天使に神は傍にいる
@Takehira
天使に神は傍にいる
街を全速力で走る男性の姿。
「はぁっ…はぁ…もう少しだ!もう少しで!…っ!?」
キィィィーーーーッ!!!ドンッ!!
交差点にて不意に居眠り運転のトラック。
運転手はハッと飛び起きてブレーキをするも間に合わず、男性を撥(は)ねつつトラックは横転。
「何?事故?…うわぁ、あれヤバくね?」
「うぁっいやぁぁぁ!!」
周囲騒然。声に混じり複数のシャッター音。
次第に救急車のサイレンの音が聞こえる。
…ピーーーポーーーピーーーポーーー。
(ここは…?どこだ…?)
(何もない…。俺は、どうしてこんなところに?)
真っ白で何も無い空間にポツンと一人、佇(たたず)む男。
辺りをフラフラと徘徊(はいかい)し、そして、はたと気付く。
(そうだ。俺は街を走っていて…)
(…何で走っていたんだ?)
「おぉい。もういいか?」
「…え?っぅあぁぁ!?」
「っくははははははは!!」
まるで初めから其処(そこ)に居たかの様に悠然(ゆうぜん)と腕組みし、全身に幾(いく)つもの紋様(もんよう)が描かれた男が立っている。
背中に大きな黒い翼を生やしている。
「おいおい、人間と死神なんて翼が生えてる以外、大して変わらないだろうに」
「まぁいい。混乱するのも分かるが、今後の為に自己紹介をしておこう。初めまして、冥府の案内人シルバだ。人間で云(い)う所の死神だ…もしかして、初めましてでは無かったか?くくくっくははは!」
「…は?…何?何だって?」
未だ戸惑い気味の男を、ニヤけながら見ているシルバ。
その姿や現在の状況から鑑(かんが)みて、更に困惑する男。
「お前らの世界には死人に口無しなんて諺(ことわざ)もあるだろうが、死神の俺達から言わせりゃ、そんな事は無い。例えば、死刑宣告を受けた冤罪人が不遇の死を遂(と)げた場合だって、俺達死神が死後証人となり、後に生まれ変わりの裁定を下せる…これも仕事の内だ。現に貴様は死んでも俺とこうして話してるだろ?つまりは…」
「待て、死んだ?誰が?」
シルバの長々とした口上を遮(さえぎ)る男。
すると、呆れた様に男へと向き直るシルバ。
「貴様だよ、貴様。加瀬 聡一(かせ そういち)。…何だ、まだそんな事も把握出来ないのか。残念だ、ある種失望の様な感覚だよ」
「い、意味が分からねぇ。あんた何者なんだよ!何で俺の事知ってるんだ!?」
困惑しつつも状況が掴めずに苛々(いらいら)とし始める聡一を見て再度ニヤニヤとするシルバ。
「知ってるさ、知っているとも。加瀬聡一、享年(きょうねん)25歳。因(ちな)みに死因は交通事故だが、見たいか?」
「待ってくれ!さっきから何を訳の分からない事を…」
「面倒だ、ほらよ」
シルバは聡一に向かって手を伸ばす。
「っ!?」
聡一の目の前に街の情景が映る。
交差点で血を流して倒れている聡一。
身体がグシャグシャの重体であるのが窺(うかが)える。
その惨憺(さんたん)たる光景に嗚咽(おえつ)を漏らしながらも凝視し続ける聡一。
背後でシルバの声が聴こえる
「貴様は妻が産気付いたのを会社で知らされ、病院へと駆けた。だが、その途中で事故に遭(あ)う」
「見えるか?不運にも、居眠り運転で走行中のトラックに撥(は)ねられた貴様の姿が」
「ぅう…ああぁあ…」
「まぁ、見ての通り人の形を成してはいないがな。頭蓋骨骨折による脳挫傷(のうざしょう)、脊髄圧迫骨折と、つまりは全身骨折だ。もう手遅れ」
「ぉああ……っは……」
「良かったな。結果的には目的地に辿り着けた訳だからな。ただ…残された者はどうなったかな?」
「さて、ここまでが加瀬聡一の人生だ」
「おぉぉえっ………っっぐぅ…げほっ……」
暫く微動だにしなかった聡一だが、ふと我に返り嘔吐(おうと)する。
「ふん、落ち着いたか?」
「行かなきゃ、美香の所に……早く行かなきゃ」
「だぁから、今し方、貴様は死んだと言っただろうが」
焦点の合ってない眼光で呟(つぶや)く聡一を見て、尚(なお)も呆れるシルバ。
「……どうして、俺がこんな事に」
「ふん、どうして?それはどうして自分なのかと云う事か?他の誰かだったら…自分でさえ無かったら、今頃自分は妻の元に辿り着いているのに。そう言いたいのか?」
「うるさい!人間じゃないお前に何が分かる!行かなくちゃいけないんだ……俺は」
顔を上げてシルバを睨(にら)み付ける聡一。
変わらずニヤニヤとした表情を崩さないシルバ。
「妻の事が心配か?貴様が死んだ後、数時間の間に何が起こったか知りたいか?赤児(あかご)の様子もさぞ心配な事だろう」
「子供は!?無事、産まれたのか!?」
「んん?…はて、どうして貴様は子供が無事などと言える?難産になる事は自分が一番分かるだろうに……」
「難産?どうして……っぐぅ!ぁ……頭が……」
「ん……そうかっははははっっはははっははは!」
「成る程成る程……そう云う事か。つまりは記憶が未だに不明瞭だと……ふふは、死んでから不運に見舞われるなど、此奴(こやつ)は生前とんでもない大罪でも犯したのか?いや、これも運命だと云う事か…」
全てを把握したシルバ。
気分の昂揚(こうよう)を隠せず、確認する様にぶつぶつと呟(つぶや)く。
頭痛に顔を顰(しか)めながら、シルバの様子を窺う聡一。
「さっきから…何をぶつぶつと言っている?難産になるって言ったのは…どういう事だ?」
「信じて疑わないのか。ふふは、それとも嫌な事や信じたく無い事象に対して見えない様に蓋(ふた)をして誤魔化しているのか?」
