込んだ。二人とも後部座席だと、孝之がいかにも運転手といった感じになってしまうので、恭太郎は助手席に座った。

 なぜ自分たちを先に迎えに来たのか訊ねると、孝之は方向的に恭太郎たちの方が近かったからと答えた。

 孝之は喋り方もハッキリしていた。彼の声は抵抗なく耳に流れ込んでくる。この点も女子からすれば好印象を持たれるだろうなと、内心で軽く嫉妬した。彼は途中で食料の買い出しのためにスーパーに寄ろうと言ってきた。


「香澄さんと合流してからじゃなくていいの?」

「いいんだ。彼女は料理なんかしないからね」


 恭太郎の質問に、孝之は眉をひそめて答えた。食材は主に美晴が選んだ。恭太郎も孝之も料理などしないから、下手に口出しできなかった。ただ「肉が食べたい」程度のリクエストだけはして、美晴は苦笑しながら豚の骨付きバラ肉やミニトマトを買い物かごに次々と入れていった。彼女の中では、もう献立は決まったようだ。

 食材は美晴任せだったが、飲み物は男二人の出番だった。孝之がビールやワインなどの酒を大量にカゴに入れたので、恭太郎は気になった。


「そんなに飲むかな?」

「俺はけっこう飲むし、向こうで合流する俊哉としやってのも底なしなんだ。君だって飲むだろ?」

「まあ、飲めなくはないけど……」

「余ったら、持って帰るよ。足りなくなったら興覚めだからね。大は小を兼ねるさ」


 使いどころが間違っている気がしたが、これ以上野暮ったいことを言ってウザがられるのも癪だったので、好きなだけ購入させた。

 買物を済ませ、さらに十分近く走らた。幹線道路から脇道にそれると、立派な家が立ち並ぶ住宅街となり、香澄の家に着いた。恭太郎が借りているアパートとは明らかに差がある瀟洒なマンションだ。恭太郎は、これから行く目的地が岡田家が所有する別荘ということを思い出した。


「そのまま待ってて」


 孝之は言い残して、そそくさと香澄を迎えに行った。スマートフォンで来たことを告げて降りてこさせないところに、二人の間の立場の機微のようなものを感じた。

 待つこと十二分。香澄は夏の陽射しのような笑顔を貼り付けて現れた。荷物は当たり前のように孝之に持たせている。


「お待たせ〜」


 人は待たせて当然という考えが織り込まれている口調で、香澄は話し掛けてきた。美晴とはタイプが違うが、美人と称せる。真っ直ぐに人を見据える目には力があり、スクエア型の眼鏡がよく似合っている。伊達眼鏡ではなく、視力矯正に必要な眼鏡だ。なんとなく血統書付きの猫を連想させ、全身から溢れている自信が、彼女の存在感をより濃厚にしている。


「おはよー美晴。こちらが恋人の上原恭太郎さんね?」

「こっ……?」


 いきなりの振りに、恭太郎は言葉が詰まった。これではまるで中学生だ。


「幼馴染み……の縁で、いつの間にかそうなってたの」


 美晴は言葉を途中で軌道修正した。大方、ただの幼馴染みだけとでも言いそうになったのだろう。確かにその通りなのだが、恭太郎は秘かに心で酸味を味わった。


「上原恭太郎です。この度は旅行に同行させてもらって、ありがとうございます」


 恭太郎が挨拶と礼をすると、香澄は弾けたような笑い声を立てた。


「堅苦しいなあ。タメなんだから、お互いに敬語はやめましょ? 呼び方も名字じゃなくて下の名前の方で呼ぶこと」


 明るい喋り方でルールを持ち掛ける。芯までお嬢様気質が備わっているのを感じた。


「わかりま……わかった。僕のことは恭太郎で」

「字はなんて書くの?」

「恭しいに桃太郎の太郎で恭太郎」

「恭太郎……恭太郎。うん。素敵な名前じゃない。なんだかあなたにピッタリ」


 些細なことでも褒めて相手を悪い気にさせないところも、どこか計算されているように感じた。両親からの指導の成果だろうか。巧みにコントロールして、いつの間にか自分が優位に立つよう、身に染み付いている話術なのか。


「あっ、じゃあ俺のことも孝之でいいから」


 孝之は明るく自分も名前で呼ぶようアピールした。若い世代特有の垣根の低さで、こんなことを言い合えるのは今のうちだけなのかも知れない。


「残りのメンバーとは現地で合流する手筈なの。行きましょうか」


 香澄は助手席に乗ると思ったが、美晴を先に乗せて、自分も後部座席に収まった。孝之と香澄は、恭太郎たちとは違って恋人同士を公にしているのだからと、少し意外に感じた。こうなれば、恭太郎が相手をするしかない。なにか盛り上がれる話題はあったかなと思いながら、再び助手席に体を滑り込ませた。

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