第八話 後輩の別に隠してもいない秘密

 昼時になって自分の愚かさに気が付いた。


「しまったなぁ……」


 今日は弁当を作ってきたのに、カバンにない。

 ハルカの昼食を多めに作って弁当箱に詰めたのだが、それを見事にキッチンに置きっぱなしにしてきたらしい。


「せっかく作ったのに……ハァ」


 残念な気持ちになりながら俺は会社を出て、飯屋を探すことにした。

 会社勤めも三年を超えるとあらかた会社近くの店は回っている。ほとんど食べ飽きた店ばかりだ。だからこそ、自炊を始めたと言う面もある。


「新しい店……ないかな……」


 当てもなく彷徨う。昼休みの限られた時間を。有限であるからして早く店を決めなければ、せわしない昼食でろくに楽しめずに終わってしまう。それはなるべくなら避けたい。


「お」


 見つけた。


「珍しいなトマトラーメン屋……」


 空きテナントに看板だけとりあえず付けましたといわんばかりのシンプルな外装。窓が大きく店の中も丸見えで、新装開店の祝いの胡蝶蘭以外、目立ったインテリアが店にない。そこまでこだわる時間がなかったのか。もしくは、『トマトラーメン』というインパクトのある商品で客を惹けるという自信があるのか。前者なら味もそこそこだろうが、後者であるのなら味に相当こだわりを持っているはずだろう。何故ならば、他に類を見ない突き抜けたインパクトのある商品を提供したところでそのクオリティが低ければ、リピーターは来ない。商売においてリピーターは何よりも大事だ。

 試しに入ってみるかと足を向けて———気が付いた。


「……何やってんだ? あいつ」


 知り合いがいた。その声が窓を貫通して漏れ聞こえる。


「こんみわみわ~♡ 働くOLYoutuber ミワミワの今日のミワランチの時間で~す。今日は博多区にあるトマトラーメン屋さん「エルガーラ」に来ていま~す♡」


 珍妙な挨拶をスマホに向かって喋っているのは、俺の隣のデスクの三輪美羽子だった。

 その様子をじっと眺めていると目があった。


「「あ」」


 面倒になると思って、店に入るのをやめようとしたが、三輪美羽子が俺を手招きしていた。

 睨むような眼光で、「邪魔をしやがって」と心の中で思っているのが伝わ手ってくるのだが、なぜか手では店の中に入るように「おいでおいで」とずっと手招きで振り続けている。

 どういうつもりなのかわからないまま、俺はとりあえず店に入った。そろそろ店を決めないと、昼休みの時間が終わりに近づいている。

 若い女性店員にフロアを案内されると、美羽子が「その人、私の連れで~す」と手を上げたので、俺は彼女の隣の席に通された。


「良かったのか?」


 美羽子に尋ねる。


「恥ずかしいところを見られてしまいました」と、美羽子は拗ねた様に唇を尖らせる。

「やっぱり邪魔だったみたいだな」

「ええ」

「やっぱり別の店に行くよ」


 と、立ち上がりかけ所を美羽子に袖を掴まれる。


「やめてくださいよ。そんなミワミワのせいでセンパイがこの店に来れなかったみたいなの。この店来たかったんでしょ? なら、いてくださいよ。センパイに邪魔はされたんですけど、私はセンパイの邪魔はしたくないんです……普段仕事で迷惑ばかりかけていますし」

「三輪……お前そんな義理堅い奴だったのか……」

「どういう意味です?」


 言葉通りの意味なのだが。


「もっとチャランポランで人の気持ちなんて考えられなくて、自分の事ばかり考えているような奴だと思ってたよ。今もてっきり撮影の邪魔だからって「シッシッ」て追い払われるもんだと思ってた……」

「メチャクチャ正直に言いますね……しませんよそんなこと。それにそんなことしたらこの店にも悪いじゃないですか。撮影許可を私のために出してくれたのに、その私のせいで客が減ることになったら。一応、youtubeの撮影を通しての広告のために許可を頂いているんです。そんな自分勝手に人の不利益になるようなことはしません」

