第一話 久遠光一の嫌になるぐらいどこにでも溢れている辛い日常。

久遠くどうく~ん、君の担当したソフトでまたミスが見つかったよ~これで何回目だよ~いい加減にしてくれよぉ~」

「はい、すいません……」 


 天神リリームテクノロジー株式会社のオフィス———俺の職場だ。


「全くもぉ~……君入社何年目だよぉ~」


 禿はげ眼鏡めがねの典型的なオヤジ。それが俺の直属の上司、九喜くき課長の容姿だ。禿散はげちらかしているのに未練がましくサイドの髪を頭頂部の乗せる、ウチの父親と同じ髪型のいやらしい上司。遺伝子的に俺もこうなる可能性があると思うと、今すぐにでも電車の前に飛び出したくなる。


「すいません……三年目です」

「もぉ~……勘弁してよぉ~……そんなんだから出世できないんだよぉ……わかってるの君」

「すいません」

「謝ればいいってもんじゃないんだよ」


 そんなことを言われてもすいませんとしかいうことができない。

 ああ……これから三十分の説教コースだ。また無駄な時間が流れていくなぁと覚悟した。


 が———、


「もぉ~……もぉいいよ。今日は僕も早く帰って大河ドラマ見たいから。休日出勤なのにもう定時過ぎてるからぁ! 今日はマツジュミスちゃんが主演する初めての大河ドラマ「春はあげぽよ」の第一回があるからぁ。早く帰りたいから。もういいよぉ。席に戻ってよぉ」

「は、はぁ……あのマツジュミスって?」

「知らないのぉ? 常識だよぉ? 松嶋純々ちゃん。今年の一番かわいい女優ランキング一位のジュミスを知らないなんてそんなんだから君は不愛想でコミュ力がないって皆に噂われるんだよぉ~。そんくらいの一般常識知っておかないとぉ~……若い子の話題についていけないぞぉ~……」

「は、はぁ……」


「すいませんは?」


「え?」

「常識なくてすいませんは?」

「え?」


 ……いや、なんでそんなことまで謝んないといけないの?


「もおいいよぉ~! 冗談だろぉ~そんなことだから君は出世……もぉいいよぉ! 席に戻ってよぉ~!」

「はい」


 なんか……メチャクチャむかむかする。


 テレビ見てないだけで常識知らず扱いされた上に、無茶ぶりされた。そのうえでコミュ力がないと噂されていると暴露された上に、出世ができない万年平社員だとレッテルを張られた。

 使えない奴と散々罵倒された気がして、むしゃくしゃした感情を抱えながら席に戻る。


「すいません!」


 隣のデスクのギャルかと思うほど派手な金髪のOL、三輪美羽子みわみわこが両手を合わせて謝罪する。


「あのミス出したの……本当は私だったのにかばってもらっちゃって!」

「いや、良い良い別に。次から気を付ければいいだけだから、一回目のミスは誰だってするから繰り返さなければいいんだからさ」

「てへ、ですよね」


 合わせた手から顔を覗かせウインクすると、ぺろりと舌を突き出す。

 あっさりと謝罪が終わった……流石にムカつくなぁ。

 三輪美羽子は今年は入社してきたばかりの新人で、容量がわかってないからミスが多い。そのたびに俺はフォローをしている。

 そんな身分でありながら、悪びれもせずに舌を出しているような態度にはさすがに一言いいたくなる。

「ぶん殴ったろか?」

「やめてくださいよ。暴力反対!」


 慌てて金髪を振り乱して俺から距離を置く。


「ったく、お前なぁちょっとは会社人……というか社会人として態度を改めたらどうなんだ? そんなんだから」

「あ~! い……やぁ~! 助かるなぁ~!」


 美羽子がわざとらしく声の音量を上げる。


「センパイはいつも私のことを気遣ってくれるし怒らないし、優しいし感謝してますよぉ~、もうセンパイがいないとミワミワ生きていけない! ほんっとぉ~に助かってますよぉ~、日本一!」

「わざとらしいお世辞を言うな。それにお前いつまでたっても自分のことをミワミワってな」


 したくもない説教をしようとした、瞬間だった。

 三輪美羽子が突然立ち上がり、


「あ、もうすぐ彼氏とのディナーの時間なんですよ。お疲れさまでした~」


 と、逃げるように退社していった。


「……………」


 上げた拳をゆっくりと振り下ろす。


「また三輪さん残業切り上げて帰ってるよ」「課長も三輪さんには何も言わないよね~」「知ってる? 三輪さん社長の愛人らしいよ」「え、じゃあコネ入社ってこと?」「だから課長も何も言わないのよ……彼氏って言っても、いくつなんだか」「え⁉ もしかして……そういうこと?」


 オフィスにいる他の社員の噂が耳を打つ。


 めっちゃバカバカしい。


 嫌味な上司とクソウザい部下に挟まれて、ひたすらストレスをためる日々。

 中途採用なので出世できず、このままこの会社を続けても、収入が増える見込みがない。

 絶望だ。


「…………あぁ~、異世界転生したい」


 誰か道端みちばたで俺を刺してくれ。そしたら何の気兼ねもなく死ぬことができるから。そしてワンチャン異世界に行ってチート能力で無双することができるかもしれないから。


「あぁ~あ…………」


 死ぬことなんか考えちゃいけない。

 生きることは素晴らしい。

 人間に来てればきっといいことがあるんだから死んじゃいけない。


 俺は心の底からそう思って〝いた〟。


 子供の頃の、あの事件をきっかけにずっとそう自分に言い聞かせてきた。

 そんな俺が、『自殺したい……』と強く思っているのだから、よっぽどだと思う。

 そして、そう思っている大人が今の日本にあふれかえっているのだから、よっぽどだと思う。

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