第4話 燃料コックを回したらアイスカフェラテ入りの壺を買わされそうです

「あっ!白ヘルっ」

「白ヘル?」

「いやっ、もしかして今朝の......燃料コックの?」


 余計なことを口走ってしまい慌てて誤魔化した。


「はい。の燃料コックの。あの時は本当に有り難うございました」


 白ヘルさんは再びお礼を口にすると、またペコリと頭を下げた。

 そんなに何度も頭を下げられるような事はしていない。

 しかしこんな美人と話していても緊張して挙動がますますおかしくなりそうだからさっさとこの場を離れよう。

 ああっ、カップルがまたチラッとこっちを見ていたし。


「いやっ、大したことしてないので。でも良かったですね、それじゃ―――」

「あっ!このカフェ......もう入りました?」

「え、いや......まだ、どうしようかなって考え―――」

「じゃ、じゃあ、ちょっと寄って行きませんか?お礼もしたいし」


 いや、このカフェはついさっき僕にとって鬼門になったし、こんな美人さんとお茶しても緊張して手が震えそうだし......でもあの桟橋みたいな所に行けるチャンスかも。

 あぁ、声の可愛い男性だったら二つ返事でOKなのに。


「べつにお礼なんて―――」

「あっ、ごめんなさい。もしかして予定があって急いでたりします?」


 Oh!その手があったか。白ヘルさん、ナイスアシスト!

 これでスムーズにここから離脱できます。


「い、いえ、別に予定は。特に急いでるわけでも」


 Noー--!何を口走ってんだ僕の口め!いつからそんなことを言うようになった!


「だったらちょっとだけでもお礼させてください」


 白ヘルさんは上目づかいでそう言うと、僕のジャケットの袖を摘んで軽く引っ張って来た。


「じゃ......あ、お言葉に甘え―――」

「やった!じゃあ入りましょ!」


 こんな美人さんにこんなことされて振りほどける男なんてそうはいないだろう。

 壺や絵画を買わされるなんて都市伝説のたぐいだと思ってたけど、僕もいつかこうやって買わされる羽目になるのだろう。


 カフェのドアを開けて意気揚々と入店した白ヘルさんに袖を引っ張られたままの僕は、極度の緊張でガクガクと震え出した膝を片手で抑えながら、中腰で鬼門のカフェへの入店を果たした。

 それにしてもこの人、意外と強引......っていうか、さっきからチョイチョイ食い気味に被せてくるけど何なんだろう。


 ♢♢♢


「外の方が気持ちいいですから、ウッドデッキに座りませんか?」


 店外のウッドデッキの空いている場所に腰を下した白ヘルさんに、心の中で、失礼します。と断わってから頭を下げた僕は、白ヘルさんから1.5人分の間隔を取って腰を下した。

 僕が座ると、白ヘルさんは僕の方に向き直ってから、揃えた膝に両手を置いて再び深々と頭を下げた。


「今朝は本当に有り難うございました。本当に助かりました」

「いや、本当にもういいですよ。でも故障じゃなくて良かったですね」

「はい。恥ずかしいとこ見られちゃって......でもあの後ちゃんとガソリンも入れて、教えて貰った通り燃料コックも元の位置に戻しました。もうバッチリ覚えました」


 少し俯いて恥ずかしそうにする白ヘルさん。


「じゃあ、これからはもう―――」

「あっ!ごめんなさい、自己紹介してなかったですね。私、白坂しらさか雪菜ゆきなって言います」

「え、と......僕は北条です」

「北条?」

「はい、北条です」

「北条?」

「はい......」


 何だろうこの人。すっごい笑顔なんだけど、圧が強い。


「北条?」

「......北条......しゅんです」

「北条隼さんですね。改めて有り難うございました」


 白ヘルの有無を言わせぬ迫力に、僕はフルネームを答えてしまったけど別に負けたわけじゃない。彼女がフルネームで名乗ったから僕も礼儀としてフルネームで名乗っただけだ。

 しかしこの人、僕に最後まで話をさせたらいけない呪いにでも掛かっているのか?


「ところで北条さんって......あっ、早く飲まないと氷が解けちゃいますね」

「そうですね。すみませんご馳走になっちゃって」

「いえいえ~どうぞっ!」


 なんか疲れて来たので、飲むもの飲んで早く彼女とさよならしよう。

 お礼と言って奢ってもらったアイスカフェラテ。

 一人で入ろうか悩んでいた時は楽しみにしていたのに、今はただ早く胃に流し込みたい。


「それじゃあ、遠慮なく頂き―――」

「あっ!ちょっと待って!」

「え?」

「写真っ、写真だけ撮らせてもらっても良いですか?」

「写真ってこれのですか?」


 僕がアイスカフェラテを目の前に掲げるとコクコクと頷いたので、一旦ウッドデッキの上に置くと、彼女は自分のドリンクを僕のアイスカフェラテの横に並べて夢中でパシャパシャと写真を撮り始めた。


