第8話

「樹くん、最近帰るのが遅いね」

「あ……、と、友達ができて……。一緒に勉強したり、ゲームしたりしてちょっと遅くなったかも」

「そう? よかったね。友達ができて……」


 玄関でお母さんに言われたその言葉……、それがずっと心に引っかかる。

 友達……ってなんだろう。単語の意味は知ってるけど、具体的に「友達」ってなんなのか俺は知らなかった。今までたくさんの人と出会って、言葉を交わして、いろいろあったと思うけど、友達と言える人は一人もいなかった。


 なんか、不思議……。

 あっ……、そういえば…昨日白雪さんの家から出る時……。


「ね、樹くん」

「はい?」

「別にやらなくてもいいけど、それでもやってほしいのがあってね」

「はい。なんですか?」

「毎朝教室に来たら、私に挨拶をすること……。それはラ○ンとかじゃなくて、私の前で樹くんの口で言うことだよ」

「は、はい……。やります。それくらいなら」

「そして、もうため口は使わないこと」

「それは……、頑張ってみます」


 とか、言っちゃったけど、全部慣れていないことだから難しいかも……。

 挨拶はともかく、学校でため口は……全然やったことないな。

 てか、今日も早く学校に行くつもりだったけど、昨日白雪さんと寝落ちしちゃって全然眠れなかった。


 それで、ギリギリセーフ。

 深夜1時に寝るのはやはりしんどいな。


「…………」


 俺はためらっていた。


 教室の扉を開けるとすぐ入れるのに……、髪型が気になって体が動かない。

 それから5分間…廊下でうじうじしていた俺は、ふと白雪さんから言われたことを思い出す。「樹くんが自信を持つこと」、確かにそう言われたよな……。自信か、自信を持つのは大事なことだから……、勇気を出して教室に入ってみた。


「…………」


 すると、クラスの人たちがこっちを見つめる。


「誰……?」

「え? うちのクラスにあんな人いたの?」

「ちょっと待って! 冬服……を着てるから、もしかして……?」


 なんか朝からざわざわしてるような気がするけど、どうせ俺と関係ないことだからすぐ白雪さんのところに向かった。


「お、おはようございます……。白雪さん」

「今日はいつもより遅いね。樹くん」

「あ、うん。寝られなくて……」

「おっ、ため口だ」

「はい……」

「また敬語……」

「頑張ってみます……」

「いいよ。無理しなくても」


 難関を克服した。挨拶をするのはそんなに難しくない……。

 でも、周りの視線がちょっと……気まずいな。

 何もしてないのに、どうして先からこっちを見てるんだろう。


「あのね! 本当にあの雨霧くんなの……?」


 席に戻ってくると、クラスの女子に声をかけられる。

 この人は……、この前に白雪さんと話していた人だよな……? あの時、白雪さんの表情が悪かったのを覚えている。きっと俺のことで何か言われたはずだから、それが怖くてすぐ白雪さんに「話をかけない方がいい」って言っちゃったよな。今更だけど、すごく恥ずかしいことを言ってた……。


 結局、ベッドで彼女に怒られちゃったし……。

 首筋には白雪さんの噛み痕ができてしまって、6月の下旬なのに冬服を着ている。


「あ……、はい」

「へえ……、そうなんだ。なんでずっと前髪伸ばしてたの?」

「それは……癖でつい……」

「ふーん。そうなんだ……。ねえねえ、雨霧くんって———」

「樹くん」


 まだこの人の話が終わってないのに、後ろから俺の名前を呼ぶ白雪さんだった。

 そして俺はあの人ではなく、白雪さんの話に反応する。


「はい。白雪さん……、どうしました?」

「喉渇いたから、自販機行きたい」

「は、はい……!」

「ちょっと! 雨霧くん!」

「はい……?」

「私の話、無視しないで!」

「あ……、そうですね。何か言いましたか?」

「…………いや、なんでもない」

「はい……」


 白雪さん以外の人にはずっと気にしていなかった。

 彼らが何を言ってもどうせ俺とは関係ないことだから、あの人の話も俺とは関係ないはずだと…そう思っていた。


「噛み痕、まだ治ってないね……」

「あっ……、はい。もうちょっと時間かかりそうです」

「ねえ、樹くん」

「はい」

「あの人に何か言われたの?」

「いいえ。なんで前髪を伸ばしてたのかくらいです」

「そう……?」

「はい」


 髪の毛を切ってから、なんっていうか……。

 前より見える景色が広がるような気がした。

 ずっと他人に暗い人だと言われる髪型をしていたからか……、これもこれなりにいいと思う。まだ慣れていないけど……。


「…………」


 じっとしてジュースを飲む二人。

 そしてそばから白雪さんの手の甲が感じられた。

 白雪さんと仲良く……なっても高校生活は一人で静かに送りたかった……。俺はいてもいなくてもどうでもいいそんな高校生活を送りたい。でも、白雪さんと一緒にいる今はそんなことができるのか、疑問を抱いてしまう俺だった。


「そろそろ、戻ろうか?」

「はい」


 静かな場所が好きなのは俺だけではなく、白雪さんも一緒だった。

 多分、あのミステリー研究部も静かに読書ができる環境が必要だったから作ったんじゃないのかなと今更考えてみる。


 そして———。


「わあ……! 本当だ。まるで別人みたい!」

「でしょ! でしょ! 教室に入った時からそう思ってたよ!」

「おい! 雨霧……! お前、髪切ってイケメンになったのか」

「は、はい……? いいえ、そんな……」

「ぶっちゃけ、俺さ、お前のことオタクだと思ってたぞ……。なんか、悪い」

「いいえ……。いいえ…………気にしなくても」


 髪を切っただけで周りの反応が変わった……?

 そんなわけないと思う。

 この人たちはどうしていきなり声をかけてくるんだろう……。理解できない。


 本当になぜだろう。


「…………ふっ」


 ざわざわする教室。

 樹の方を見ていた美波は笑みを浮かべながら教科書を取り出す。

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