第29話 泣いてしまうんです

 私も、この状態はまずいです。

 慌てて何とか体に発破はっぱをかけて、借りた上着のボタンを止めます。

 立ちあがろうとしましたが、それは上手くいかずペタンと座り込んでしまいました。

 足音の主は段々と近づいてきます。

 もう半分諦めたところで姿を現したのは、医務をしているハンスヴァン先生でした。


「あれ? 君たち帰ってなかったの〜? 今日は図書室はおやす……っと、これは僕の出番みたいだね」


 側まで来たところで私のなりに気づいたらしく、さっと近寄り膝を落とすと私を抱えてくれます。

 いわゆるお姫様抱っこというやつです。


 なま、おひめさまだっこ…………?!?!


 色々な事が起こり過ぎて、頭の許容量が追いつきません。


「先生、それは俺が」

「その結果、君、責任取れるの?」

「…………っ!」

「若い情熱っていうのは素晴らしいことだけど。自重と場合は覚えなね、僕ちゃん」

「……彼女を、よろしくお願いします」


 抱っこされている現実に思考が停止しているそのかたわらで、会話がなされている事には気付けず、私はされるがまま抱っこで先生に医務室まで連れてかれるのでした。


 医務室に着くと、ベッドの端に降ろされました。

 先生はまず私を毛布でくるんだ後、サイズを聞き、予備の制服取ってくるねと言って離れていきます。

 そばに人気ひとけがないだけで、先ほどの恐怖がよみがえりました。

 それと共に、レイドリークス様に助けてもらった事も思い出して、格好良かったし優しかったな、だなんて感じたりもして、怖いと格好良いを行ったり来たりの乱高下する気持ちを持て余します。


「あったあった、最後の一組だったよ〜備品更新しなくっちゃ。僕机のとこいるから、着替えたらおいで、ホットチョコレート入れて待ってる」


 ハンスヴァン先生はそう言いながら私の頭を撫でると、その場を立ち去りかけたので、慌てて声をかけました。


「あ、あの、先生、濡らした布巾ふきんも、用意していただいても良いですか? 頬が、気持ち悪くって……」


 茶色い髪の隙間からのぞく黒い瞳が、一瞬険しくなったような気がしますが……気のせいだったのでしょう、今は穏やかに私を見てくれています。


「ごめんごめん、気付かなかった。ちゃんと用意しとくよ〜」


 そう言うと、ひらひらと手を振って今度こそ机のほうへと歩いていきました。

 私は用意してもらえる事にほっとして、貸し出してもらった制服へと着替える事にします。

 着ていた物を脱ぎ捨てると、新品のそれに腕を通します。

 脱いだ物を再び着る気にはちょっとなれそうにもなく……レイドリークス様に借りた上着だけ、きちんと畳んでおくことにしました。


「先生、制服こちらのごみ箱に捨てて帰ることってできるでしょうか?」

「あ、いいよいいよ、こっちで処分しとくから任せて〜」


 軽い感じで了承をもらい、ありがたくそのままにしておきます。

 着替え終わったので、先生のいる机のそばまでいくと、湯気の立つホットチョコレートの良い匂いが鼻をくすぐりました。

 少し落ち着いてきたからか、おなかがきゅると鳴きます。


「はい、布巾。少しあったかめにしといたから、気をつけて使ってね」

「ありがとうございます」


 手渡された布巾を受け取り、頬を拭います。

 先生の気遣いに、その部分が綺麗になっていくような不思議な感覚になりました。

 気にかけてもらうって、すごくあったかいものなのだな、と再認識です。

 拭った布巾を先生に返すと、今度はホットチョコレート入りのカップを手渡されました。


「そこの椅子、座ってね」


 椅子を勧められたので、素直にすとんと座ります。

 座ったことで気が抜けたのか、ぽろぽろと目から涙が溢れてきました。

 危ないので、カップは机に戻します。


「……君は頑張った、皇族相手によく守った」

「……ふっ、う〜〜〜〜っ」


 先生が背中をさすってくださいます。

 その温もりに、また泣けてしまって……私は気がすむまで泣き続けました。


 怖かった、悲しかった、お側にいたかった。

 色んな感情が混ざってぐしゃぐしゃに涙へと溶けていきます。


 お昼ご飯、本当はとっても楽しみだったんです。

 たくさんお話もしました。

 お料理のうんちくだったりとか、味の好みだとか、美味しい物情報とか。

 もっとお話を、してみたかった。


 怖かったんです。

 見習いとはいえ影として、日々鍛錬したりしているのに、いざという時まるで歯が立たなかった。

 自分の力の、なんとか細い事か。


 何より、悲しかった。

 気持ちなんてどこにもなくて、そこにあるのは道具としての利便性。

 殿下にとって、何か得があるから私を手に入れようとしている。

 人でなく物になった気がして、混乱しました。


「わた、私、は……私、です。ちゃん、と、気持ちがありますっ。家族が、大事、です。大事に、されてると、思う、ですっ。わたし……っ、自分を大事、して、良いですっ、よね」


 だいぶ引いてきた涙と裏腹に、しゃくりあげた喉はうまく動いてくれなくて、つっかえつっかえ訴えます。

 先生は、静かに背中を撫でながら力強く頷いてくれます。

 その優しさに、段々と気持ちは落ち着いていきました。


「……はしたないところを、お見せしてすみません」

「何謝っちゃってるの、僕はせんせーなんだから、頼ってなんぼだよ?」


 どーんと頼っちゃいなね、と胸を叩いて得意げにするハンスヴァン先生に、思わず笑ってしまいます。


「少しは落ち着いたみたいだね、はいホットチョコレート」


 冷めただろうホットチョコレートを、先生に手渡してもらいます。

 けど予想に反してカップが温かく、私は少しぎょっとしながら先生を見ました。

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