シルバは聡一を横目で捉えながら口元を僅(わず)かに弛(ゆる)ませる。
要領を得ず、黙ってシルバの言葉を待つ聡一。
「………」
「貴様が妻の決意を思い出した時、どんな顔をするのか楽しみだなぁ」
「……お前は、楽しんでいるんだな。人間の生死を目の前で堪能(たんのう)して……そして、そんな運命に翻弄(ほんろう)されて苦しんでいる人間を見て……それを糧(かて)にしているんだな」
「糧などではない、所詮は暇潰しよ。ふふは」
「くそがっ!」
悔しそうに俯(うつむ)き、ギリと睨む聡一。
「まぁ待て。誤解している様だが、俺は貴様を救いに来たんだぞ。暇潰しには変わりないがな」
「どういう意味だ?」
「貴様は死神と云う存在の認識を間違えて捉(とら)えている様な、そんな節が見て取れる。それは貴様に限った事では無いだろうが、人間はどうも『死神のせいで死んだ』と勘違いしている」
「あくまで死神は、既に死んだ裁定が下された人間に対してのみ案内を働く存在だ。…俺は偏屈なもので、死んで間もない貴様の様な人間を見て首を突っ込むのが良い暇潰しになる。他の死神はただ傍観しているのみだが、それでは勿体(もったい)無い」
「救いに来た?暇潰し?勿体無い?ふざけるのも大概にしろよ!」
「だが俺の暇潰しの話は貴様にとって、値千金。願ってもない大事な話だぞ…良いのか?」
「どういう事だ?」
苛立(いらだ)ちが募(つの)って思わず声を荒げるが、シルバの思わぬ言葉に虚(きょ)を突かれた様に尋ねる。
「妻が心配だろう?生きて、妻の元に向かいたいか?」
「心配なのは当たり前だろ。俺が事故に遭わずにいたのなら何より先に向かっていた。…ただ、先ずは美香が難産になるという説明の方が先だ」
「説明も構わないが…」
「何だ?」
シルバはもう一度聡一を見直し、少し歩きながら軽く一息吐いた。
「人間と云う生き物は愛する者や好きな物に対して、どうしても盲目的に成(な)り易(やす)い。それが熱狂していればしている程に…」
「例えば、自分が応援しているアイドルが、何か世間に背を向ける様な犯罪行為に身を染めたとして……」
「熱狂的なファンは決して、罪を犯した当人を攻める様な真似はしないものだ。そんな事は絶対にしない。信じている。そんな事が出来る様な子じゃない。自分は分かっている……。そんな半ば宗教じみた考えに至る」
「恋は盲目。そんな言葉もあるがあれはただ単に、周りが見えなくなると云うだけでなく、愛しい者の汚点や欠点すら見えなくなると云う事では無いかと、最近思う様になった」
「改めて聞くが、貴様はそんな狂信者の一員になりたいと思うか?」
そうして改めて聡一へ向き直り、確かめるかの様に尋ねる。
訝(いぶか)しげな表情でシルバを見る聡一。
「何が言いたい?俺にはお前の考えが分からない」
その言葉に少しだけ微笑むシルバ。
「ふふは、やはり貴様がこれからどんな選択をし、迷い、悩んで……そうして、どんな決断を下すのかが楽しみだ」
「…もう良い、話を戻そう。美香の事だ。そろそろ話してくれても良いだろ」
気味が悪いと顔を歪ませる聡一。
シルバは徐(おもむろ)に笑みを浮かべながら話を続ける。
「ふむ……どうやら貴様は事故でのショックか、貴様自身の意思がそうさせたのか、愛する妻の重大な事実を記憶の片隅に追いやってフィルターを掛けたみたいでな」
「ふふは、実に愉快な事だが当人としてはやり切れないだろう」
「一応言っておくが、貴様は一度最愛の妻と向き合って覚悟を決めた筈だった…。妻の気丈な言葉に感化されてな。やはり、人間は弱い生き物だと云う事だ…」
「……覚悟か」
思考が纏(まと)まらずに一言呟き、押し黙る聡一。
そんな様子を見て再び笑みを浮かべるシルバ。
「どうせ貴様は死んだ身。ここでどう想いを巡らせようが何も変わりやしない。なら、妻の最後を……いや、貴様ら家族の成れの果てを、いっその事知ってしまった方が良いんじゃないか?」
「あぁ……そうだな」
ピクリと小さく身を揺るがせた後に、シルバを見て頷く聡一。
「さて、貴様ら家族が本来、どう云う末路を辿るのかを、お教えしようではないか」
「先ずは貴様も知っての通り、妻の加瀬 美香(かせ みか)が妊娠した事が発覚する」
「そして、それから二人で助け合いながら、半年足らずの時を過ごす」
「ああ、覚えてる」
一つずつ紐解く様に確認しながら言葉を繋げていくシルバ。頷く聡一。
「幸せに時が過ぎていく筈だった。しかし、長くは続かなかった…」
「いつも通り仕事から帰って来た貴様は、『ただいま』と言った。普段ならば『おかえり』と返事が返って来るのに、一切音沙汰無し。不安になって台所に駆けると、蹲(うずくま)って倒れている妻の姿が…。そうして慌てて救急車を呼んだ」
「……あぁ」
「陣痛だとばかり思っていた痛みは全く別の物だった。…まだ思い出せないか?」
「……」
「…誰もが耳を疑う様な不運。まさか、妊娠中に脳腫瘍が発見されるなどな」
「……」
「早期発見とは言え、5年生存率は僅かな物。だが直ぐに治療に取り組めば寿命を伸ばす事が出来る」
「当然、貴様は妻に中絶を勧(すす)めた。帝王切開になったとしても出産時に掛かる負担と云うものは計り知れないからな。…実際、半年足らずと云う月日が、丁度中絶出来るギリギリの22週未満に収まって居た訳だ」
「…だが、妻は頑(がん)として首を縦に振らなかった。担当医に、私はどうなろうと子供の命を優先してでも産みますと……ずっと譲らなかった」
