第三話 拾ったこの子はどうやらゴブリンという種族らしい。
借りている部屋が悪かった。
「リリス高宮」の203号室を月4.5万円で福岡中心部としてはそこまで高くはない家賃だ。
南向きで日当たりも良く、いい物件だったなとこの時までは思っていた。
ガシャリガシャリガシャリ……。
窓の外から、
ウロウロウロウロ……鎧をまとった二人の男が「リリム高宮」の前でうろついている。
そして、俺の部屋は窓際なのだ。
「リリム高宮」正面の通りと面した窓際なのだ。
だから、部屋に戻ったとしても、正面の通りと窓一枚しか隔てておらず、そこに〝不審者〟がいる現在非常に心もとない。彼らの立てた音が非常にクリアに聞こえる。
「声を出すなよ……?」
鬼の少女を抱きかかえるような体勢で口元に手を当てる。
「ゥゥ…………」
少女は完全に怯え切っている。
焦点の合っていない目を虚空に向けてぶるぶると全身を震わせて、完全に固まっていた。
この様子から察するに、あの鎧の二人組は鬼の少女にとって敵であることは間違いないだろう。
「おかしいなぁ……おかしいなぁ……」
声が聞こえる。
窓を挟んで鎧の男の片方の声が嫌にクリアに耳を打つ。気づかれないように電気もつけずに、身動きもとれない静寂の空間にいるからだろうか。
「おかしいわねぇ……おかしいわねぇ……」
もう片方の甲高い声が聞こえた。
女だ。
鎧をまとっているからわからなかったが、片方は男ではなく女らしい。
「ここの世界に逃げてきたのは間違いないんだよねぇ……そうだよねぇ?」
「そうだわねぇ。そうだわねぇ……『世界渡りの門』に入ったのは間違いないのだから、ここら辺にいるはずなんだけど……いないわねぇ……」
「もしかして、この世界のどこかに逃げこんでいるのかなぁ……そうなると面倒だよねぇ? そうだよねぇ? 僕たちこの世界のこと何も知らないんだから」
「そうだわねぇ、そうだわねぇ……捕まえるのは無理かもしれないわねぇ……」
「そうだよねぇ、そうだよねぇ。いくらゴブリンハンターの僕たちと言えど、異世界に自分から逃げ込んだゴブリンまで血眼になって追う必要はないわけだよねぇ」
ゴブリン?
ゴブリンハンター?
カーテンの隙間からチラリと外の様子を観察する。
「ゴブリン駆除のスペシャリスト、Sランクゴブリンハンター……メルセデス|
………察するに、この
俺の胸元でぶるぶると震えている角の生えた褐色娘。この子、ゴブリンなのか?
イメージと全然違う。
ゴブリンと言えば緑色で醜い容姿をしていて、知性も何もない暴力性だけを持った魔物。そういうイメージがある。
決して人懐っこく笑い、脅威に対して怯えて人間を頼る。そんなか弱い存在では決してない。
「そうだわねぇ、そうだわねぇ……例えこの世界に逃げ込んだゴブリンが『ジェノサイドオーガ』と呼ばれるほどの世界最強最悪最低のメスゴブリンと言えど、こうなってしまえばもう私たちが駆除する理由はないわよねぇ」
世界最強? 最悪? 最低? ジェノサイド?
ジェノサイドって……虐殺って意味のはずだろ? 震えているが……この子……か弱い存在でもないのか?
「ウゥ……ウガァ……」
もしかしたらとんでもなく凶悪な内面を秘めている子なのか?
