第5話 忘れてるんです

「先輩への口の利き方ではなくて、申し訳ございません!」


 言うなりアインバッハ様――男爵令嬢だそう――は、がばりと上体を倒し反省の意を示されました。

 こちらも紛らわしい外見をしてますので、謝られるのも違うといいますか……うん、違いますね。


「顔を上げてください、アインバッハ様。よく間違われますし、気にしていません」

「ありがとうございます」


 彼女は上体を起こして、ほっとしたのか少し微笑みます。

 ほんとに、可愛らしい方です。


「困っていたので助かりました。それではこれで」

「あ、はい。ジュラルタ様お気をつけて」

「ありがとうございます。アインバッハ様も、授業の開始時間にはお気をつけくださいね」


 では、と私はその場を去りました。

 何か思うところがおありのようでしたが、時間が迫っているのでつつかないことにして――。




 ビビビビビビ


 授業終了のチャイムが鳴りました。

 次はお昼の休憩時間です。


 するとチャイムと同時に、


 ガラガラビシャァァァァン!!


 というちょっとドアが可哀想な音を立てて開かれました。


「ルル!!」


 サッ


 皇子殿下おうじでんかが思わずといった風に抱きつこうとしてきたので、颯爽さっそうと華麗に、そして少し優雅に――ちょっと年上の見栄です――けます。

 ですが次の殿下の手をホッとしてしまったからか避けられず、手首を掴まれるとどこぞへ連れて行かれてしまいました。

 護衛の方が数名、慌ててついてきています……お仕事、ご苦労様です。


 どこへいくんでしょう?


 不思議に思いながらついていくと、そこには外広場の芝生の上に用意されたピクニックセットがありました。

 殿下は先に敷物へと座り、自分の横をぽんぽんと叩いて示します。


「……皇子殿下、これは拉致って言うのですよ」

「抵抗されなかったから、了承したと判断したのだけれど?」

「……いきなりでしたので、その事自体思い浮かばなかったのです」

「そうなのかい? ま、折角なので座って食べていってくれないか。料理長が張り切って作ってくれて、どうにも一人じゃ食べきれそうになくてね」


 少し困ったように笑って殿下は言います。

 ご飯に恨みはありません、……しかも、皇宮料理人が作ったご飯!!

 私は迷いに迷った後、ややあって結局ご相伴しょうばんあずかることにしたのでした。


 決して、これは、勿体無いからそうしたのであって美味しいご飯に釣られたわけではないですよ?!


 それでも座る場所は横ではなく正面にしておき、ありがとうございますと失礼しますを言ってから、敷物に座りました。


 うわぁ、ご飯、美味しそうです……! ……勿体無いから、ですからね!!


 いただきますと手を合わせると、そろりとご飯を食べ始めます。

 至福……!!!!


 食べている私を見て、殿下がとてもやわらかく微笑んでいる気配が、伝わってきます。

 こういうのはとても混乱します、心当たりがないんですから。

 気恥ずかしく感じてその空気感ですら気取けどりたくないな、と彼の方を気にしないようにしていたら、ふと、手が伸びてきて親指の腹で私の唇近くを軽くこすり去りました。

 思わず殿下の方に目をやると、


「ついてた」


 と言いながらその指をぺろり、と舐めるのが見えて――


 混乱してついうっかり、



「……こここ、このエロ魔獣――!!」



 と顔を真っ赤にさせながら不敬ふけいにも叫んでしまったのでした。

 ……そこでふと、記憶がゆらりと揺らぎ、前にもこの言葉を言ったことがある、と気づきます。

 私は顔の火照りが冷めないまま、相手のことなどお構いなしに自分の事情を話し始めてしまいました。


「……お父様から、皇子殿下が自領にイメージングステイされていたと聞きました。ですがすみません……私が忙しすぎて、その頃のことをあまり覚えていないんです」


 これは言葉こそ違うけれど嘘ではありません、自領を継ぐので影の修行は私にとっての花嫁修行と同義どうぎですし――修行が忙しかったのは本当の事です。

 死にそうになりながら……というより半分死にかけてて記憶が飛んでいます。

 ……そう言えば、あの頃大熱を出して大変だったのだとお母様から聞いたことがある、ような。

 そんなしんどい目にあったのに、何故、私は覚えていないんでしょう……何か引っかかるものを感じましたが今は気にしないようにし、殿下への言葉を続けます。


「ですが、もしかしてなんですけど……前に同じように『エロ魔獣』って叫んだ事があるような気がするんです。ヒョロヒョロ〜っとして、ちびっちゃい、男の子に――」

「ああ、その子が俺で合っているよ」

「え?!」

「言ったと思うけれど、当時俺はとても貧弱だったんだ。チビでガリガリ」

「……そうなのですね、それなら合点がてんが行きます。当時もので」


 あえて怒らせるような事を言ってみます。

 けど同時に、それくらいのことで揺るがないものを、感じてしまっていました。

 殿下は私の物言いにも特に気にした風ではなく、その言葉を受け流します。


「そうか、覚えていないものは仕方ないね。まぁ、これからは覚えていけばいいだけの事だから」


 暗に諦める気はないととてもいい笑顔で言われてしまい、私はため息をつきたくなってしまいました。

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