第2話 セーラー服の少女

 はぁ。はぁ。日頃運動をし慣れてないせいか、階段の終わりに着く頃には完全に息が上がる。

 手すりに寄りかかりながら、上の階に着くと、そこにはセーラー服の女の子が座っていた。


「誰……」


 思わず口から漏れた言葉に、彼女が振り返って笑顔を見せる。


「あなたこそ、だぁれ?」


 少し間伸びしたような声は、まるで人を馬鹿にしてるように聞こえた。


「わ、私はここに死ににきたの! 止めないでよね!」


 馬鹿にされたように感じて、つい声を荒げる。


「そう。とめないよぉ。わたしもだからぁ。」


 少し高めの、鈴の音のような声はとても可愛らしくて、話した言葉よりも、その音の心地よさだけが耳に残る。


「あ、あなたも?」


 何とか聞き取った彼女の言葉尻。それについ反応してしまう。


「うん。死ににきたのぉ。だけどね、すこし海の声を聞いてからって思って、座ってた。」


「海の声?」


「あなたも、きく?」


「う、うん……」


「じゃあ、どうぞぉ。」


 彼女の白くて細い手が、隣のスペースを示した。まるで作り物のような手に、引き寄せられるように隣へ座った。


「海の声ってどういうこと?」


「しぃ。」


 彼女が次は人差し指を真っ直ぐに立てて、自分の口元へ当てる。彼女の口元で、秘密の形を描いた指先は、今すぐにでも折れそうなぐらい細くて、血の気が引いたように真っ白だった。


 ザザン……ザザン……


 彼女の指に見惚れてるうちに、耳の中へ波の音が入り込んでくる。


「波の音のこと?」


「うぅん。海の声だよぉ。ほら、お喋りしてるように聞こえない?」


 彼女も同じ音が聞こえているはずなのに、私にとっての波の音は彼女にとっては海の声だっていうの?

 どれぐらいの間だろうか、二人で同じように海の声を聞き続ける。

 そして、どちらともなくポツリポツリと話を始めた。


「あなたは、どうして死にたいの?」


「そういうあなたはどうしてぇ?」


「私は……クラスでいじめに遭ってて……親も自分たちのことばっかりで……離婚しそうで……私のことなんて、これっぽっちも考えてないの。」


「そっかぁ。それは、つらいね。」


「あなたは?」


「わたしね、一人ぽっちなの。親も兄弟も親戚も、だぁれもいないの。学校も行ってないから、友だちもいない。だぁれもいないから、何のために生きてるか、わからなくなっちゃった。」


 んふふ。彼女が鈴の音のような声をたてて笑う。何にも楽しくないのに、楽しくて仕方ないような、そんな声で笑った。

 この世界で一人ぽっち。それはどれだけ孤独なことだろう。いつもケンカばかりしてる両親でも、いるだけ私の方が良いのだろうか。


「友だち、作ればいいじゃん。」


「えぇ? いらないよぉ。だって、これから死ぬんだよ?」


「あ、そっか。」


「うふふ。でしょう? だぁれも、いらないよね。」


「う、うん。」


 本当にいらないのだろうか。誰も彼も。皆。

 いじめに加担してるのは全員じゃない。親だって、私にはそれなりに優しい時もある。

 その人たち皆、いらないのか。


「だって、死んだらみんながいないところにいくんだよぉ。思いがのこったら、こまるよねぇ。」


 みんなのいない所。もう誰にも会えなくなる。

 彼女の少し間伸びした声が、私の耳にまとわりついて、徐々に私の頭の中を侵食していくようだ。


 まるで水の中に絵の具を垂らした時のように、私の頭の中に彼女の声が浸透していく。それも、真っ黒な絵の具。どんな色も呑み込んで、黒色に染め上げてしまうように、彼女の意見に染められていく。


「あなたは、何でセーラー服なの?」


「これぇ? だって、死ぬなら正装かなぁって。それに、セーラー服重いじゃない? 浮き上がってこれないよね。」


 彼女の言葉に、暗い海の底に沈んでいく自分を想像した。重たいセーラー服がまるで鎖のように海の底へと引っ張っていく。


「うっ……」


 その想像だけで、胃がムカムカする。胃の中を引っかき回されてるみたい。


「ふふ。あなたはまだ、あっちにいってはダメみたい。」


 彼女の細い指が、これまで何人もの人が最期に通った、死後の世界への門を指差した。


「ちゃんと、覚悟が決まってから、またおいでぇ。」


 覚悟……死ぬ覚悟。誰かに想いを残して、想像だけで吐きそうになってしまう私には、まだ足りないもの。


「そう。たりないでしょお?」


「そんなことないっ!」


 ここまで来るのに、覚悟なんて決めて来た。誰と別れたって、何があったって、死んでやるって。


「誰のために? あなたは、なんのために死ぬの?」


 なんの……ため? 逃げたい? 見返したい?


「そんなこと、なんの意味もないよぉ。逃げることはできても、見返すことなんてできないよぉ。」


 彼女が私の心を読み取ったかのように、返事を返してきた。

 今、声に出した?


「あなたが死んで、本当に後悔すると思う? すぐに、別のターゲットを見つけるだけ。友達ヅラして、インタビューとかに答えて、悲しんでますってその場を取り繕うだけの顔。そんなもの見たい? もし、本気で後悔させたとして、死んじゃったらその顔も見られないよ?」


 彼女の言葉に、息を呑んだ。

 いつのまにか間伸びしなくなった彼女の声は、私の頭の中に直接録音されたように、何度も何度も響き渡る。


「誰かのために死ぬなんて、勿体ないよ。それぐらいなら、生きて、生き延びて、見返してやれ。ね、約束しよう。」


 彼女の声に初めて感情がこもった気がした。

 そう言って差し出された彼女の小指に、自分の小指を絡める。


「つ……つめたっ。」


 彼女の指先はこの世のものとは思えないくらい冷たかった。


「ごめんね。でも、どうしようもないんだ。どうやっても、温かくならないし。」


 それって……まさかね。


「でも……」


「学校? そんなところ、行かなくたっていいよ。生きてさえいれば、努力さえすれば、いつかちゃんと見返すチャンスが来るよ。」


「だけど……」


「じゃあ、あなたの悲しみ、辛いこと全部、私が持っていってあげる。」


「え。どういうこと?」


 ふふっ。彼女は鈴の音のような声をたてて笑う。そして、突然立ち上がった。


「あなたは生きて! 私の分まで、生き抜いて!」


 私に全身から絞り出したような声で叫び声を叩きつけ、死後の世界への門をくぐり抜けた。


「っ?!」


 彼女がくぐっていった門に近寄って、下を見る。


 ザザン……ザザン……


 彼女が教えてくれた海の声が、変わらずに聞こえてくる。


 私の目に映ったのは、青い海と青い空、そして彼女が身につけていた真っ赤なスカーフ。そのスカーフがひらひらと舞っていくのを見ながら、私は意識を失った。

 

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