「そうだよねぇ、そうだよねぇ。例えノーベンバシティみたいにこの世界のどこかの街が滅ぼされたとしても、僕たちの知ったこっちゃないよねぇ?」
「そうだわねぇ、そうだわねぇ。でも、このまま帰ると報酬は貰えないわ。体のどこか一部でも持って帰らないと、私たちタダ働きよ。弟よ」
「うぅ~ん……でもねぇ、」
猫耳のメットを付けていた方が首をかしげる。どうやらこっちが男———メルセデス姉弟とさっき言っていたのだから、弟の方だろう。
「弟よ。やっぱり探さない? 多少ここら辺を魔法で潰せば、探しやすくなるでしょう?」
トサカのメットの方が、手をかざすとそこに小さな太陽のような光る球を出現させた。こっちが女———姉の方か。
姉のほうか……じゃない!
「ま、ほう……」
魔法を使っている!
初めて見た……いや、現代日本で生活しているのだから初見なのは当たり前なんだが。
本当なら飛び上がって感動したいところだが、状況と使っている人間の言葉が物騒過ぎて、ただただ縮み上がるばかりである。
「この世界で使えるんか……世界観によっては使えなかったりするけど……」
「ウガ……?」
今はそんなことはどうでもいい。
ゴブリンの女の子もそう思っているようで、俺のつぶやきに対して何言ってんだと見上げながら首を傾げた。
あいつメチャクチャ物騒なことを言っている。
下手をしたらこの福岡の街が一瞬で消し
だからと言ってこの少女を引き渡すわけにはいかない。俺の良心が許さない。許してくれない。
やばいやばいやばい……でも、今の俺には祈ることしかできない……。
何とか、事なきを得てくれ……。
両手を合わせて祈った。最近は神社にも行っていない。初詣にも何年も行っていない。それなのに、こんな時は都合のいい話だと心のどこかで思っているが、そうすることしか今の俺にはできないんだ……!
お願いだ。頼む……神様……!
「やめよう、姉さん」
……届いた?
「何故かしら? 弟よ」
トサカのメットが魔法の光球を消した。
やめてくれた。
どうやら俺の祈りは届いたらしい。何かしらの思いが弟の方に芽生えてくれて、この街を破壊するのをとどまってくれた。
それが、どんな崇高な思いかはわからないが———、
「疲れるだろう、姉さん」
普通だった。
人間らしい普通の感情で姉の蛮行を止め、
「それも……そうだわねぇ、そうだわねぇ」
と、姉もあっさり同意した。
「そうだよねぇ、そうだよねぇ姉さん。もういいじゃないか、帰ろう。報酬は貰えないかもしれないけど、相手は『ジェノサイドオーガ』なんだ。欲をかいて疲れた状態で対決するわけにはいかない。疲労は怖いよ。いつもの力が発揮できずに兵力でも格でも劣る敵に敗北してきた将軍を何人も僕は見てきている。無駄に危険を冒すことはないさ」
「そうだわねぇ、そうだわねぇ。死ぬのはやっぱり嫌だわねぇ……やっぱりあなたは賢いわねぇ弟よ。それじゃあ……帰りましょうか!」
ガシャガシャと音が響き、やがて消える。
本当に、帰っていった。
魔法陣をくぐって鎧の姉弟は異世界へと帰っていき、誰も路上にいなくなると、魔法陣は消えていった。
後はいつもの夜の住宅街の日常が広がるだけ。
「…………ふぅ~~~~~!」
緊張の糸が一気に切れた。
息を大きく吐きながら立ち上がり、部屋の電気を点ける。
「ウゥ……♡ ガァア♡」
ゴブリンの女の子も緊張が解けたようで、笑顔を見せる。
ゴブリン……ゴブリンかぁ。
「お前、鬼じゃなくてゴブリンだったのか……それも世界最強の……」
「ウガ?」
小首を猿のように間抜けにかしげるその姿はとてもそんな危険な存在に思えなかった。
好きな子にそっくりなメスゴブリンを拾った。
これから始まる物語があるとすれば、そんなタイトルが付けられるだろう。
グ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~‼
部屋に響き渡る轟音。
「…………ウガァ」
ゴブリンの少女が恥ずかしそうに腹を抑える。
「……とりあえず、何か食うか?」
「ウゥガァ♡」
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