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私は母の声を知らない。
出産からまもなく両親は別居を始めた。
今でも婚姻関係は続いているらしいが、父もあれきり母と会っていないはずだ。
当時は花の女子大生だった母も、今やアラフォーである。さすがの父も今更よりを戻したいとは思うまい。
過去の女、しかもババアの尻を追いかけるくらいなら、諭吉をちらつかせてパパ活でもしていたほうが色々と楽しめそうだしね。
その父の声も、長らく聞いていない気がする。最後に話したのはいつだったか。
少なからず、1年前の今日は連絡を取っていない。2年前もそうだし、3年前もそうだ。
私が産まれた日。それは父にとって人生の大きな節目となった。
妻との別居を強いられ、右も左も分からぬままで育児を行い、しかしすくすくと育っていくソイツは己の人生を狂わせた元凶だ。気が触れるのは必然と言える。
思えば、親からは一度として言われたことがないな。
お誕生日、おめでとう。
めでたくないのだから当然か。父に至っては、生まれてこないほうが良かったとさえ思っているかもしれない。
逆に母は、産まなければよかったなんて思ってもいないだろう。
なんせ私の母だ。次の出産の良い予行演習になったわー。くらいの感覚で捉えていると思う。我ながらサイコな母を持ったものだ。
「女々しいねぇ。私は女だけどさ」
誕生日にはどうしても両親のことを考えてしまう。無意味と分かっているのにね。
憂鬱だ。が、それも長くは続かない。今の私には親身になってくれる人が数多くいる。
今しがたにも、階下から騒々しい声が聞こえてきた。どうやら大人数でパーティーの準備をしてくれているらしい。
身に余る光栄とはこのことだね。家族からは一言すら貰えないが、多くの友人が私の生誕を祝福してくれる。
「そろそろ降りてきな」
生意気な後輩がにやにやしながら言ってきた。本当にひねくれているな、こいつ。
「みんなで1本1本を丁寧に立てたんだ。綺麗に一発で吹き消してくれよ?」
無茶を言うな。こちとらそんなことをした記憶が1度もないんだぞ。
「本当に、きみってやつは」
呆れの強い声に、一撮みの感謝を込めて言ってやった。
私は母の声を知らない。
けど、もっと温かい声を知っている。
私は幸せ者だ。
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