 そう言えば妹もおいしそうな物をよくスマホで撮ったりしてる。

 なぜそんなに沢山撮るのか僕には分からないけど、夢中にさせる何かがあるのかも知れない。

 しかもアイスカフェラテはカップに汗をかき始めているし、彼女のドリンク、なんちゃらフラッペは上に乗っているアイスがかなり溶けてきている。


「ありがとうございました」

「......いえ、もう写真は大丈夫ですか?」

「はい!いっぱい撮れました」


 そりゃ、あんだけボタンを押せばいっぱい撮れるだろう。などと野暮なことは言わず、


「(良い写真が)いっぱい撮れて良かったですね」


 と、口にしてから、「頂きます」とアイスカフェラテを口に含んだ。


「......うん。美味しい」

「ホント、こっちも美味しいです」


 氷が溶けかかったアイスカフェラテは少しほろ苦かったけど、眼下に広がる海を見ながら飲む味は格別だ。

 同じように海を見ながら忙しそうにアイスを口にする彼女も満面の笑みを浮かべていた。


 ♢♢♢


 僕の悪い癖、と言うか、自分でも直していきたいと思っている事が二つある。

 一つは一度バイクに乗って走り始めたら、なかなか休憩せずにダラダラとどこまでも走り続けてしまう事。

 そしてもう一つは写真を撮るという習慣が無いという事。

 今までも日帰りで何回かツーリングに出かけた事があるけど、家に帰ってから妹に写真見せてって言われて、一枚も撮っていない事で本当に行ったのか疑われるようなこともあった。

 もちろん今回のツーリングでも、僕はここまで一枚も写真を撮っていなかったことを思い出したので、桟橋のような場所で一枚だけ海の写真を撮って妹に送った。

 彼女―――白坂さんはそれはもう凄い勢いで写真を撮りまくっていて、僕がシャッターを押してあげた枚数だけでも二十枚以上はあると思う。


「あー、良い所ですね、ここ。来て良かったなー」


 ウッドデッキに戻って来た白坂さんは、体育座りで大きく伸びをしてからそう呟いた。


「そうですね。気持ちいいですね」


 こうやって旅先で初めて会った人と同じ時間をゆっくり過ごすのも、ツーリングの醍醐味かも知れない。


「さてと......ご馳走様でした」


 なんだかんだ言って、既にこのカフェに入ってから四十分以上経っている。

 僕が白坂さんに再度ご馳走になったお礼を告げて立ち上がると、白坂さんも、あっ、と言った表情で立ち上がり、また頭を下げてお礼を告げて来た。


 白坂さんのお陰でこのカフェに入ることも出来たし、なんだかんだ言っても僕も男子高校生だ。こんな美人と話が出来ただけでも良い旅の思い出になった気がする。


「じゃあ、僕は行きますね。白坂さんも気を―――」

「あのっ、北条さんってこれからどこいかれるんですか?もしかして帰るとか?」

「いや、これから大室山に行こうかと思ってま―――」

「ホントですか!私も大室山に行こうと思ってたんです。もし良かったら―――」


 なんかあれだな、一期一会って良い言葉があるんだけど。ちょうどそんな流れだった気がするのに、白坂さんってばそういう空気を気にしないタイプですか。そうですか。


 またしても袖を摘まれてしまった僕に出来る事は、白坂さんの言葉に黙ってうなずく事だけだった。

 壺を買うために今からお金を貯め始めた方が良いだろうか。


 ♢♢♢


「失礼ですけど、北条さんっておいくつですか?」


 小室山をリフトで下ってきて、駐輪場に向かって歩いていると、隣を機嫌良さそうに歩く白坂さんからそんな質問が飛んできた。


「十七歳です。高校二年......この春三年になります」


 壺を買わせるためにローンを組ませたいのだろう。

 けど残念です。僕はまだ未成年なのでローンを組むことも出来ないし、もちろん貯金だって―――


「えっ!同じです。私も十七で四月から高校三年ですっ!」

「えっ?十七?」

「はい。十七歳です」


 すみません。大人っぽいからてっきり大学生だと思ってました。

 うちのクラスにこんな美人がいたら、さぞかし大騒ぎになることだろう。


「ねえねえ、北条君って高校どこ?」


 凄いな。タメだって分かったらいきなりタメ口で北条君か。

 たぶんクラスカーストのトップに君臨しているであろうことは、その容姿や言動から容易に想像できる。

 しかしこういう人って言葉使いを上手くコントロールしているのか、それともナチュラルにそうなってしまうのか、どっちなんだろう。

 因みに僕はよほど親しくならない限り年齢にかかわらず敬語派だ。考えなくて楽だし。


 それより、なんで僕の高校を聞くんだ?

 タメだと分かったから壺を売りつけるより手っ取り早く恐喝しようってことか?

 彼女が学校に来て、「この人に痴漢されました」って一言言うだけで僕の高校生活は終わりだろう。まあ、別に終わっても良い気もするけど。

 いや、それでも父さんや妹には迷惑は掛けられないな。


 と、変な妄想をした後で冷静に考えても高校を聞く意味が分からない。

 多分言っても知らないだろうし、ふーん。で終わるだろう。


「えっと......西高って所ですけど......」

「西高なんだ!」

「え?」

「県立西高でしょ?私、北高だよ」

「えっ?」

「県立北高。西高の隣の駅の」

「ええっー-?」


 駐輪場の手前で僕が立ち尽くしていると、白坂さんは並んで停まっているRZと白いエイプの所までタタッっと走って行き、二台のナンバープレートを指さしてニコッと笑った。


「ほらほら!同じでしょ」


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