第28話 投げ飛ばされるんです

 放課後。


 帰り際ふと、建国物語の本を借りたくなり、図書室へと向かいました。

 今日の空は曇り空で、廊下もいつもより薄暗く感じます。

 新緑にきらめく春の日差しに慣れていたので余計にその暗さを強く感じたのかもしれません。

 とにかく、薄暗く感じたところに……突然、後ろから声をかけられました。


「ルルーシア」


 この第三皇子、あなどれません。

 朝もう二度とその顔を見たくないと思った相手がそこにいました。

 少し気が抜けていたとはいえ、気づけなかったことを悔やんでいると相手が近づきます。

 私はなるべく距離を取り続けます。


けないでくれないかい……今日は図書室が休みだと、知らせようと思っただけなのだから」


 一重の瞳をすがめて微笑みながら声をかけてきます。

 その声には、こちらへの好意は微塵みじんも感じられずあるのはある種の執着のようでした。


 逃げなければ。


 逃走ルートを頭に思い浮かべますが、ここは校舎三階端の図書室前です。

 特別教室より奥まった所にあるここは行き止まりで、殿下が道を塞ぐ形になってしまっています。


「それはどうもありがとうございます。では私は帰りますので、ご機嫌よう」


 私はそう言うと殿下の脇を通り過ぎようとしました。

 この時私は見誤っていたのです、流石さすがに学校で下手なことはしないだろう、と――

 その見通しは全くもって間違いでした。

 通り過ぎる刹那せつな強く腕を引っ張られ床へと投げ飛ばされたのです。

 したたか背中を強打し、一瞬息が出来ませんでした。


「……っ!」


 油断した! 慌てて体勢を立て直そうとしますが間に合いませんでした。

 で床に押し付けられてしまいます。


「な……!」

「……君は今、のだよ。だから、仕方ないだろう?」


 ニタリと笑いながら暗に特例として押し切ると言われ、頭に血が上ります。

 お父様に全力で逃げろとお墨付きをもらいはしましたが、ここまでの想定はしていなかったのでどこまで実力排除をしていいのか迷います。


 こんなことなら、きちんと考えて聞いておけば良かったです!


 助けて影の方!

 と思いましたが、そういえばちょっと前から気配がしません。

 どこ行ったんですか、今ですよ今!!

 あ、でも皇族ですから手出しが難しいでしょうか……腐っても皇族、厄介です。


 そんな余計なことを考えているうちにも、ゆっくりと、あえて恐怖をあおるように、時間をかけて殿下が側へとやってきます。

 余裕があるふりをしていても実際はそんなものとっくに消し飛んでいました。

 はったりでしかなく、見習いの私は実践経験もないのでこれから何が起こるのかどうすれば良いのか考えがまとまりません。


 やがて殿下は私に辿り着き、体をまたいで両膝をつくと、つつつ、と制服の合わせ目に指を這わしました。

 するとブチブチブチッと音がして制服とシャツのボタンが弾け飛んでいきます。


「なぜ。こんな、ことを」

「……君も、俺の愛を疑うのかい? つれないね。……と言っても、信じないだろうね。教えてあげてもいいけど…………知らないことによる恐怖が、なくなってしまうのは嫌だなぁ」


 歯の根が合わないまま質問すると、よくわからない答えが返ってきました。

 殿下の表情は、どこか恍惚としています。


 怖い。


 見習いとして失格かも知れませんが、純粋なる悪意にカタカタと震えが止まらなくなります。

 と、急に彼は顔を近づけてきて私の頬をべろぉぉぉっと舐めました。

 その後正面からも顔を近づけようとした時。


 突然殿下が勢いよく吹っ飛んでいきました。


「ジュラルタ嬢!!」


 第三皇子を脇から蹴り上げて吹っ飛ばしたのは、どうやらレイドリークス様のようです。

 蹴られた衝撃で魔法を維持できなくなったのか拘束が解かれました。

 すぐさま立ちあがろうにも、カタカタと意思とは関係なく揺れる体は言うことを聞いてくれません。

 その様子に、レイドリークス様が私の上体を助け起こし自身の上着を肩にかけてくれます。

 吹っ飛んだ先でお腹に手を当てながら、殿下が立ち上がりました。


「……人として、皇族としてあるまじきことですよ、フェルナンテス兄上!!」

「そんなに怒るなよレイド。ほんの戯れ、魅力的すぎて魔が差したのだ。そこのは俺の婚約者なのだから、そういう事もあるだろう? ちゃんと責任を取る気でもいる」


 何か問題でも? という彼の言葉に、私は改めて彼が気でいたことを知ります。

 心を、殺される所だったのです。

 震えが、止まりません。

 見かねたレイドリークス様が両肩を支える手でさすってくれ、その温かさに少し揺れがおさまったような気がします。


「婚約は保留と聞きましたが?」

「……っは! 父皇は懸命な方だ。一度の醜聞しゅうぶんによる権威けんい失墜しっついより、一人の命を俺にくれてやる方が痛手が少ない、そう判断するかもしれないだろう?」

「それでは進言しても良い、と」

「国の為に自身が捨て去られる現実が見たいなら、止めはしないよ。……っと、そうは言っても、お前までいるこの状態を人に見られるのはまずい。俺はこの辺で失礼するとしよう……ルル、


 そう言うと殿下は足早にこの場を去りました。

 少し離れた所にある階段を誰かが昇ってくる音がしています、彼はどうやらこれを聞いて撤退を決めたようです。

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