「へぇ~、意外としっかりしてたんだな……三輪って」

「当たり前じゃないですか。これでも登録者数24万人いるんですからね、ミワミワチャンネル」

「へぇ~……」

「反応薄っす……」

「youtubeは見てるけど有名どころしか見ていないんだよ。俳優とか芸人のチャンネルしか見てなくて……」

「あぁ……そういう人たちは結構すぐに100万登録者とか行きますもんねぇ。でも、私も結構すごいんですよ。ただの一般人で十万人以上登録者を得るって。相当苦労したんですから」

「そうなのか」

「興味なさそうですね」

「興味はないな」


 Youtuber。


 芸能人でなくても、面白い動画を上げれば広告収入で一定の利益を得ることができる人。身近にそんな人がいるのは少し驚きだったが……本当に少しだ。個人youtuberは本当にどこにでもいる普通のビジュアルの人が山のような登録者数と再生数を持ち、そんな人間が綺羅星のようにいるため、「そんな時代なんだなぁ……」と老人のよう時代の変化を当たり前のように受け止めるしかない。


 美羽子は不機嫌そうに唇を尖らせる。


「ミワミワチャンネルを、同僚に知られるのは恥ずかしいって思って公言はしてなかったですけど、そんな淡白に受け止められるとムカつきますね。今日はせっかくミワミワが奢ろうっていうのに」


 そう言って、不機嫌そうな表情はそのままに胸を張る美羽子。


「はぁ? 何言ってんだ三輪。俺が先輩だぞ? 後輩に奢らせるなんて情けない真似させると思うか?」


 普通に、俺が奢ろうと思っていた。それが会社人として、先輩として当たり前の行動だろう。 

 だが、美羽子は譲ろうという姿勢を見せない。まぁまぁと両手を揺らし、俺に落ち着きを促す。


「普段迷惑をかけている恩返しと思ってくださいよ~、こういう形で少しでも恩を返したいんですよ。こう見えてもミワミワ結構お金持ってんですから」

「だろうな」


 そう言えばこいつ社長の愛人何だっけ。


「なんです? その声色……なんか今変なこと考えてませんでした?」


 美羽子の目が細められる。

 鋭い。

 俺が邪推していることを一瞬で見破ってきた。


「別に?」

「今、目線逸れましたよ?」

「……………」


 黙る。沈黙は金、雄弁は銀。下手な言い訳を重ねるよりは黙っている方がいい結果を生むことが多い。


「ハァ……まぁ大体わかりますけど、いろんな噂でしょ? 違いますよ。Youtubeの収益です。結構それで稼いでるんですから」

「収益ってでもちょっとだろ?」

「月十五万は稼いでますよ?」

「十五万⁉ そんなに⁉」


 メチャクチャ稼いでるじゃないか。


「そうなんです、だから結構いい副業になるんですよぉ。私、もっと再登録者数増えたら会社辞めてyoutubeだけで生きていこうと思うんで」


 と手を上げて掌の方を俺に向ける。まるで別れの「挨拶、短い間ですけどどうかよろしく」とでも言うように。


「はぁ~……凄いなお前は……ただのチャランポランだと思っていたのに俺なんかよりよっぽどしっかりしてたのかもしれない……」

「そんなことないですよ。それにセンパイも始めればいいんですよ。Youtube。結構簡単ですよ?」

「俺には無理だよ。ただのおっさんだからな」


 ハハッと自嘲気味に笑う。


「そんなことないと思うけどなぁ……誰でもできるし、センパイって普段疲れた顔してるから老けて見えるけど、ちょっとメイクしたり髪型整えたら結構……」


 言っているうちに美羽子の顔が赤くなっていく。


「いけるかも……」

「何がだ?」

「な、何でもないです! でも、もしも先輩も動画度投稿始めるなら声かけてくださいね。彼氏がメイク得意だから、センパイを紹介しますよ」

「ハハ……まぁそんな機会があったらな」


 一生来ないと思うけど。

 その後、三輪美羽子は撮影を再開し、俺は邪魔にならないように机の隅でトマトラーメンを食べた。

 トマトラーメンはかなりあっさりした味で、ケチャップベースなのでパスタに近い味をしているのだが、しっかりとラーメンの塩が味の主張をし、それが絡み合って絶妙な味のハーモニーを奏でていた。

 美羽子の撮影風景を見ながらそんなことを思っていると、俺もそういうことを試しに言ってみて動画を上げようかなぁと愚かな考えを抱いてしまう。

 どうせ、後から恥ずかしくなって黒歴史になるに決まっているのだ。

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