第四話 お名前何て―の?

 こうして、時間は冒頭に戻る。


 忙しいとき以外は自炊をしているので、緊急事態でも冷蔵庫に食材はある。飯を炊いて、冷蔵庫にある野菜を適当に切って炒めて塩コショウと醤油で味付けをする非常に簡単な野菜炒めを作る。ただ野菜を切って炒めるだけ。食材のハーモニーなんかまったく考えていない、ただ余った野菜を使っているだけ。


 シンプル過ぎて料理とも呼べるのかもどうかも怪しい、食材が余った時にやるこの料理を俺は〝男の野菜炒め〟と呼んでいる。


「ガッ……ガッ……ガッ……!」

「上手いか? 俺の野菜炒め?」

「ウマ……イ? ……ウマイ!」


 満面の笑みでの返答。


「そうかぁ……!」


 初めて自分で作った料理を人に食べさせた。

 適当な料理だったが、それでも胸に来るものがあった。


「コーイチ、コーイチ! コーイチ、ウマイ! ウマイ!」


 はしで野菜炒めを口の放り込みながら、嬉しいことを言ってくれる。


 はし———。


 ゴブリンの女の子は〝それ〟を使って食事をしていた。

 テーブルの上にはスプーンが置かれている。

 最初はゴブリンが箸を使えるわけがないと思ってスプーンを渡した。それでも使い方がわからずに犬のように顔を近づけて食うだろうと覚悟していた。 


 実際そうなった。


 最初は彼女は犬食いをした。

 だが、俺が目の前で割り箸を使ってコンビニ弁当を食べているのを見て、食べるのをピタリと止め、「ン」と箸を指さした。不機嫌そうな顔で、箸を指さし続け「ン! ン!」と目で「それをよこせ」と訴えかけてくる。


 まさかなと思いながら———コンビニでもらうものではない———自宅に備え付けてある箸を渡したところ、直ぐに完璧に使い始めた。


 これにはさすがに驚いた。


 恐らく俺が箸を使っている様子を観察し、使い方を覚えたのだと思うが、あまりにも早すぎる。


 学習能力が異常に高い。


 さっきからこの子は「コーイチ」という名前を呼んでいるが、それも一度教えただけだ。「俺の名前は久遠光一。お前の名前はなんていうんだ?」と尋ねたところ、最初は首を傾げられたので、やっぱり理解できないかと思ったが、直ぐに「コーイチ、コーイチ」と呼びはしゃぎ始めた。

 一度言っただけで、俺の言った言葉の意味を理解し、「久遠光一」が名前なのだと理解した。そして、さっきから俺の教える言葉も一瞬で理解してすぐに使い始めている。

 この異常な記憶力と理解力がゴブリン特有のものなのか、この子特有のものなのかはわからないが、人間だったら天才だ。


「…………ジェノサイド、オーガねぇ」


 こんだけスペックが高いと、逆にさっきの兄妹の言っていることの信ぴょう性が増してしまう。俺のつぶやきに反応してまた「ウガ?」と首を無邪気にかしげているこの子の姿は善性の塊にしか見えず、一つの街を滅ぼすような邪悪な意思を持っているようには見えないが、それをできるだけの力を秘めているような気はする。


「なぁ、名前はなんていうんだ? ジェノサイドオーガなんて長い名前じゃないだろ? お前は他の仲間には何て呼ばれてたんだ?」

「ウガ?」

「……名前だよ。俺はコーイチって名乗ったんだから、お前も名前を言えよ。あるんだろう?」

「ウガ?」


 まただ。首を傾げた。

 高い理解力があるはずなのに、この質問に対しては何度でも理解ができないと言った様子で首をかしげる。


 ………もしかして、


「名前、ないのか?」

「ウ」


 恐る恐る、頷いた。

 俺の目を見ながら、多分この返答で合っているだろうと俺の様子を探りながら、頷いた。


「そっか……」


 ゴブリンなのだものな……そういうこともあるかもしれない。

 これは彼女がモンスターだから「どうせ知性のある共同体に属していない。だから名前何て必要ないんだろう」と見下した考えから生まれた発想ではない。

 環境が変われば考え方も概念も変わる。ゴブリンの生活が想像もつかないが、おそらく彼女は名前が必要のない環境で育ってきたのだろう。江戸時代の農民が名字を持っていなかったように、古代史で女性の名前が残っていないように。その目的や意義が存在すらしていなければ、そもそも概念として存在することはない。


「なら、名前をつけないとな」


 これまでは必要じゃなかったかもしれないが、これからは違う。令和の世に名字を持たない日本人は存在しないように、偉業を成し遂げた女性の名前はこれからの人類史に刻まれていくように、彼女がこれから生きていく上では名前は必要になる。 


「ハルカ……はどうだ?」


 だから、俺はゴブリンの少女に名前を付けた。


「ハル……カ?」

「ああ、ハルカだ。お前は、ハルカだ」


 ゴブリンの少女の胸の中心を指さしながら強調する。

 すると彼女は俺の言葉を理解したようで、


「ハルカ! ハルカ! オレワハルカ!」


 名前を付けられて両手を上げて喜んだ。

 座りながらぴょんぴょんと跳ね、胸に巻いてあるだけの布がチラチラと揺れて彼女のぺったんこの胸が露になりかける。


「おいおい、はしたないぞ。もっと落ち着け、それに女の子なんだから俺じゃなくて、自分のことは私って呼びなさい」

「ウ、ワカッタ! ワタシ! ワタシワハルカ‼」


 跳ねて喜ぶなと言われたものだから、今度は噛みしめるように両手を胸の前で握りしめて「ワタシワハルカ。ワタシワァハルカ!」と反芻する。


「ハハ……」 


 何だか、悪いことをしてしまったような罪悪感が生まれ苦笑が漏れる。

 だけど、しようがないだろう。他に思いつかなかったんだから。

 昔好きだった子と同じ顔が目の前にあるのだ。


 ハルカ。


 それしか良い名前は思いつかなかった。

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