8.花降る星空

 人々から憎悪の視線が一斉に向けられ、令嬢は恐怖で身がすくむ。


「なんと!? 拾っていただいた恩を仇で返すとは、恩知らずの裏切り者め!」

「心の醜さが魔物じみた色に現れている! 身も心も汚い醜女しこめが!」

「邪悪な魔物と通じた魔女!」「汚らわしい売女ばいた!」「人の皮を被った化物!」


 罵詈雑言が飛び交う中、王は怖ろしい形相で令嬢を見下し、宣言する。


「魔女に落ちた女など、もはや私の聖女ではない! 即刻、婚約破棄だ!!」

「……婚約、破棄? ……」


 突然の宣言に令嬢が動揺していると、後方から大変に豪奢な装いをした女が姿を現し、しずしずと歩み出てきて王の隣に並び立った。王はさらに大衆に向けて告げる。


「先刻、私は運命的な出会いをはたした! 麗しき姫君、辺境国の王女と正式な婚約を交わし、王妃として迎え入れることを誓った!!」


 王はおもむろに王女の腰に腕を回し、仲睦まじいさまを大衆に知らしめる。

 予期せぬ宣言にどよめいていた大衆は、美しい二人が並び立つ姿を見て、絶世の美貌を褒め称え、婚約を祝して歓声を上げた。

 会場が湧き上がる中、令嬢は茫然とその場に立ち尽くしていた。


「……王女と、婚約? ……」


 長年、一途に王を想い続けてきた令嬢は、愛する人に呆気なく捨てられ、新たな婚約者との仲を見せつけられている。

 大陸一の美女と名高い王女の姿が、令嬢の目には真っ黒く膨れ上がった巨体に無数の女の顔や脚が生えた、それは不気味な化物の姿に見えていた。


 令嬢が思わず後ずさりしかけると、王女は汚いものを見るような目で令嬢を一瞥いちべつした。


「まぁ、なんて醜いのかしら。近くで見ればなおのこと醜いですわね。高級品で着飾っていても、隠しきれない魔物じみた黒さが滲み出ていますわ」


 さらに、王女は王にしなだれかかり、甘えた声で訴える。


「わたくし達の美しい王国に醜いものがあるなんて、耐えられませんわ。ねぇ、そうでしょう?」

「ああ、そうだとも。醜悪な魔物も、それに肩入れする魔女も、この私達の美しい王国には不要だ。ただちに、処分してしまおう――衛兵、魔女を処刑する。はりつけにしろ!」


 たちまち、衛兵に取り押さえられた令嬢は十字架に縛りつけられ、会場の中央で見世物にされる。

 歪んだ笑みを浮かべる真っ黒い人々に罵られながら、処刑を覚悟する令嬢は静かに考えていた。


(……これは、報い。毒花を咲かせ与えてしまったわたしへの報い。心優しかった彼を、心穏やかだった人々を、こんなにもおぞましい化物に変えてしまったのだから……)


 少し離れた場所で苦痛に喘ぎ蹲っている魔物達の姿を見て、令嬢の目から止めどなく涙がこぼれる。


(……ごめんなさい、ごめんなさい……さぞ、苦しいだろうに、怖いだろうに……わたしに優しくしてくれただけなのに……すべてはわたしが毒花を与えてしまったせい……)


 王が落ちていた宝剣を拾い上げ、磔にされる令嬢の方へと歩みよっていく。


「これまで通り従順に祝福の花を差し出していれば、側妃くらいにはしてやったものを……醜悪な魔物になど肩入れし、この私に逆らうなど万死に値する」


 もはや、命を脅かす恐怖の対象。おぞましい化物に成り果ててしまった元婚約者の姿を見つめ、令嬢はなおも願う。


(……どうか、どうか、わたしの死と共に毒花の効力も消えて無くなりますように……心優しかった彼に、心穏やかだった人々に、何もかも元通りに戻りますように……どうか、可哀想な魔物達を救ってくれますように……)