「堪(たま)り兼(か)ねた貴様は医務室から飛び出し、病院の屋上に逃げ込んだ。今まで積み重ねてきた様々な重圧から来る熱を追い出す様に、手摺(てす)りに掴まって夜の街を眺めながら、身体を……頭を冷やしていた」
「そうして暫(しばら)くして……貴様の後を追う様にして、妻が屋上のドアを開けた。貴様は妻の事となると途端に弱くなるんだな……その寂(さび)れた背中に向かってゆっくりと歩く愛しき妻。……貴様も、もう全てを思い出した頃だろう」
「……あぁ」
徐(おもむろ)に閉じていた眼を開くと、上を見上げる聡一。
〜過去の回想〜
「…ここにいたんだ」
「……」
屋上に辿(たど)り着いた美香は聡一を確認すると、近くへと歩み寄る。
「驚いたよね、まさか…妊娠中に……そんなさ……」
「覚えてる?」
「え?」
夜の街を眺めながら、突然喋り出す聡一。
「俺たちが、結婚する事になった日の事…俺がプロポーズした時の事」
「……うん。忘れる訳無い。聡くん言ってたもん。私をいつまでも守ってくれるって…二人でどんな障害も乗り越えようって。そう、言ってくれた」
そう言って更に聡一の傍に寄る。
聡一は上体を起こし、手摺りに肘を置くのを辞める。
「…そう。俺さ、怖いんだ。覚悟してなかった訳じゃ無いけど、どうしても震えてしまう。美香を失ってしまう未来を想像して立ち竦(すく)んで……その時の俺は、約束を守れていたのかって…後悔してしまうんじゃないかって…。そんな選択をした自分を、きっといつまでも許せないよ」
「……聡くん」
「俺は嫌だ。美香が居なくなる未来なんて…想像もしたく無い」
聡一の想いを聴き、悲しげな表情を浮かべる美香。
「私はね、この子をお腹に身籠(みごも)った時から決めていたんだ……」
「……」
「聡くんと私の子。産まれて来たいんだって今も言ってる。…聡くん?私を幸せにして……残り僅(わず)かな私が唯一、叶えたいお願い。私達二人の子供なんだよ?」
顔を背ける聡一。
「……」
「聡くん…私は産みたいよ。例えこの子を少しの間しか抱く事が出来なくても……聡くんとの子供だもん!」
「俺は!……美香に生きていて欲しいんだ!いつまでも俺の隣で笑って欲しいんだ…。これが、どうしようも無い俺の我儘(わがまま)だってのも分かってる……」
振り向いて美香を見つめる聡一の目に涙が溢(あふ)れる。
そんな姿に戸惑い、感情が大きく揺らぐ美香。
「そんな事…言わないで…私だって、でも…」
「この子を産むのは私がしなきゃいけない事なの!私が…この子にしてあげられる最初で最後の事かもしれないんだよ?…っ私だって、本当なら聡くんと生き続けて…もっとずっと一緒に居たいよ!だけど、私はこの子を産んであげたい。聡くん?…私が此処(ここ)に居たんだって、聡くんとずっと一緒に居たんだって事…。この子に教えてあげて…」
「……美香ぁ!嫌だよ、居なくなって欲しく無い。……この子には、美香が必要なんだ…くそっ…何で美香が…どうして…」
「聡くん……っうぁ……うぅぅぅ…あぁぁ…」
どうしても譲れず、子供の様に我儘に泣き崩れる聡一の姿に、耐え切れずに同じ様に泣き崩れる美香。
「怖いよ……聡くんと、この子と。もっとずっと…生きて居たいよ!」
そんな妻の弱さに触れ、美香を抱き締める聡一。
「美香……っ俺が、俺が絶対に美香を守るから…最後まで傍に居るから、だから美香……『遥希』を守ってくれ……」
「聡くん……うん。…っ私、頑張るよ。…この子を無事に産んで、私が死ぬ最期の瞬間までこの子に何かをしてあげるの。何かを遺(のこ)してあげるの」
二人は決意を固めて見つめ合い、涙を零(こぼ)しながら抱き合う。
〜現在〜
「結果、此奴は己の子供さえ抱けずに貴様に全てを託して死んだ。帝王切開手術中、容態が急変し不幸にも…命を落とした。下手をすれば、母子共々亡くなる可能性だってあった。だが、女とは強い生き物だ。己の全てを犠牲にしてでも子供を生かした。…貴様との子だ」
「その後、産まれた子供は貴様達の親に委(ゆだ)ねられた。だが、何の因果か、子供が5つになる頃に貴様の妻の両親が交通事故で亡くなり、その後追い掛ける様に、貴様の唯一の肉親だった母が病に倒れ亡くなる」
「残された子供は親戚中をたらい回しにされ、忌(い)み子として嫌煙される様になる。そして、小学校へと入学する頃には施設へ入れられ、親も祖父母も亡くした天涯孤独の人生を歩む運命を辿る」
「貴様ら家族の末路としてはこれで以上だ」
全てを把握した聡一へ、淡々と死んだ後の未来の出来事まで詳細を語るシルバ。
それを意外な程冷静な表情で聴く聡一。
「運命は…変えられないのか?俺達、家族に与えられた人生は…時間は、これだけなのか?」
「意外だな。もっと狼狽(ろうばい)するものかと思っていたぞ」
「運命をただ享受(きょうじゅ)してる訳じゃ無い…。ただ、事実俺は死んで、これからどうするのかがお前の云う『暇潰し』なんだろ?」
「ほう…随分。物分かりが良いではないか。妻の覚悟を思い出して感化されたのか。…まぁ良い」
「改めて言うが、これは死神である俺が介入しなかった場合に起きる、つまり本来の加瀬聡一の人生」
「……」
「死神は、生と死を司る者。生かすも殺すも死神次第……言っている意味が分かるか?」
ニヤリと口角を釣り上げるシルバ。
「まさか…死んだ者を生き返らせる事も出来るのか?」
「ふふは、容易いな…」
「それじゃあ……」
「そう!妻の元に無事な体で辿り着く事も、立ち会う事も、子供である遥希を育てていく事も出来るんだぞ」
