第43話 風戦ぐ音は




 夢の中で、風が、私の頬を撫ぜたような気がしました。




「今度は、俺がきっと頑張るから……」


 眠るルルの頬を撫ぜ、その温もりに安堵しながら俺は呟いた。

 小細工なんてする時間があるなら、もっと側にいる努力をしなくちゃいけなかった。

 ――次こそは、間違えない。




 風はその金の髪をサラリと揺らし。




「……っ、今度の件、っふ……手筈は整えてくれてまして……?」

「ああ、すでに……皇宮地下への入り口は、見つけているよ」


 可哀想な人、利用されていることなどちっとも考えていなくて。

 ほんと、哀れだわ。

 こんなに愛に飢えている……私達は、ほんと、哀れだわ。




 この世界のどこかで、風と共にひどく薄暗い衣擦れの音が静かに響き。




 夜の帳は、ゆっくりとゆっくりと、人の感情を呑み込むかのように、おろされていったのでした。













 ふわふわと、良い心地がします。

 なんだか、とても暖かい。




 うっすらと目を開けると、カーテン越しの窓の外から、明るく爽やかな陽の光が入ってきているのがわかりました。

 朝か、昼でしょうか。

 眠る前よりかはだいぶスッキリした感じがして、ゆっくりと辺りを見渡します。

 私はどうやら、医務室に寝かされているようです。

 腕には、点滴の管がつながっていました。

 ただ一回目に寝かされていたベッドの場所とは、位置が違って部屋の角へと移動していました。

 医務室で過ごすことになったので、どなたかが配慮して運んでくれたようです。

 衝立による囲いも、なされていました。

 あれから、何日経ったんでしょうか?


「あ、目が覚めた? よく寝てたよ〜、今日であれから二日目だからね。動かすのは体に負担だから、医師常駐の元ここでの療養になったんだ。どう? 体の方は」


 ちょうどその時、衝立の脇から顔を覗かせ、医務のウィッシュバーグ先生が声をかけてきました。


「だいぶ、スッキリしています。お腹が……空いているかもしれません」

「医者の先生から食べて良いって言われてるから、何か持ってくるね〜。あ、動く許可は出てるから足元の机、出しといて〜」

「はい。ありがとうございます、よろしくお願いします」


 言うなり先生はまた顔を引っ込め、私は上体を起こすと、足元でベッドと一体となっている机を用意しにかかったのでした。


 その間にコンコンという音がして、誰かの入ってくる靴音が室内に響きます。

 音はだんだんと近づきこちらへとやってきているようでした。

 コツコツ、と衝立を拳で叩く音がします。


「はい?」

「ルル、俺だけど今いいかな?」


 レイドリークス様です。


 どうしましょう、私、臭くないでしょうか?

 自分の匂いを嗅いでみますが、いまいちよくわかりません。

 迷うところでしたが、けれど、大事な用かもしれず羞恥に見てみぬ振りをして返事をしました。


「はい、大丈夫ですよ」

「入っても?」

「はい」


 なるべく身綺麗になるように髪を撫で付け、私はレイドリークス様にこたえました。


「調子は、どうかな?」


 衝立ついたての脇から顔を覗かせたあとでこちらへと歩いてきた彼は、とても気遣わしげな表情をしながらきいてきます。


「だいぶいいみたいです。お医者様からも、動いても良いとの許可もいただいているようですし」

「そう、それなら良かった。いや、怪我したのは良くはないのだけれど」


 少し、苦笑いをすると傍らに置いてあった椅子へと腰掛けた彼は、不意に手を此方へと伸ばしてきました。

 そして、私の頬を撫ぜながらとろけるような顔をし。


「心配した。けど、無事で良かった。君の思いは聞けたからもう遠慮はしない。超えるべき壁はまだ高いけれど、諦めず登って乗り越えようとするのは自由だと思うのだけど、良いかな?」

「……へ?」


 と、爆弾発言をしてきたのでした。




 数十秒は間が開いたでしょうか?

 私は事態があまり飲み込めず、よくわかりません。

 そのうち彼は私の返事を待たずにあれこれと今後の計画? とやらを話し始めました。


「まずは俺の家の成り立ちというか、なぜ皇家の子供が公爵家へと養子に行かなければならなくなったのか、その大元の経緯を調べてみようと思うんだ。詳しくは言えないのだけれど、当事者になってみるとあまりにもその内容が酷くてね。それに、もしも俺が養子に行かなくて済めば、君の家に婿入りできるだろう?」


 え、婿??

 どどど、どうなってます、かね?

 何が変わって何故こういった話が出ているのかが、私に見えてきません。


「あ、ああああの、婿入りって……?」

「そうだった。まだ俺から言っていなかったね」


 言いつつ、彼が今度は私の頬を両手で包みました。


「俺も好きだよ。今はまだ環境が整っていないけれど……整いさえすれば君への求婚をしたいと、そう思ってる」


 ぼふん、と顔から火が出るかと思うくらい驚きと羞恥と嬉しいとどういうこと? がないまぜのぐるんぐるんになって、私に襲い掛かり、私の発した声は裏返ります。


「れれれれ、レイドリークすさま?」

「ん?」

「私、状況が良く、飲み込めてまヒェん」


 しかも噛みました。


 彼は、面食らった顔をして私の頬から手を離し、それから頬がだんだんと赤く染まりました。

 か、かわゆい。

 っじゃないですないです。


「ごめん、そういえばルルは意識が朦朧もうろうとしていたんだったね。その、……君が俺に気持ちを打ち明けてくれたんだ、あの、倒れた日に。だから嬉しすぎて、ルルが覚えていないかもしれないっていう可能性を失念していたよ」


 しまったな、なんて言いながら、でも顔は緩んでとても穏やかな表情のレイドリークス様は、動揺する私にお構いなしに言葉を続けました。


「君の気持ちがどうだとしても。俺の気持ちはもう固まったから……どうか告げることだけは許してほしい。

ルルが、好きだよ。できることなら一緒に歩んでいきたい。そのための努力がしたい。……努力をする許可を、くれないかな?」




 心からの、声です。




 レイドリークス様の瞳には、私しか映っていませんでした。



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