第六話 お前、暗いとこ怖いの? ゴブリンなのに?

 ゴブリンの住処と言えば?


 ———そう、暗い洞窟である。


 ネズミやコウモリと同じく、暗くて風通しの悪い洞窟を巣穴とし、中で隠れるように暮らし、隙を見て巣を抜け出して人や家畜を襲っては、穴に引きずり込んで食べ、食べかすや糞尿をまき散らした不衛生な空間で寝る。それだけならまだしも、女とみるやその便所にも劣る住居に引きずり込み犯しては放り投げる。そんな最低最悪の住環境をイメージするだろう。俺もそのイメージを持っていた。


 でも、ハルカは臭くなかった。


 そんな環境で生活しているのなら異臭が全身から発せられているはずだが、彼女からはそんな不快な匂いはせず、果実のような甘い、幼い少女特有の香りを発していた。

 それでも念のために風呂に漬け込み(裸を見るわけにはいかないので、俺は自分の目をタオルで縛り、手探りで彼女を裸にして、これまたべたべたと柔肌を触るわけにもいかないので、湯船にぽちゃんとつけて百を数えて、出してやった。その間、ハルカは「キャッキャッ♡」と嬉しそうに笑っていた)、一応体を洗った後、ぶかぶかの俺のパジャマを着せてやり、完全に清潔な状態にした。

 一緒の布団に寝るわけにもいかなかったので、俺はロフトに布団を敷いてやり、リビングのソファーでタオルケットにくるまり、ハルカにロフトと布団を明け渡した。


「電気消すからな」


 リモコンを部屋の照明に向ける。

 ハルカからの返事はない。流石に意味が分かっていないのだろう。

 ロフトの上にいるハルカの姿は、このリビングのソファの上からは見えない。だが、ちゃんと布団にくるまっていると信じて、


「おやすみ」


 リモコン操作で部屋の電気を消す。

 部屋が完全に闇に包まれたので目を閉じる。


 ———あ、なんだか温かい。


 何故だか心の底に灯がともったような温かいぬくもりを感じる。


 ———あぁ、いいなぁ。


 久しぶりに、人に「おやすみ」と言った。


 元カノと同棲していた時以来だ。


 大学時代に流れであいつと付き合うことになり、一緒に暮らしていた時以来だ。趣味が全然バラバラで、あいつは「大人になっても戦隊とか見てるの気持ち悪いからやめて」と理解も示してくれていなかったが、それでも多分こいつと結婚するんだろうなぁ、と思っていた。

 結果はこのざまだ。

 俺は一人でこの福岡で暮らしている。

 あいつはよりよい安定した仕事を求めて上京し、遠距離恋愛もなんだかなぁとなり、あっさりと別れた。

 今、都内の大きな銀行に勤めているらしい。

 たまに連絡はくれるが———、


 ブブブブブッ……!


 スマホが震えたので画面を見ると、そのあいつからのLINEだった。突然の振動音にロフトのハルカが「ウガッ⁉」と反応していたのを一瞥しながら、スマホのロックを解除する。


【<リナ

  <今度、福岡行くから】23:12


 …………メッセージ終わり。

 それだけの内容が全くわからないシンプルなメッセージだった。


「はいはい……」


 【わかった】とだけ返信する。

 コイツとは小学校以来の付き合いで、幼馴染と言える関係だ。

 だから長年の付き合いでこの短い文章で何を言いたいかは大体察することはできる。「用事があって福岡に寄るから、時間があったら飲みましょう。具体的な日時はまだ決まってないから、わかった時に連絡する。連絡がなくて、いきなり来た形になっても、頑張って私のために時間作ってね」———と、そう言いたいのだ。

 長い付き合いゆえに、ツーカーだ。最低限の言葉で何を言っているか互いに瞬時に理解できるが、『親しき中にも礼儀ありという言葉』がある。


「また来んのかよ……あいつ……」


 ぶしつけな言葉だけをやり取りしていても、嬉しくはない。

 俺たちが別れてしまったのも、もしかしたらこういう要素が積み重なったゆえかもしれない。

 なら……、まぁ……、


「お互い様か……」


 面倒な用事が増えたなぁと思いつつも、目を閉じるとすぐに強い睡魔が襲ってくる。疲れた体に染みわたる眠りへのいざないを受け入れ、夢の世界の扉を開けようとした瞬間だった。


 ゴソゴソゴソ……。


 衣擦れの音がする。


「……ん?」


 トッ、トッ、トッ、と足音が続いて響く。

 片目だけを開ける。


 ————何してるんだ?