極上の笑顔のシルバに首を振る聡一。
「違う。一つ質問がある。美香の脳腫瘍を無くす事は?出来るのか?」
「は?……まぁ、可能ではあるが…。おい、流石の俺も一つの魂が限界だぞ。妻も生かし、その上貴様まで生き残ろうなんて…」
「勘違いするな。俺もそこまで望んでない。…俺が望んでいるのは美香一人だ。死神のお前には理解出来ないだろうな…。ただ、俺は美香に生きて欲しい」
穏やかな表情を見せる聡一。
「いや待て、子供はどうする?子供一人を無事に育てるには、それ相応の金が必要になる。妻を生かそうと云う貴様の高尚(こうしょう)な思いは、大した物だと云う気にもなろう物だが……あまり理知的な行動だとは思えない」
「死神のお前に理解して貰おうとは思っていないさ…。ただ、子供には父親よりも母親が必要なんだ」
「理屈じゃない。ただ俺自身、母子家庭に生まれて不幸だと思った事なんて一度もない…。そりゃ、父親が居るに越した事はない。俺もこんな事にさえならなかったら、自分の子供としたい事だって色々あった。教えたい事、一緒に思い出を積み重ねたかった…」
哀愁漂う様な、何処か諦観(ていかん)を込めた表情でシルバを見る聡一。
「やはり人間は分からない生き物だな。はぁ…満足のいく収入も見込めない。子供の将来を見越した上での言動とは到底思えないな。考えてもみろ。今、感情論だけで決めるのは些(いささ)か早計では無いか?」
シルバは呆れた表情で見ていたが、案を思い付き途端にニヤケた表情へと変わる。
「…そうだ、猶予をやろう。もう一度思い直してみるのはどうだ?ん?」
「猶予なんて要らないさ。幾ら時間があっても答えは変わらないからな」
「……ふん。つまらん。もうどうでも良い。さっさと終わらせて他の人間で暇潰しでもするか」
揺るがない真剣な面持ちの聡一。
思い通りに事が運ばないので途端に興味を無くしたシルバ。
「シルバ……妻を助けてくれてありがとう」
晴れやかな表情でお礼を言われて一瞬キョトンとするが、快活に笑うシルバ。
「ふ、ふふふ、ふははははははは!死神に感謝するとは、これは恐れ入ったぞ!ふはは、貴様は死神にでもして冥府の狭間で生かしておくとでもしようか?ふはは」
「な!?」
「冗談だ、ふはは。…では、さっさと貴様はもう一度死んで来い」
「そうだな、それじゃあ頼んだぞ」
「ふん、ではな」
「はぁっ……はぁ……はぁっはぁ……!?…ここは?何で俺は走って……っそうか。成る程、『もう一度死んで来い』だったか…。…よし、それじゃ行くか!」
気付いた頃には街を走って居たが、途中で意識を取り戻す。
状況を把握して、ほくそ笑む聡一。
「さてと、どうなったか…ふむ。おぉ、やっと向かったのか。…ふん、これから死ぬであろう事が分かっているのに。…つくづく、人間と云う生き物は不可解だ。だが、面白い…。さて、そろそろだ。ふむ、あれが例の命の対価として挙がった運転手か…」
真っ白な空間に一人で立ち、下を覗き込む様にして人間界を見ているシルバ。
丁度そこで、聡一に向かって居眠り運転のトラックが飛び込んでいく。
「っ!?」
キィィィーーーーッ!!!ガッシャーーーン!!!
しかし、トラックは聡一の前で派手な音を立てて事故を起こす。
「っな!?…どうして!?…まさか…シルバが?……っくそがぁ!」
「何?事故?……うわぁ、あれ運転手ヤバくね?」
「ぅうわぁ……。中見えないけど……多分…」
勘違いをしつつ美香のもとに急ぐ聡一。
背後では野次馬が集まって来ていた。
「な……何故だ?どう云う事だ?何故、此奴は生き残った?…俺は確実に此奴の妻を生かす為に、運転手の命を使ったのだぞ?…待て、まさか…」
驚愕と疑問を抱きつつ、もしかしたらと思案するシルバ。
「………っはぁ……美香!」
バーン!
病院へ無事に辿り着き、案内に従い分娩室(ぶんべんしつ)近くの手術室へと向かい、扉が開かれる。
「っは……美香?」
「っ!加瀬さん!?落ち着いて下さいっ……」
医者の声は聞こえず、目の前に美香を見つけ視界に捉(とら)える。
「……そ、聡くん?」
「生きて…美香、生きてる。……どうして?シルバが?はぁ……っはぁ……良かった」
「どうして?……私、生きて…何で?」
「……?遥希は?先生?あれ、遥希?」
「……っ」
美香の安否を確認し安堵したのも束の間、次第に産声が聴こえ無い事に気付く。
「先生?…遥希は…俺達の赤ちゃんは?」
担当医は返答に困るが、吐き出す様に答える。
「私達の力不足で……申し訳ありません!救ける事が…出来ませんでした!」
「……ぁ………ぁ…」
茫然自失(ぼうぜんじしつ)の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちる聡一。
「っ!私が…少しでも、生きたいなんて望んだから……心の底では離れるのが怖かったから…。ぅう…お願い!……もう一度、今度は…何も望まないから!」
「違う…俺のせいで…遥希が、本来生きるべき筈の命を…無くしたんだ」
何かに気付き、己を責める様に涙を零す美香。
未だ自責の念に苛(さいな)まれる聡一。
「…何故、赤児が流産など……。本来、起こり得ない事が起きている事は確か。…あいつだ。あいつが来ていて、俺と全く同じ様な事をしたとしか…。余計な事を…まぁ良い。もう一度だ、もう一度だけ関与してやろう」
一連の光景を見て混乱しつつも、何とか理解して苛立ちを顕(あらわ)にするシルバ。
「……ぁあ、ぅうう…ああああああ……」
