第41話 流れた血は多過ぎて




 救護の人はすぐに来てくれて、俺達は学校に帰り戻ると医務室の廊下で処置が終わるのを待った。




 何故、こうなっているんだ。




 隣にはエンペルテ嬢がやはり思い詰めた顔をして立っていた、顔色などは悪いを通り越して青白い。

 シュシュルー嬢も、見知った相手だからか心配そうな面持ちだ。

 無理もない。


 血が、流れすぎていたから。


 俺は先程まで華奢な体を抱いていた両手を見た。

 手には彼女の生命維持装置の一つでもある血が、おびただしい程ついている。

 彼女の、大事な血だ。

 こぼれ落ちればどうしようもないのに、思わずギュッと取りこぼさないようにと、まるでそうできるかのように握りしめる。


 あの時、魔獣が倒れたと共にルルの声がした。

 振り返ろうとして少し前に逃げたコッツオ卿とおぼしき人影が視界に映ったが、何をしようとしているかまではわからなくて。


 だから俺は間違えたんだ。


 俺がちゃんと自分の危険に気が付いてさえいれば、彼女が身をていする必要なんて何もなかった。

 言ってもせん無いことだというのにそんな考えばかりが頭の中を支配して、うまく身動きが取れない。


 不意に、足早というよりはもう全速力で走っているだろう足音が、学校の廊下にこだました。


「ルルーシア!!」


 彼女の父上だった。

 俺は彼の方を向くと、一礼をした。


「……っはっ、ルルの、状態をお知りですかな、レイドリークス殿下」


 ジュラルタ公爵は急いできたのだろう、乱れた髪を直しもせず、やはり青白い顔をしている。


「まだ、詳しい経過は何も。中でウィッシュバーグ先生が処置をしているけれど」

「……そう、ですか。殿下、失礼ですが別室で経緯をお聞きしても?」

「あ……、そうだね。気が利かず申し訳ない」

「殿下、有事ですのでお気になさらずに。さ、こちらへ」


 そう言われ、彼に誘われるままに医務室に程近い空き教室へと入った。

 適当にと告げられその辺の机の椅子へと座る。

 ひどく現実感がない。

 本来ならこんな対面をするはずではなかった、などこの状況になんら関係のないことが頭に浮かんだ。


 パァァァァン!


 何が起こったのか一瞬わからなかった。

 俺は左頬を目の前のまだ立ったままでいた彼に打たれたらしい。

 ジンジンとする頬に、我に返る。


「ジュラルタ公爵、何を……」

「いえ、腑抜けてらっしゃるようでしたから、喝を一つ」


 公爵は右手をヒラヒラと振りながらなんてことのないように答えた。


「今娘は頑張っているはずです。その娘が助けたのがあなただ。私は父親として、何より臣下としてあなた様がどうなさるおつもりなのかも聞きたいと思っているのです。なのにそんなにも気が抜けていたら役に立たない。おっと、これは失礼致しました」

「いや、俺こそすまなかった。話をしよう」


 彼のお陰で、頭はだいぶスッキリしている。

 嘆いてばかりでは時間だけがすぎていくだけだ――彼女のために何ができるのか。

 俺は公爵に質問されながら、彼女の身に起こったことを話し始めた。


 つい熱が入り身振り手振りで当時の様子を説明する。

 なるべく、見聞きした状況を詳しく。


 話すことで俺の方も少しずつ冷静になっていくと、だんだんと現状が飲み込めてきた。


「そうですか、そのような事が」


 言うと彼は深く息を吐いて椅子に体を預ける。

 疲れた様子だがその瞳には燃える命が映っているようだった。


「今思うに、あれは俺への刺客だろう。御息女を危険に晒してしまい、申し訳ない……」

「いえ、好機とわかっていて狙わぬ刺客はおらんでしょうから。娘は元よりあなたを守ると決めていた、ただそのやりようが実直すぎた故の、事故でしょう」

「え? いや、しかし……」

「そういうことにしておいてください殿下。いずれ終わりが見えれば話せましょうが、今はまだ情報が足らず機にございません」


 娘の気持ちの代弁をした……というのは内緒ですよ、と公爵は少しおどけた様子で口に人差し指をやり、ゆったりと微笑んだ。


「うちの娘はやりたいことのある子です、そうやすやすと命をくれてやるほどお人好しでもない」

「そう、だな。何より学校の先生がついてらっしゃる」


 信じよう、という言葉は口については出てくれなかった。

 刺さった三個の暗器にはそのどれもが毒が塗ってあったようで、救護の方が薬を持っており解毒はしたが、予断は許さないだろうと言われた。

 ただ幸いに、ルルが避けたのか相手がしくじったのか、他にも放ったものは刺さりもかすりもしなかったようで、もしももう一つ刺さっていたら命の補償はなかったらしい。


 紙一重、だったのだ。


 今更ながらにそら恐ろしくなって、まるで魂がここから逃げて行かないようにとでもいうように両拳りょうこぶしを握りしめる。

 そうしてどれくらい経っただろうか、きっとどれほどの時間も経ってはいなかっただろう。

 エンペルテ嬢が公爵を呼びにきて、俺も一緒に医務室へと慌ててついていった。

 処置が、終わったらしい。

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