 ハルカだ。

 薄暗い部屋の中、ハルカがロフトから降りてくる。

 フラフラとした足取りで、二本の頭の角を左右に揺らし、赤い瞳を爛々と輝かせてゆっくりとした足取りで接近してくる。


 ———あ……怖い。


 背筋が凍った。

 夜行性の動物は暗闇の中で物を見るために、目の中に特別な反射板がある。それが光を反射しているために猫や鹿が目が光っているように見えると聞いたことがある。

 暗い洞窟の中で生きるゴブリンも、同じような瞳の機能があるのだろう。

 そして———外見は可愛いと言ってもゴブリンはモンスターだ。

 目を赤く光らせて接近するハルカは、本性を現した狼の様で怖かった。

 かといって、今感じている恐怖が全くの勘違いである可能性もあり、そうであったのならハルカを怖がらせるだけになってしまう。ので、俺は判断ができず、ただ寝ているふりをして、薄目でハルカの様子を観察するしかなかった。


 ハルカがついに俺の前に立つ。


 ————なんか、めっちゃ見られてる。


 小首をかしげ、ソファに横たわる俺をジーッとハルカは見下ろし、


 モゾモゾモゾ……。


 と、俺のタオルケットの中に入ってきた。


「———ッ⁉ 何やってんだァ⁉」


 タオルケットを引っぺがし、起き上がると、ハルカは「ビクッ!」と体を震わせた。


「お前……お前さぁ……」


 タオルケットを剥がされたハルカだが、俺の隣から動こうとはしない。

 狭いソファの上で俺にぴったりと寄り添うような姿勢で目をつむっている。


「お前……ロフトに布団があるだろう? せっかく敷いたんだからそっちで寝ろよ」

「ンー、ン―……」


 首を振るハルカ。

 ここを———俺の隣のベッドの上を絶対に動かないという強い意志を感じる。

 そして、更にぴったりと俺へ向けて体を密着させる。


「お前……しようがねぇなぁ……」


 寂しいんだ。心細いんだ。

 子供だものなぁ……。

 俺は諦めて体を横にし、くっついてくるハルカを受け入れた。

 異世界に一人きりで頼りもなしに一人きりでいるのだ。それはそれは寂しかろう。誰かが近くにいないと眠ることもできないくらいに、心細いんだろう。

 なら、仕方がない。


「でも、俺が眠れるかなぁ……」


 ドキドキしてはいけないと思いつつも、流石にドキドキする。

 ハルカの顔は子供のころ好きだった女の子とそっくりなのだ。

 もう俺は大人なので、自制しなくてはいけないと思いつつも、どうしても子供の頃に抱いたときめきが蘇ってくる。


「いかんいかん……心頭滅却心頭滅却……」


 空の風景でも頭に思い浮かべて、早鐘をうつ心臓の鼓動を鎮めようとする。

 

 ブルブルブル……。


 やけに小刻みだな……俺の心臓の音。

 いや、違う。

 振動は腕から伝わってくる。


 ブルブルブルブルブル……!


 ハルカだ。


 ハルカが小刻みに全身を震わせている。

 そんなに寂しいのか?


 ———しようがねぇなぁ。


 柄にもなく彼女の肩を抱いて引き寄せてやる。一瞬ビクッとしたが、ハルカはさらに俺の体に自分から体を寄せてきた。

 これでもう大丈夫だと思ったが、


 ブルブルブルブルブル……!


 彼女はまだ体を震わせている。


「どうした? 怖いのか?」


 言葉を理解できるかわからなかったが、声をかける。


「コワイ……」


 と、小さく消え入るように呟いた。


「そうか……何が怖いんだ?」

「イマ」

「今?」


 どういうことだろう?


「デンキケスカラナ……オヤスミ……イマ。コワイ」


 か細く、自分の気持ちをハルカはたどたどしく伝えた。


 ———もしかして。


 リモコンを操作し、照明に明かりを灯す。


「ハルカ……暗いとこ怖いのか?」

「///」


 部屋が明るくなると、ハルカの震えはピタリと止まった。そして、顔を赤くして恥ずかしそうに俺を見上げている。


「お前、ゴブリンなのに……暗いとこダメなのかぁ……」

「ウン……」

「そっかぁ……なら、しようがねぇなあ」


 そんなゴブリンもいるのか。


「まぁ、電気点けっぱなしでも疲れてるから全然寝れるからいいけど……」


 明るい部屋のままで俺は体を横にし、目を閉じる。

 完全に震えが止まったハルカのぬくもりを感じながら、今度こそ完全に眠りに落ちた。

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