「……ぅうう、ぁぁあああ…ぁああ……」
「リライトだ……」
「……リライトよ」
聡一と美香は泣き崩れ、死神と天使の声が重なる。
〜Another side〜
真っ白な空間にポツリと一人で立ち尽くす美香の姿。
(……ここはどこだろう。あぁ、私は死んだのかな?でも、約束通り無事に遥希を産んだよ、聡くん)
(最後に聡くんと話したい事、一杯あった…。逢(あ)いたかったなぁ……)
「そろそろ良いかしら?」
「ぇ?………っ!?……誰?」
ずっとその場で美香を見ていたかの様に愉快そうに微笑みながら立つ女性の姿。背中から白い翼を生やしている。
「警戒しなくても大丈夫。取って食ったりはしないから」
「あなたは誰?もしかして…幽霊?」
「あはは!幽霊に幽霊かどうかを聞かれるなんて……そんな体験は今まで一度も無かったわ。貴女(あなた)面白いのね。ふふふ」
美香は恐る恐る尋ねる。
尚も微笑む女性。
「幽霊……やっぱり、私は死んじゃったんだ…。なら、あなたは?」
「これはこれは、自己紹介もせずに不躾(ぶしつけ)な態度で申し訳ありませんでした。ふふふ」
「私は、死んで間もない迷える仔羊ちゃんを冥界へと案内する…天使。ミリアよ」
戸惑いつつも明瞭に質問を訊ねる美香に対して、明るく朗らかに楽しそうな口調で答えるミリア。
「……っ…ミリアさんね、分かった。それで、これから私はどうなるの?…どうすれば良いの?」
「へぇー。意外に冷静なのね」
「へ?あぁ…確かに……。冷静、なのかな。自分が死ぬかもしれないって事よりも、遥希を絶対に産むんだって云う想いの方が強かったから」
美香の冷静な態度に一瞬驚くミリア。
自分の使命を無事に終えて達観している様子の美香。
「そっかぁ……。その遥希くんも夫の聡一さんも、貴女が亡くなってからどうなるか…知らないんだものね」
「な……何?…どう云う…」
急に寂しそうに目を伏せ、肩を堕(お)とすミリアの様子に違和感を感じて尋ねる。
「そうよね。知る由(よし)も無いものね…貴女が病院で、それこそ命を掛けて遥希くんを産もうと云う最中(さなか)、交通事故に巻き込まれて即死した夫の事なんて……ふふ」
「っ!?ぅ……嘘…」
「ううん、嘘じゃ無い。その証拠に…貴女が倒れて運ばれ、命懸けの出産に臨(のぞ)む帝王切開手術中に、傍にも居なかった。来てくれなかった……あれだけ誠実な人間が何故来なかった?いいえ、真実は来れなかった」
「……ぁあ……っは……ぁ…」
「動揺するのも無理は無いわ……でも、貴女は彼の最後を知らなければいけない」
「ぃ……嫌…私っ……」
「その責任があるの。…彼は貴女を想ったが故(ゆえ)に、事故に遭(あ)ってしまったのよ?」
「………」
落ち着きの無い焦った様子で、動揺を隠せない美香に対してゆっくりと丁寧に伝えるミリア。
「あの時、彼は会社で貴女が産気づいたのを聞かされた……」
「病院へ急いで向かう夫」
…ドクン。
「居眠り運転で走行中のトラック」
…ドクン。
「冷たく変わり果てた姿」
…ザーーーーッ。
「美香」
…ドクン。
「っ………うぅぅ……ぅあぁぁ……聡くん!」
嗚咽(おえつ)が漏(も)れて、涙声で悲痛な叫びを挙げる美香。
「……落ち着いたかしら?自分を責める必要なんて何処にも無いの。貴女達家族は、他の人間達に比べて不運だったってだけ。脳腫瘍も、交通事故も……全て」
暫くして落ち着いて来た美香を慰(なぐさ)める様に、優しく穏やかな声で呼び掛けるミリア。
「不運……。そんな事で、私達の幸せが失われていくんだ……」
「運命は初めから決まっていて、ただそれをなぞる様に真っ直ぐ進んだだけ。人間の生涯なんて、たかが知れてるわ」
「……と云う訳で、貴女達が願った…人並みの幸せを得ると云う想いが、叶わずに終わった事をお分かり頂けたかしら?」
敢(あ)えて突き放すかの様に軽い口調で云うミリアを、苦笑いを浮かべながら、少しだけ苦しげに顔を歪ませて見やる美香。
「……あなたは、残酷ね。私は、そんな事聞きたく無かった。聞かなければ、もっと楽に死ねたのに…今じゃもう、聡くんの事が頭から離れられない。こんな時に、何もしてあげられ無い自分が嫌になる。助けてあげたいよ……」
そんな絶望の表情を見せる美香を尻目に、ミリアは意味深に微笑む。
「残酷か……ふふ、そうかもしれないわね。黙っていた方が幸せだったのならね……」
「……どう云う事?」
チラリとミリアへ視線を移すと、不思議そうに聞く美香。
「もしも、生き返る事が出来ると言ったら?生き返って子供を一人きりにせずに、共に人生を歩めるとしたら?」
「そ……そんな事…生き返れるなんて、そんな簡単に言わないでよ!」
想像の埒外(らちがい)の言葉だったのか瞳孔(どうこう)が開き、思わずミリアへと詰め寄る。
「ん〜、そんな事言ったって私はその為に、貴女に会いに来たのよ?貴女がそれでも死にたいと云うなら、そう上には報告して置くけど……」
「どうして、私は生き返れるの?それとも只(ただ)の気まぐれ?」
疑問を投げ掛けるものの、不安に苛まれる美香。その姿を見て一度だけ迷ったが、構わずに説明を続けるミリア。
「う〜ん。貴女達があまりにも不遇な人生を送ってしまったから…かしらね。詳しくは言えないけど、私達天使は人間の運命に変な偏(かたよ)りが生じたりすると、調整しなければいけないの」
「……私の他にも、未練を遺して死んでしまった人達は大勢いる筈でしょ?それなのに、そんな人達を差し置いて自分だけ助かろうなんて…そんな事……。…でもっ……遥希は…」
