「いつも」とは違う日

その日は、いつもの様にカルナの元へと足を運んでいた。

何事もない、いつもと変わらぬ一日だと、そう思っていた。


いつもの様にカルナと訓練をし、雑談をして、食事をとって、いつもと同じ時間に帰路に着いた。



「ただいま」



返事は無い、がそれもいつもの事だ。

だが、母の部屋の前に置いてあった料理が残っている。

何故?食べなかったのか?それとも⋯。

私は不安になっていつもは絶対に開けない母の部屋の扉を開け、母を呼んだ。



「母さん⋯?大丈夫か⋯?」



返事は無い。

足の踏み場もない部屋を進み、母がいるであろう布団をめくる。



「母さん、ねぇ母さん。生きてるよね?」



体を揺すって声をかける。

が、しかし返事は無い。

ただ力無く揺れているだけである。



「母さん!!聞こえてんだろ!?なぁ起きてよ!」



何度呼びかけても返事は無い。

何度揺すっても、何度声をかけても、何をしても。


母はそこで死んでいた。

冷たく、動かなくなっていた。

私は母が嫌いだった。

父が出ていってから、酒に溺れ、幼かった私に暴力を振るい、八つ当たりのように怒鳴る。

そんな母が大嫌いだった。

大嫌いなはずだった。

そうして、たった1人残った肉親を、私を産んでくれた親を失った。


不思議な事に、私の目には涙が浮かんでいた。

大嫌いな相手が死んだはずなのに。

居なくなってせいせいするはずなのに。


ひとしきり泣いたあと、私は机の上にあったメモ書きのような紙に気がついた。

そこには、丁寧で、だけど決して綺麗では無い、母の字で手紙が残されていた。



「マキナへ


この手紙に気付いてくれてありがとう。

貴方がこの手紙を読んでいるという事は、私はきっともうそこには居ないのでしょう。

貴方にはとても辛い思いをさせてしまいました。

お父さんが出ていってから、私は自暴自棄になって酒に溺れ、貴方に八つ当たりをしてしまいました。

本当にごめんなさい。

それでも貴方はこの家から出て行かずに、毎日ここに帰ってきてくれましたね。

長い間、私のようなダメな人間と一緒に居てくれてありがとう。


ここ最近、貴方はいつも外出していました。

友人が出来たのか、恋人が出来たのか私には分かりませんが、きっと大切な人と出逢えたのでしょう。

その人を大切にして、決して私のような人間にはならないように、生きてください。


最後に、この部屋の押し入れに、貴方への最後の贈り物が入っています。

もし必要なら、貴方が思うままに使ってあげてください。

これからも貴方の無事を祈っています。


貴方の母 リディアより」



母は、とても優しい人だった。

父がいなくなるまでは、いつも寝る前に御伽噺をしてくれて、私が寝付くまでずっとそばに居てくれた。

母が自暴自棄になって酒に溺れていたのは知っていた。

知っていたから、私はこの家を出ず、怒鳴られても、暴力を振るわれても耐えてきた。


もう、遅かった。


私は、近くの教会へと行き、事情を説明して、母の遺体を埋葬してもらった。

もっと声をかけていれば。

もっと話し合えていれば。

もっとそばに寄り添えば。

あの時の優しかった母と共に居られたのだろうか。

母を看取る事も出来たのだろうか。

母と楽しく、過ごせていたのだろうか。

そうした後悔ばかりが頭をよぎっていた。


翌日、私はいつもの時間より少し早く家を出た。

行先は、いつもとは反対の方向にある教会。

これからはこれが「いつもの道」になる。



「行ってきます、母さん。」



亡くなった母にそう告げて、私は今日も地下街へと歩いてゆく。

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