7.聖女の証明

「見違えるほどに美しい、その姿は輝く宝石のようだ。私が贈った最高級の衣装は気に入ってくれたかな?」


 王の真っ黒い手が令嬢の頬に触れ、腰を抱いて引きよせる。

 その所作はとても優しいはずなのに、闇の魔物に触れられた時のような優しさは感じられず、令嬢は婚約者の真っ黒い手を怖いと思ってしまった。

 おぞましく膨れ上がった巨体を目の前にして、怖くて震えそうになる身体を必死に抑え、王の問いに頷き俯くのが精一杯だったのだ。


「……はい……」

「そうだろう、そうだろう。この私が用意させた最高級品なのだからな」


 王は満足そうに頷き、人々の注目を集めて令嬢の姿を大衆に見せびらかす。

 豪奢な衣装や宝石を目にした人々は感嘆の声を上げ、王の財力や権力、そして美貌を褒め称えた。

 大衆からの称賛の声に満悦の表情を浮かべる王は、おもむろに令嬢に問いかける。


「聞く話によれば、私のために祝福の花を咲かせていたそうではないか」

「は、はい……あの、お願いが――」


 令嬢が勇気を振り絞り、顔を上げて救いを求めようとすれば、王の巨大な目玉が間近に迫り、無数の瞳孔がうごめいて令嬢を凝視する。


「――っ……」


 圧倒的な威圧感に慄いて令嬢が言葉を詰まらせていると、王が問い質す。


「魔物と共に居たとも聞いているが、よもや、この私を裏切ったのではあるまいな?」

「……いいえ、いいえ! そんな、裏切るだなんて……わたしはただ、貴方の幸福を願って、人々の幸せを願って、祝福の花を咲かせようとしただけです!」

「まさか、魔物になど惑わされ、この国や民達を見捨て、寝返ってなどいまいな?」

「魔物は手伝ってくれただけで……貴方を裏切るようなことはしていません!」


 令嬢が声を張り懸命に訴えれば、王のヒキガエルのような大きな口が弧を描き、不気味に笑う。


「そうか、そうか。魔物の手を借りてでも、この私のために祝福の花を咲かせようとしてくれたのだな。ああ、なんと健気で愛しい私の聖女。私はその言葉を信じよう、聖女のすべてを信じようではないか」


 王はたくさんの腕を大きく広げ、大衆の面前で聖女を信じると明言した。


(あぁ、やはり、見た目がどんなに怖ろしく変わってしまっても、欲しかった言葉をくれる彼はわたしが心から愛した彼なのだ……ナイトのことを話したら、きっと救ってくれる――)


 そう思った令嬢が口を開くと同時に、王が声を大にして告げる。


「――だが、私以外の者はそれでは納得しないのだ。我々を裏切っていないという証を、聖女である証明を示してくれ」


 王が手を掲げ合図すると、隊列を組んだ衛兵が令嬢達の周りを取り囲む。

 一人の衛兵が進み出てきて王の前に跪き、持っていた剣を差し出す。

 王は鷹揚おうように剣を受け取り、その豪華に装飾が施された宝剣を令嬢に手渡した。


「聖女に聖剣を授けよう」

「……これは? ……」


 令嬢が困惑していると、王の手が令嬢の後方を指し示す。

 視線を向ければ、前列の衛兵が左右にはけ、後列の衛兵が何かを持って前進してくる。それは、金属の檻だった。

 衛兵は檻の中に入っていたものを引きずり出し、令嬢の目の前に放り積み上げていく。


「!!?」

「……う゛ぅ……っ……」


 そこには、たくさんの魔物の姿が、変わり果てた小さな魔物達の姿があった。


 空を自由に飛び回っていた羽や翼は無惨に切り刻まれ、もう空を飛ぶことは叶わない。

 自慢の前歯や爪はへし折られ、逃げられないように手足まで潰されている。


 信じがたいその光景を目の当たりにして令嬢は絶句し、首を振ってハラハラと涙をこぼす。


「……っ……、……」


 あまりの衝撃に宝剣を落とし、令嬢はふらつきながら魔物達の方へと歩みより、手を伸ばそうとした。

 魔物達は近づいてくる人の気配に怯え、令嬢の方に顔を向けて苦しそうに呻く。


「……あ゛っ……あ゛ぅ……ぁ……」


 魔物達の目は抉られていて、近づいてくる人が誰なのか分からない。

 舌まで引き抜かれ、まともに話すこともできないのだ。

 壮絶な拷問を受け、辛うじて生きている、そんな凄惨な状態だった。


「……っ……なんて、なんて酷い……こんな……こんなこと……、……」


 伸ばしかけていた手で口元を覆い、令嬢は立ち尽くす。

 令嬢の瞳からとめどなく涙がこぼれ落ち、小さな嗚咽がもれる。


(……魔物は何も悪いことなんてしていないのに……)