 そう一心に願い、令嬢は死を覚悟した。


「この私に逆らったこと、あの世で後悔するがいい」


 令嬢を斬り殺そうと王が宝剣を振り上げた、その時――



「なんだ? 急に暗くなった……!?」



 ――薄暗い闇が辺りを覆い尽くしていく。


 瞬く間に、広大な式典会場を薄暗い闇が覆い尽くした。

 不意の暗転に驚いた人々が戸惑いの声を上げる。


「な、なんだ!? 何が起こっている?」

「急に暗くなったぞ! 明かりを、早く明かりを灯せ!!」

「この暗さはなんだ? まるで、夜みたいな暗さだ」


 頭上を見上げた一人が空を指差し、おろおろと周囲に呼びかける。


「お、おい、あれを見ろ……あれは、星だ……本当に夜になったんだ!」


 空を見上げ騒ぐ人々の声につられ、王も頭上を仰ぎ見て困惑した声をもらす。


「夜だと? まだ昼のはずだぞ、そんな馬鹿な話が――!?」


 仰ぎ見たその先には、満天の星々の煌めく夜空が広がっていたのだ。



 キラリ、キラリ。キラキラ、キラキラキラキラ――



 美しく壮大な星空に圧倒され、人々が見入っていると、星の瞬きと共に何かが舞い落ちてくる。


「何? 空から何か降ってくる」

「白くて小さい、何か舞ってる。まさか、こんな季節に雪?」

「いや、違う。雪じゃない、あれは…………花だ」



 ヒラリ、ヒラリ。ヒラヒラ、ヒラヒラヒラヒラ――



 それは、星空から降り注ぐたくさんの小さな花だった。

 星の欠片が降るように、淡く光り輝く花々が夜空から舞い落ちてくる。

 そんな幻想的な光景を目にして、人々は心を奪われ、夢見心地になっていく。


「なんて美しいのかしら……こんなに綺麗な星空は見たことがないわ。まるで夢を見ているみたい……」

「この星空を見ていると、なぜか懐かしい気持ちになる……忘れていた何かを思い出せそうな、そんな気が……」


 王もまた舞い落ちてきた花を手に取り、てのひらの中で淡く光る輝きを見つめた。


「……この花は……聖女が初めて咲かせた花……」


 不思議な懐かしさが、忘れていた感情が、令嬢との思い出が、王の中で呼び起こされていく。


 小さな花は暖かい光を放ちつつ、溶けるようにして掌の上で消えて無くなる。

 無くなってしまった花に切なさを覚えた王は、星空を見上げ手を伸ばす。



 ヒラリ、ヒラリ。キラキラ、キラキラキラキラ――



 星空から降り注ぐ暖かい光を浴びていると――突如、絹を裂くような王女の悲鳴が響いた。


「キャー! わ、わたくしの美しい身体が!? わたくしの美しい顔が!!?」


 己の変化に逸早く気づいた王女は絶叫し、己の身体や顔に触れながら喚き散らす。


「やっと、やっとの思いで絶世の美貌を手に入れたのよ! 何をしてでも大陸中から『美貌の花』を掻き集めてきたのよ! こんな、こんな醜い姿なんてわたくしじゃないわ!!」

「王女?! ……これは、どうしたことだ」


 王は錯乱する王女に駆けより肩を掴み上向かせたが、王女の姿の変わりように驚愕する。


「見ないで! わたくしを見ないで! もう醜い姿なんて、イヤァーーーー!!」


 見る見るうちに、王女の絶世の美貌は平凡で地味なものへと変わっていったのだ。

 叫び声に驚いて注目した人々もまた、王女の激変する容姿に驚き騒ぎだす。


「王女の姿が変わっていくぞ……あれが、本来の王女の姿なのか?」

「地味な顔に貧相な身体……美女とは程遠い、ずいぶんとみすぼらしい姿だ」

「辺境国の王女が『美貌の花』で全身を変えたという噂は本当だったのね」


 王女のあまりの変わりように唖然としていた王はハッと我に返り、手に持っていた剣をかざし、剣身に映りこむ己の姿を確認する。


「これは!」


 剣身に映った姿は、完璧な美貌の王などではなかった。

 完成された美貌はしだいに薄れ、忘れ去っていた頃の純朴な王子の面影が色濃く現れていく。


「……昔の姿に、戻っているのか? ……」


 空からは淡く光る花が絶え間なく降り注ぎ、王の視界を花弁が掠める。

 王は懐かしさの薫る花を、暖かい光の降る星空を見上げ、再び思いを巡らせた。


 ◆

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