第8話 ずぶ濡れなんです

「あっちゃ〜、これは凄いねぇ。ちょっとそっちいって待っててね」


 私は指示された通りにベッドの側の椅子に座って待つことにしました。

 最後まで面倒を見る気でいるのか、アインバッハ様がついてきます。

 ちなみに先程の、ちょっと間伸びした物言いでウェーブのかかったワンレンショートボブの先生は、医務室の主であるハンスヴァン= ウィッシュバーグ先生です。

 先生は他の生徒のお世話があったのか他のベッドの方へ行った後、こちらにやって来ました。


「お待たせ〜。じゃ、ぱぱっとしちゃおうか〜……『暖かい風よ、水を連れて舞い散れ!』」


 先生の言祝ことほぎ――魔法を発動させるための言葉――と共に、私の周りに暖かい風の渦が出来やがて、消えました。

 全身すっかり乾いています。

 生徒はまだ免許がなく授業以外での魔法使用を禁止されていて、自分では乾かせなかったのでとても助かりました。


「さて、どうかな〜? 乾いてないとことかあるかい?」


 にこにこ微笑みながら先生が聞いてきます。


「いえ、特に不具合はなさそうです。ありがとうございます先生」

「それがお仕事だからねぇ、けどお礼は受け取っとく〜」


 いい子いい子と言われながら、頭を撫で撫でされました。

 生徒が小さい子にでも見えているんでしょうか? こういったことを家族以外にされた事がなかったので少し面食めんくらいます。

 先生は手を離すと自分の机に戻る直前、私にだけ聞こえる声でおっしゃいました。


「……対応しきれなくなったら、ちゃんと相談するんだよ〜」


 ……完全にわかられています、よね。

 まぁわからない方がおにぶちんでしょう、何せほんとにずぶ濡れでしたから。

 私はぺこりとお辞儀だけし、それを返事としました。

 いよいよとなれば学校を巻き込む気は満々ですよ! 泣き寝入りは選択肢にありませんので。


「それにしても、誰がこんなことをしたんでしょう」


 アインバッハ様の呟く声が聞こえました。

 私には心当たりがありましたが、彼女には関係ない事ですのでそれには返事をせず、聞こえてなかった事にします。


「アインバッハ様、先程はハンカチをありがとうございました。お礼は後日させていただきますね」

「ローゼリアで良いですわ、ジュラルタ様。お礼をされるほどの事はしていない、と思ってますから、気にしないでいただけたら嬉しいですわ」

「そうですか? それではお言葉に甘「あのっ!」


 大仰おおぎょうなお礼ではなく同じようなハンカチでも……と考えながらお返事していたところ、ローゼリア様が少し食い気味になりつつどこかモジモジしながら、声をかけてきました。

 美少女のモジモジは絵になりますね。


「お礼の代わりと、言ってはなんですが……る、ルルーシア様とお呼びしても?」

「良いですよ?」

「!! ありがとうございます。実はその、わたしずっとルルーシア様に憧れていたんですの」


 ローゼリア様は少し頬を染めながら、私に伝えてくれました。

 んでしょうか? 少しの違和感に引っかかりを覚えた時――


 ガラガラピッシャァァァン


「……ルルーシア!!!!」


 ……殿下、ドアが可哀想ですよ。


 彼は慌てて走ってきたのか、髪は乱れ息も荒くなっています。


「……っルルがっ、水……かけられたっ、と、きいて――」


 誰からとか、何処から走ってとか、いろいろ不思議に思って尋ねよう――と口を開く間もなく殿下の手に両頬を包まれました。

 殿下は背が高いですし今私は椅子に座っているので、自然少し顔を上向うわむけられる形になります。


「どこか、怪我は……っ?」

「い、いえどこも? 水だけだったので」


 そう告げると、殿下はよほど心配していたのかとても緩んだ顔をした後、良かった…、と呟きました。

 今はなんだか嬉しそうに、私の頬をすりすりともてあそんでいます。

 なんだか猫にでもなったかのようで、よくわからない気持ちになってきました。


「あの……他の方もいらっしゃるので、そういったことはご遠慮したいのですが」

「ん? ああ、すまないね。どうも……想う君から離れがたくて……」


 熱っぽい瞳でそう言われ、思わず頬に赤みがさします。


 ああ、これが物語の男性から主人公に言われた場面なら私は部屋でごろんごろんしてしまうところですよ!


 と、あり得ない事が起こり過ぎて思考が明後日を向いている間に、少しぎらつく目をした殿下のお顔が近づいて――


 バシン


「はーい、どさくさに紛れて襲わないの〜」


 可愛い後輩ちゃんが固まってるし? と言いながら先生が丸めた書類で殿下の頭を叩きました。

 ふと見ると、ローゼリア様の表情が固くなっています。

 私は先程の違和感の正体に合点がてんがいくと、それを踏まえての今後の行動を頭の中で組み立てました。

 その脇で殿下が叩かれた頭に手をやりながら、いや据え膳がだの、上目遣いがどうのだの、首筋の後毛おくれげがだのよくわからないことを言っては先生に手にしたままの書類で叩かれています。


 殿下のエロ魔獣っぷりがひどい……。

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