「そんな偽善めいた事、言ってて愉快?救われる?仮に貴女が生き返らない選択をしても、今回の件で代わりに他の誰かを救うなんて…そんな事は無いのよ」
「でも…だって……」
どうして良いか分からず揺れ動く美香に対して、追い詰める様に言葉を投げ掛ける。
「はぁ……埒(らち)があかない。…あ、そう言えば、貴女に遥希くんがどうなるか…教えて無かったわよね?うん、丁度良いかも……遥希くんのこれからを知れば、自ずと答えは出て来るだろうからね」
「……遥希が?どうなるか?」
呆れた表情で、どう説得すべきか迷っていたミリアだったが、ふと思い出したかの様に美香へ呼び掛ける。
ビクッと反応し、聞き返す美香。
「そう!貴女と聡一さんの子供。独り遺されてしまった悲劇の子供……。助けてあげられるのは、貴女しか居ないんじゃないの?」
「聡くんだけじゃ無くて…遥希まで?」
「初めに言った通り貴女達家族は、ほんの僅かな幸せも得られぬまま……家族と呼べる時間も一才無いまま生涯を終えるの。だから私が来た」
表情に翳(かげ)りを見せる美香の心中を察してか、更に穏やかな口調で伝える。
「貴女達二人が死んだ後の遥希くんの人生は、悲惨なものよ。貴女達ばかりか身を寄せた祖父母達も亡くなり、親戚中をたらい回しにされるの。そして、影で忌み子と囁(ささや)かれながら、自分が産まれた意味を自問自答を繰り返して苦悩する様になる……」
「……ぅう」
「…結局、施設に入れられる事になった。それから直ぐに……人の目の付かない所で自殺してしまうわ。…最後まで、自分は誰からも愛されていなかったと勘違いしながら……」
「それでもまだ、貴女は生き返る事に躊躇(ためら)うの?子供を独りにして、こんな想いを抱かせて……」
「ぅ………ぅぁ………遥希……」
辛そうに呻(うめ)く美香に近寄り、頬に手を添えて真剣に尋ねるミリア。
俯き、苦悩し涙を零す美香。
暫くして、再度落ち着きを取り戻した美香はミリアへ向き合う。
「…ミリアさん。私は、もう逢えないと決まっていたから、生き返らない……」
「あのねぇ……」
「その代わり!…聡くんを助けて欲しい。だって聡くんは私の為に駆け付けてくれたのに、その為に死んじゃうなんて……。そんなのあんまりだよ」
「………」
美香の決意の言葉に口を噤(つぐ)むミリア。
「お願い。……私は、何も望まないから」
「…何で?貴女は、子供に会いたいんでしょう?だったら生きて逢ったら良い。貴女は今、その選択肢を与えられているのに……何で……」
「何で……か。聡くんと約束したからかな」
「約束?」
「そう…。私は遥希を無事に産んで、聡くんに託す。聡くんは遥希を無事に育てて、死ぬまで護(まも)る。私達二人で結んだ約束。絶対に叶えなきゃ…」
過去を振り返りながら、納得が行かずにいるミリアを諭す様に話す美香。
「今は状況が違うのよ?貴女が生き残る事も出来るの。確かに、彼を生かす事も出来る。けど、貴女は自分の子を抱きたく無いの?」
「そんなの、抱きたいに決まってる!……だけど、私は自分の我儘よりも、何よりも聡くんを優先する」
「……はぁ。分かった。もう、分かった。それじゃあ聡一さんを生かすって事で良いのね?」
「うん。…ありがとう」
今までのどの想いよりも強く固い決意を感じ、これ以上の説得を諦めるミリア。
最後に柔らかく微笑む美香を見て、少し呆れた様に微笑み返す。
「もう良いわ……。あ〜あ、貴女は結局、最後まで報われ無いままじゃない…まったく」
「そんなこと無い。私は聡くんと出逢えて、傍に居られて……幸せだった!」
「……っ。そう…なら、良かったわ。…さぁ、もう行きなさい。ふふ、彼等をずっと見守ってあげて」
「うん。それじゃあ、さようなら!」
尚(なお)も悔しげに話す天使と対称に、実に晴れやかな表情を浮かべる美香を見て、一瞬驚くミリアだったが、打って変わって優しく微笑む。
笑顔を浮かべながら霧の中へと消えてゆく美香。
真っ白な空間にポツンと一人残されるミリア。
「さてと……それじゃあ私もひと仕事しに、彼女達の行く末でも見に行こうかしら」
「はぁっ……はぁ……はぁっはぁ……!?…ここは?何で俺は走って……っそうか。成る程、『もう一度死んで来い』だったか…。…よし、それじゃ行くか!」
気付いた頃には街を走って居たが、途中で意識を取り戻す。
状況を把握して、ほくそ笑む聡一。
「……あ。来た来た。それじゃあ、問題の運転手さんの命を頂戴してっと……ほい、こんな感じかな?」
真っ白な空間に一人で立ち、下を覗き込む様にして人間界を見ているミリア。
丁度そこで、聡一に向かって居眠り運転のトラックが飛び込んでいく。
「っ!?」
キィィィーーーーッ!!!ガッシャーーーン!!!
しかし、トラックは聡一の前で派手な音を立てて事故を起こす。
「っな!?…どうして!?…まさか…シルバが?……っくそがぁ!」
「何?事故?……うわぁ、あれ運転手ヤバくね?」
「ぅうわぁ……。中見えないけど……多分…」
勘違いをしつつ美香のもとに急ぐ聡一。
背後では野次馬が集まって来ていた。
「……んん?『どうして』って…どう云う事?それに、何故か経験した事がある様な反応……そして、シルバ?……シルバって言った!?」
疑問を抱きつつ状況を確認するも、思い掛け無い死神の名前に驚愕するミリア。
(何か……聴こえる)
病院内にて、朧(おぼろ)げながら意識が回復して視界が開けて来る。
「………っはぁ……美香!」
バーン!
