第5話 そこら中に写真があるんだから本当は二人乗りって知ってたよね

 スマホに表示されている時刻は午後二時少し前。

 RZは軽快な排気音と共に大室山に向かって進んでいく。

 バックミラーを見ると、僕の後方約十メートル程を走る白いエイプが映っている。


 まさか同じ市だったとは。


 白坂さんはRZも僕の顔も覚えていたそうで、小室山の駐輪場で僕のRZを見つけた際にナンバーを確認して同じ市だと分かり、年齢を聞いて同じ年だったので高校を聞いてきたそうだ。

 まさかこんな所で学校がバレるとは。

 下手な事をすれば本当に学校に乗り込まれて、痴漢で退学させられる可能性も出て来た。

 白坂さんと別れるまでは言動には十分注意しようと決意し、再度バックミラーを確認する。


 大丈夫、ちゃんとついて来てる。


 バックミラーから視線を前に戻すと、前方に信号が見える。

 車両用信号は青だけど、横断歩道の信号が点滅している。

 僕だけだったらギリギリ行けそうだけど、白坂さんは無理っぽいと思ったので少し速度を調整して赤信号で停まる。


 前を走るのって結構大変だな。


 僕はバイクに乗る友達がいない為、大体いつも一人で走っている。

 たまに父さんと一緒に走ることもあるけど、そんなときは父さんが前を走るので、こうやって誰かの前を走るのはたぶん初めて。

 誰かの前を初めて走って感じたのはかなり気を遣うという事だった。


 今の信号の様に、自分の感覚だけで走ると後ろの人が付いてこれない事になったり、他の車が追い越すタイミングも後続車込みで計る必要があった。

 それ以外にも離れすぎてないか、とか、スピードは大丈夫か、とか、カーブで離れないか、など、感覚的には前方三割、後方七割くらいで確認している気がする。


 一応何かあった場合はホーンを二回鳴らす事になっているので大丈夫だと思うけど、ちゃんと先導できているか不安になったりもする。


 そんな感じて走ること約二十分、僕らは無事に大室山の駐車場に辿り着いた。


 ♢♢♢


「わぁー、なんか凄ーい!」


 バイクを止めた後、ヘルメットを脱いだ白坂さんが大室山を見上げながら、最初に口にしたセリフだ。

 ちょっと頭の悪そうなセリフだけど、僕も心の中で同じような感想を持っていたし、白坂さんの言いたいことが何となくわかる。

 頂上付近がスパッと切り取られた綺麗な円錐形の山肌には木が全く見当たらず、背の低い草に覆われている。

 大室山が少し美味しそうに見えるのは僕だけだろうか。


「なんか美味しそうだよね!」


 はい、ここにもいました。

 同じレベルの思考回路に喜んでいいのか悲しんで良いのか分からずに、「ハハッ」っと愛想笑いすると、白坂さんは既にリフト乗り場に向かって歩き出していたので、僕も慌てて彼女の後を追った。


「大人二人、お願いします」


 リフト券売り場で伊東マリンタウンで貰っておいたリーフレットを見せると二人分割引になるので、僕がチケットを購入して白坂さんに渡そうとすると、彼女は財布から千円札を出して来た。


「ごめんなさい、細かいのがないので千円札でも良い?」

「別にお金はいいですよ。さっきアイスカフェラテご馳走になったし」

「やっ、あれは朝のお礼だし」

「いいですって。もうお金払っちゃったし、これでおあいこってことで」

「そんなの駄目だよ。お礼取り消しになっちゃうもん」

「じゃあ、後で缶コーヒーを奢って下さい。あの時缶コーヒー飲もうと思って飲み忘れちゃったんで」


 僕はなかなか引き下がろうとしない白坂さんに半ば強引にチケットを握らせ、リフト乗り場に向かう。

 別に格好つけたいとか、奢って良い気分を味わいたいとかじゃなく、燃料コックを回した程度のお礼は缶コーヒーで十分だと思ったし、ここのリフト代がアイスカフェラテと丁度同じような金額だったから、それだけだった。


 リフトの順番を待つ間、僕の隣で申し訳なさそうに「ありがとね」と言った彼女を見て少し罪悪感が芽生えたけど、これも僕の初めてのソロツーリングを邪魔した罰だという事にしておこう。


 幸い数分でリフトの順番が来たので、係りの人の指示に従って乗車位置まで来た僕は、ここで大変な事に気が付いてしまった。

 なんと、リフトは二人乗りだったのだ。

 小室山は一人乗りのリフトだったので、大室山でも一人乗りリフトだと勝手に決めつけていた僕の失敗だ。

 そうはいっても既に僕の後ろからはリフトが迫ってきているし、白坂さんも「この瞬間ってちょっと緊張するよね」などと言って、僕の隣に並んでリフトに座るタイミングを見計らっていた。


 え?どうする?