 ただ、不気味な姿をしているというだけで、人々から嫌悪され迫害されているのだ。

 それでも、祝福の恩恵のお返しだと言って、人である令嬢に食べ物を分け与えてくれた。令嬢はもう『祝福する与える』ことなどできないというのに。


 魔物達は令嬢がお礼を言っただけで、嬉しいと笑いかけただけで、たったそれだけのことをとても喜んだ。嬉しそうにしながら、せっせと世話を焼いてくれたのだ。

 そんな優しい魔物達が、令嬢に関わってしまったがために、こんなに残酷な目に合わされている。


 令嬢には耐え難いことだった。できることなら、魔物達が受けたすべての恐怖や苦痛を代わってやりたいと、己が受ければ良かったと思うくらいに。


「さぁ、愛しい私の聖女」


 王は背後から歩みより、真っ黒い手を伸ばして再び令嬢に剣を握らせ、声高らかに言い放つ。


「さぁ、その聖剣で邪悪なる魔物を討ち滅ぼすのだ。それが、聖女である証明となる――おぞましい醜悪な化物にとどめを刺せ!」


 捲し立てる王の声が辺りに響き、見物していた大衆が令嬢を囃し立てる。


「我らが聖女、悪しき魔物を討ち滅ぼせ!」

「醜い化物を、魔物を根絶やしにするんだ!!」


 令嬢が辺りを見回せば、おぞましい姿形をした真っ黒い人々が醜く歪んだ笑みを浮かべ、魔物が惨殺されるのを今か今かと待ち望んでいる。

 惨たらしく痛めつけられ、今にも死んでしまいそうな可哀想な魔物達へ、憐れみの目を向ける者など誰一人としていないのだ。

 令嬢には不気味な姿をした魔物などよりも、歪んだ笑みを浮かべている人々の方がよほど、おぞましく醜悪な化物に見える。


 その中でも一際おぞましく膨れ上がった真っ黒い影が、剣を手にしたまま動こうとしない令嬢を急かす。


「どうしたのだ、私の聖女? 早くとどめを刺すのだ。さぁっ! さぁっ!!」


 大衆が囃し立てている中、令嬢は消え入りそうな声で呟いた。


「……でき、ません……」


 令嬢の言葉を聞き逃した王が耳を傾け訊き返す。


「なんと言った?」

「できません!」


 明確な拒否の言葉を聞き、王の巨体がブルブルと震えだす。

 激高した王は令嬢に詰めより、唾を吐き飛ばしながら恫喝する。


「なんだと!? できぬとは、この醜い化物共と同じ目に合わされたいのか!」

「……魔物達は飢えて死にそうだったわたしを助けてくれました。何も悪いことなんてしていません! そんな魔物達を傷つけるなんて、できません!!」


 令嬢は剣を放り、振り返って腕を大きく広げ、魔物達を庇うようにして立った。

 怖ろしく巨大な真っ黒い影を見上げ、令嬢は涙ながらに懇願する。


「どうか、お願いです。これ以上、魔物達を傷つけないで……魔物達は何も悪くない。悪いのは、貴方に毒花を与えてしまったわたしです! 罰するならわたしを、わたしを罰してください!!」


 令嬢の訴えを聞いた王の相貌は、さらにおぞましく歪んでいく。


「そうか……やはり、聖女は魔物に惑わされ、魔女に落ちていたようだな……この私が婚約者として取り立て、聖女の地位も名誉も与え、最高級品で『黒色醜さ』を隠して、こんなにも目をかけてやったというのに!」


 王は物々しい所作で衆目を集め、辺りに響き渡るほどの大声で言い放つ。


「どうやら、私は騙されていたようだ! この女は私を裏切り、国や民達を見捨て、魔物に寝返っていたのだ!!」

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