手術室の扉が開かれ、聡一が息を切らせながら飛び込んで来る。
「っは……美香?」
「っ!加瀬さん!?落ち着いて下さいっ……」
顔を上げる。
聡一と美香は目が合うと見つめ合う。
「……そ、聡くん?」
「生きて…美香、生きてる。……どうして?シルバが?はぁ……っはぁ……良かった」
「どうして?……私、生きて…何で?」
「……?遥希は?先生?あれ、遥希?」
「……っ」
痛みとぼんやりとした意識の中、次第に産声が聴こえ無い事に気付く。
「先生?…遥希は…俺達の赤ちゃんは?」
担当医は返答に困るが、吐き出す様に答える。
「私達の力不足で……申し訳ありません!救ける事が…出来ませんでした!」
「……ぁ………ぁ…」
茫然自失(ぼうぜんじしつ)の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちる聡一。
「っ!私が…少しでも、生きたいなんて望んだから……心の底では離れるのが怖かったから…。ぅう…お願い!……もう一度、今度は…何も望まないから!」
「違う…俺のせいで…遥希が、本来生きるべき筈の命を…無くしたんだ」
何かに気付き、己を責める様に涙を零す美香。
未だ自責の念に苛(さいな)まれる聡一。
「シルバが来ていたなんて……また暇潰しでもしてたのね。…よりにもよって、この家族を暇潰しの相手にするなんて…許せない!もう一度、今度はちゃんと助けるから……」
一連の光景を見て混乱しつつも、何とか理解し悔しげに歯噛みするミリア。
「……ぁあ、ぅうう…ああああああ……」
「……ぅうう、ぁぁあああ…ぁああ……」
「リライトだ……」
「……リライトよ」
美香と聡一は泣き崩れ、天使と死神の声が重なる。
〜Another side end〜
「ぁぁ……っ!?」
「ぅぅ……っ!?」
「やはり貴様だったか……」
「……どうせ貴方(あなた)は、暇潰しで来たんでしょうね」
真っ白い空間に四人が一同に集結する。
泣き崩れる夫婦と睨み合う死神と天使。
「ここはさっきの…っミリアさん!……と、誰?」
理解が及(およ)ばず、周囲に視線を配る美香。
死神と天使が夫婦二人に気付き、顔を見合わせるとシルバが質問を投げ掛ける。
「貴様は貴様で、妻である加瀬美香に接触しているなどな……気付きもしなかった。加瀬聡一よ。今回、互いに想い合ったが故に最も尊重すべき赤児の命が失われた訳だが、今どう云った心境だ?妻は貴様に生きていて欲しかったみたいだが…」
「一体、何が起きたんだ?……正直、混乱して何が何だか…」
「ふん、本来なら貴様の願いは叶っていた筈だった。そこに居る天使のミリアが加瀬美香と接触さえしなければ…。つまり、貴様が俺に願った事と同様に、加瀬美香もミリアに願った訳だ」
「結果、本来死ぬ筈の互いの命を補う為に二つの命が使われた。一つは俺が使用した、加瀬美香を生かす為に使ったトラックの運転手の命。そして、問題のもう一つだが…」
「これは恐らく、ミリアが加瀬聡一を生かす為に、俺と同じく運転手の命を使用したのだろう。だが、既に俺が使用している事により、差異(さい)が生じてしまった…。加瀬美香の願いを叶える為に命の対価として、願いを望んだ者の一番傍にある命が使われた……此処まで言えば分かるだろう?」
「そ……そんな…ぅ……嘘」
一同、シルバの説明に耳を傾けながら、現状を把握する事に努める。
シルバはあくまで冷静に推察と事実を述(の)べる。
美香が全てを理解し絶望する。
「お前は……知っていたのか?生き返るには他人の命を使うと云う事…他に、同じ様な奴が居てこうなる事も、全部!」
崩れ落ちる美香の身体を支えながら、シルバを睨み非難を叫ぶ聡一。
「落ち着け、俺はミリアが来ていた事など知らなかった。…運転手の命を使う事については、決めていた事だ」
「決めていた事だと!?他人の命まで弄(もてあそ)びやがって!」
「なら、貴様はどうやって生き返ると思っていた?」
「私のせいで………遥希が……」
聡一とシルバが言い合う中、自責の念に駆られ、譫言(うわごと)の様に呟く美香。
「貴様が思い描いているのは、全て絵空事の空想の産物だろう!命の対価が空から降って来るとでも思ったのか?それとも、何の対価も無しに生き返れるとでも?」
「っぐぅ……」
「貴様が言う事も理解はしている。…確かに人間にとって命は、すべからず尊いモノだろう。だが、俺達死神は、様々な人間を見て来た」
「明日を渇望(かつぼう)して居ながら泣きながら死んでいく者。今日を怠惰(たいだ)に過ごし、途中リタイアとして首を括(くく)る者……。未練を遺して死んで逝(ゆ)く者がいる中で、挫折して死に逝く者もいる。貴様はそんな命を勿体(もったい)無く感じるだろう?」
「明日に希望を見出せずに、酒に溺れ、居眠り運転で死亡事故を起こす様な輩(やから)と、自分の未練を押し殺して笑顔で死んだ強き母……どちらも、同じ命と言い切れるか?」
「………」
思わず俯き、思慮(しりょ)に耽(ふけ)る聡一。
「貴女は、いつまで自分を責め続けるの?それを、誰に対してでも無い……自分自身への免罪符にでもするつもり?」
「……っ!そんな事!」
「そんな事…何?貴女が悪い訳でも無いのに、これ以上自分を責める様な事は辞めて」
ミリアは茫然としたまま動かない美香に対して呼び掛け、真剣に見つめる。
「それ以上はもう良いだろう。…俺は正直、もう打つ手が無いぞ。この家族は幸せにはなれ……」
「いいえ……。私が全てやるから、貴方は何もしないで。きっと、貴方の暇潰しにはなら無いでしょうけど……」
シルバが呆れた様にミリアへ呼び掛けるも、喰い気味に遮(さえぎ)られる。
そんな死神と天使の会話を聴いて食い付く夫婦達。
「生かすなら!頼む、美香を!」
「待って!ミリアさん、お願い!」
「……幸せになるのよ?さようなら」
優しげな表情を浮かべつつミリアが手を二人に向けると霧の中に消えていく。
「ぁああああ!…………」
「ミリアさん!…………」
真っ白い空間に死神と天使が立ち尽くす。
シルバが痺(しび)れを切らし口を開く。