 と思ったのも一瞬で、ここまで来たらどうする事も出来ずに、僕の体は次の瞬間には強制的にリフトに掬われていた。


 ♢♢♢


「気持ちいいねー」


 隣から白坂さんの弾んだ声が聞こえてくるが、僕はそれどころじゃなかった。

 窓のサッシに挟まった虫のように、これでもかと言うくらいに端に寄って、何とか頑張って作った僕の努力の結晶はこぶし三つ分程度。こぶし三つ分のスペースを挟んで美少女が座っているのだ。

 彼女が細いのもあってこれだけのスペースを確保できたが、ちょっとでも気を抜けば彼女の太ももと僕の太ももは簡単に当たってしまうだろう。

 後ろのリフトから見たら、多分僕の上半身はリフトの外側にはみ出しているに違いない。

 分かってる。こんなに意識して避けている方が逆に気持ち悪いってことくらい僕だって分かってるんだ。けど、体が触れ合っても平気ですよなんて態度は、今の僕には出来なかった。


 もちろんこんな状況で景色なんて楽しめるはずはない。


「ほら見て!ここからも海が見えて来た」

「うん......」

「凄ーい、富士山真っ白!」

「うん......」

「車ちっちゃーい、オモチャみたい」

「うん......」

「あっ、手袋落ちてる」

「うん......」

「......なんか緊張してる?」

「うん......」

「以外と地面が近いね。飛び降りてみようか」

「うん......?」


 白坂さんは掛け声を掛けると、両手でリフトの手すりを掴んで飛び跳ねるように上体を持ち上げた。


「せぇーーー」

「え?ちょっ!」

「のっ!」


 次の瞬間、トスンッっと彼女のお尻がリフトの上で少し跳ねた。


「あ......」

「あははっ!冗談だよ」


 冗談ですか、そうですか。

 彼女だったら本当に飛び降りかねないと思った僕が馬鹿でしたか。


 白坂さんは焦った顔をしているであろう僕を見て、お腹を抱えてクククッっと笑っている。そんな彼女を見ていたら僕も自然に笑いがこみあげてきて、いつの間にか二人でクスクスと笑い合っていた。

 ひとしきり笑い合った後、白坂さんは僕に向かってニコッと笑いかけると、足をブラブラさせながら楽しそうな笑顔で近づいてきた山頂を見上げてたけど、もうその時には、僕と彼女の間にはこぶし一個分程のスペースしかなかった事を僕は気付いていなかった。


 ♢♢♢


 大室山の山頂に着いた僕らは、山頂の外周をグルっと一周回る遊歩道を進んだ。

 大室山からの景色も絶景で、小室山に比べて標高が高い分少し風が強いけど、360度の大パノラマが広がっていた。伊豆半島の躍動感を感じさせるダイナミックなジオラマのような光景に僕も感動したし、ここでも写真を撮りまくっていた白坂さんに釣られて、僕も何枚か写真を撮ったりして景色を楽しんでいた。


 そんな風に山頂の外周路を二十分くらい掛けて歩いてきて、もうそろそろ一周回り切ろうかという所だった。


「ねえねえ、富士山をバックに一緒に写真撮ろーよ!」


 白坂さんが急にハードルを上げて来た。


「いや、それはちょっと......」

「いいじゃん!ちょっとだけ。富士山が真っ白なんだよ?」


 ちょっとだけってなんだよ。指だけでも良いのだろうか?

 写真は撮るのも苦手だけど映るのはもっと苦手だ。

 白坂さんを放っておいて歩き出した僕だけど、背後からパシャ!っと、スマホのシャッター音が聞こえた。


「あっ!」

「ヘッヘッヘ、この写真を消して欲しかったら......」

「普通に盗撮だから消して欲しい」

「消して欲しかったら......」

「消して欲しかったら?」


 白坂さんは交換条件を何も考えずに口走ったのか、少し間を於いてから少し緊張したように条件を口にした。


「消して欲しかったらさ......せっ、折角だし、やっぱり一緒に写真撮ろうよ。ほっ、ほら!富士山があんなに白いのにもったいないじゃん!旅の思い出だよっ!」


 うーん。白坂さんだったら地元に帰ってから僕の写真を友達に見せて笑いものにする心配もないだろうし、それに彼女が楽しそうに写真を撮っているのを見ていて、僕も少し反省している所があった。

 折角日常を忘れて、こうして偶然出会った彼女とここに居るのも何かの縁だろう。


「じゃあ、一枚だけだったら」

「えっ!あ、うん。じゃあ、一枚だけ......ちょ、ちょっと待って!」


 白坂さんは焦ったようにそう言うと、僕に背中を向けてスマホの画面を見ながら一生懸命に髪を直しだした。

 いや、さっきまで自撮りで撮りまくってたし、あなたくらい美人さんだったら髪を整えなくても何の問題もないですから。

 そんなことを思いながらも暫く待っていると、ようやく納得できる髪型になったらしく、彼女は俯きながら僕の横まで来て並ぶと、おずおずとスマホを構えた。


「おっ、おまたせ......じゃ、撮ろっか」

「僕が撮ろうか?」

「ううん。大丈夫。あっ、ちょっとだけ屈んでもらって良い?」


 白坂さんの注文通りに少し屈むと、彼女の顔が僕の顔に触れそうなほど接近してきたので、急にドキドキして耳が熱くなった。


「とっ、撮るよ!」

「はいっ、お願い......します」


 カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!


「あっ、一枚だけって言ったじゃん!」

「えへへっ。間違って押しちゃいました」

「一枚だけ残して消してよ」

「別に良いじゃん。同じ写真なんだから一枚も百枚も同じだよっ」

「ダメダメ、あと、約束通り盗撮写真も消して!」

「チェッ、覚えてたのか~。せっかく誤魔化せたと思ったのにな~」


 初めは何故彼女が写真をたくさんも撮るのか僕には分からなかった。


 ただ、下りのリフトで白坂さんが同じ写真を何回も見比べて、楽しそうに独り言をいいながらも真剣に悩んでいたのを見て、これも彼女にとっての旅の楽しみ方なんだろうと、少しだけ思えるようになった。


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