「何をするつもりだ?あの家族を生かすにはどうすべきか、何が必要だ?貴様も分かって居るだろう……無作為(むさくい)に人間を選び、命を充(あ)てがうつもりか?天使でも死神でも過分に過ぎる行いだぞ。あの家族は……救え無い」
「過分に過ぎるねぇ……。ふふ、それにしても随分深い所まで関与するじゃない…珍しい。普段の貴方なら直ぐに興味が失せるのに」
シルバの問いに敢えて答えず、はぐらかす様に軽く微笑むミリア。
「話を逸(そ)らしたつもりか?本当に、どうするつもりなんだ?」
「あの子達、面白いわよね。大抵の人間なら自分が生きる為に奮闘するのに、自らの命を投げ打ってでも互いを想いやれるなんて…そうそう出来る事じゃ無いわ。…貴方には絶対に芽生え無い感情でしょうね」
「ふん、違いない…」
皮肉を飛ばすミリアに鬱陶(うっとう)しそうに答えるシルバ。
人間界を覗く天使と死神。
夫婦が住まう自宅に二人を確認する。
二人で出掛ける間際に玄関にて話をしている。
「美香〜。そろそろ出発しないと」
「うん。ちょっと待って〜」
「ん?……二人とも生きている?どの命を使った?…待て、妊娠していない?そもそも此れはいつだ?……っまさか…」
シルバは状況を確認しつつ、食い入る様に見つめる。
ふと、一つの結論に行き着く。
「その前に…聡くん。報告があるの…」
「……ん?」
「あのね……妊娠4週目だって」
「っ!?美香!本当に?」
「うん……やっとだね」
二人は抱き合い、美香のお腹を優しく摩(さす)る聡一。
「貴様は加瀬美香の出産自体を無い物にし、産まれる筈の遥希の命で脳腫瘍となる運命を……。そうして、交通事故も起きない状態を作り上げた。それは当然だ。過去の改変により運命が変わったのだから。そうして今、数年の時を経て、別の命を授かったと云う訳か……」
「………」
シルバはミリアを見ながら、まるで糾弾(きゅうだん)するかの様に言葉を紡(つむ)ぐ。
「貴様は二人の記憶をも消し、二人が積み重ねて来た時間を蔑(ないがし)ろにし、あの一年間を無かった事にした……」
「遥希を授かった時の記憶も、二人で覚悟を通い合わせた時の記憶も……全て。貴様は…奴等にとって、最も酷い行いをしたのかもしれないぞ」
「確かに…罪深い事をしたと思っている。けど、彼等を救うにはこうするしか無かったのよ」
「でも、そんな彼等に一つだけ残して挙げられた事があるとすれば……」
死神と天使が話している間も人間界では、子供の名前を考え出し始める夫婦達。
「俺が、父親に……。名前!それじゃあ名前考えなきゃ!」
「もう、気が早いんだから。ふふ」
「そうだなぁ……何が良いか………っ」
すると二人は顔を見合わせ、ほぼ同時に涙を零す。
「「……遥希」」
「あれ……っぐす……ぁ…何でだろ?何で私、涙が…」
「分からないけど……何でかな…この子は、遥希って名前を付けたい」
何故か流れる涙に戸惑いながら、二人は再び抱き合う。
「記憶を消した…か。此れが、貴様が云う残したものか。成る程……此れならば全てを失った訳では無いと言えるかもな」
「ふふ。あとは、彼等が幸せになるだけよ」
ゆっくりと夫婦達を見守るミリアとシルバ。
「……美香、これからどんな困難にぶつかっても…二人で乗り越えよう」
「……っ…聡くん?違うよ……三人で…だよ」
「あぁ!…そうだね」
再度二人で寄り添い、お腹に手を当て摩りながら優しい微笑みを浮かべていた。
それから……。
とある一軒家のリビングに、朝食を用意している幸せそうな夫婦の姿。
歳はどちらも37歳。
エプロン姿の妻はキッチンの奥にあるコンロの前でフライパンを片手に笑顔を見せる。
「ふんふ〜ん♪ふ〜ん♪」
夫はダイニングテーブルの椅子に腰掛けて、新聞を読みながらキッチンにいる妻に向かって声を掛ける。
「どうしたんだい?そんな鼻歌まで口ずさんで…」
「うん?あはは、良い具合に焼けたから…かな?ふふ」
「…ははは、そっか!…おっと、そうだ。そろそろウチの寝坊助(ねぼすけ)を起こさないと……っと、起きて来たか。ふふ」
「ぅわぁぁあああ!!!目覚ましが僕を裏切ったぁああ!!」
10歳の息子が叫びながら階段を駆け降りて来る。
「母さん!早く行かなきゃいけないから、直ぐに食べるよ!」
「はっはっは!さっさと食べて準備をしろよー。ずずっ」
夫婦から家族へと変わり、幸せな一家の姿を連想させる。
「ぃぎぉくごくん。分かってるよー!…ふぅ、ご馳走様!わぁぁあああ、早くしないと!ちょっと待ってね父さん!」
「ふふ」
息子は朝食をかき込む様にして食べ、ランドセルを背負いながら洗面室に飛び込んで行く。
「あはは、今日は騒がしい一日になりそうね!」
「そうだな、ふふ。昔よりも今の方が、ずっと動いてる気がするよ」
「そうかもしれないね…でも、これから遥希はもっと成長するんだから!ついて行かなきゃ…駄目だよ、聡一さん?」
「はは、確かに。美香もね」
「うん。……ふふ。…凄く幸せだなぁ」
「え?…どうしたの急に?」
「今、一番幸せだって実感してるの!今までのどの瞬間よりも…とっても」
「美香…。うん!そうだね」
夫婦は息子の到着を待ちつつ玄関を開ける。
春の暖かな陽射しが差し込み、空から幾つもの輝く白い羽根が降っているのが見えた。
その眩さと異様な世界に二人は一瞬視界を奪われる。
ふと、
誰かの声が聴こえた気がした。
分からない…けれど、
目を閉じて、その誰かに『ありがとう』と呟いた。
再び目を開けると、日常の風景に戻っていた。
春の陽気に晒されつつも、夫婦は互いに見合う。
「あはは、たまに…凄く懐かしくて暖かい気持ちになるんだ…」
「うん、分かるよ俺も…」
二人は再び空を見上げる。
「お待たせ!父さん行こう!」
背後から息子の元気な声が聞こえる。
「はいはい、それじゃあ…行って来ます」
「母さん!行って来まーす!」
「ええ。……行ってらっしゃい!」
愛する夫と息子を笑顔で見送り、幸せそうに微笑む妻を暖かく見護る姿。
冥府の狭間で、優しげにふふっと暖かく微笑むのだった。
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