浮出物(ふきでもの)

神﨑公威

浮出物(ふきでもの)

 午後三時を過ぎた。俺達は浜辺へ向かって歩いている。ひとりはゲップをし、ひとりはガムを噛み、俺は空を眺めている。定期考査終わりの、ドリンクバー臭い中学生の中で、俺は自分だけは少しクールなのだと確信している。ただ、唯一残念なのはなかなか治らないニキビである。これが一番顕著で思春期らしい、いやな共通点だと感じている。

 洗顔をして保湿をして過ごそうとも、何故かなくならない。そして、気づけば触れてしまっている。今もそうだ。空を眺めてなにを考えているか分からないフリをしても、そこでまたニキビに触れている。これでは、俺がそれを意識しているのが周りに分かってしまう。そしてなにより、触ることが手の汚れを顔につける行為で、よくないことも分かっている。でも、ニキビに触れることが、意識することが、何故か避けられない行為となってしまっている。

 きっと、二人だってそうだ。ガムを一噛みしているうちに一回、頬のニキビの動いていることに意識がいくんだ。そうに違いない。

 でも、ニキビの話題を二人にしたことは一度もない。それは、俺がニキビに悩まないクールなやつだと思わせるためだからだ。そして今だって、何か空だとか海だとか爽快な話題を振ってやろうと考えているのだ。

 考えつくまでは何も言い出さないと決めている。もし、浜辺についたなら、海が見えたなら「風が気持ちいいな」と一言だけ漏らそうと心に決めている。

 浜辺と呼んでいるが、そこは海水浴場で、隠れたスポットでもなければ、最高に水が綺麗なわけでもない。しかし、行きやすい。大きな県道に面しており、また道向かいには住宅街がある。

 浜辺への入り口のあたりで、人が異様に集まっている。と、ここで、何も言わないのもおかしい気がしてきた。潮風はとっくに吹いているから、あのセリフを言ったところで問題はない。

「風が気持ちいいな」

 人が多かったのは誤算だった。俺のセリフは風と共に流れていって、人混みにまみれて、なかったことになった。だから次にこう言った。

「なんか。人、多くないか?」

「誰か溺れたんかな」

「はあ? そんなんで人集まるか? マンボウとか変な魚うちあがってんちゃうん?」

「まじで? そんなんうち上がるんけ、ここ。え、マンボウ、見たことあるん?」

「いや、ないけど」

「いや、ないんかい」

「や、そんなことより、早く行こ、走るぞ」

 俺達三人は十五人ほどの人達が遠目に見ているのがなにか、全くわからなかった。

 約五メートル先で、カプセル錠のような形の球体が漂着しているのだ。大きさは三メートルくらいで、上面の一部はガラス、周りや底は鉄の板張りになっている。友達のひとりが近くにいたおっさんに声をかけていた。

「あ、あの。あれは?」

「ん? んー。十五分くらい前に流れ着いたのを誰かが見つけたようで、僕も噂を聞いてさっき来たところだからなんとも」

「中身は?」

「さー? 誰も気味悪がって覗かないんだよ。だって嫌じゃないか、中に死体でも入ってたりしたら」

「あはは、確かに。でも、どうするんです?」

「いや僕はただの野次馬だから、別にいいんだけれど。君達、見に行ってきなよ」

「え」

「ん、ええやん。行こらよ」

 俺は、おっさんに促された友達と、乗り気な友達と、共に見に行くこととなった。

 ガラスは曇っていたが、近づけば中が見える気がした。だが、おっさんの言っていたような、なにかいやなものがあるとするなら、見たくはない。ゲップの友達が話し始めた。

「な。前にさ。ここで鯉の死骸見つけたことあったよな」

「鯉?」

「あれ、お前しらんっけ」

「いや、一緒におったぞこいつも」

「やんなあ?」

 あまり身に覚えのなかった話に驚いた。そもそも何故、海に川魚なのだろう。

「いつ? ほんまにここ?」

「ここやで。てか、めっちゃ最近やし。テスト期間入った初日やな。夜に来たやん」

「あぁ」

 思い出した。殆んどそのときもニキビのことを考えていたのを思い出した。しかし、改めて思い返すと、かなりグロテスクな物を見ていたと思う。

「そっか。あれ鯉やってんな」

「せやで」

「んで、それがどうかしたん?」

「いや、なんか死んだ鯉の眼みたいなガラスやなって思ってさ」

「いやな例えやな。物をみてあるから余計に生々しいし」

「でも、そうやろ?」

「んー。うん。似てる。曇り具合は、うん」

「で、覗く?」

 この会話の流れでガムの友達が見始めようとしている。

「どうぞ?」

「じゃ、見るわ」

 どうやら見るらしい。俺は、見ているのを見守っている。

 変な顔をして振り向いた。そして小さい声で言った。

「おんな」

「は?」

「おんな」

 それ以上は、見てみろ、と言わんばかりのジェスチャーしかしなかった。そのため、仕方なくみることにした。

 少しガラスを擦って、乾いた海水を拭った。そして、ぼんやりと映る中の様子に眼を凝らしていく。誰かが座ってこちらを見ている。それは、今すぐ噛みつこうだとか、殴りかかろうだとか、そんな気を感じないような、リラックスした状態にみえる。

 ハッキリとは見えないけれど、服を着ているようにも見えず、髪は長く、身体もしなやかに感じる。直感的に女であるとすぐにわかる。

 女の裸がモザイクにかかっているということが、俺達にとってどれだけの興味をかきたてるか。

 俺は少しでも長くみようとしていたが、そればかりを見ているとも思われたくなかったので、別なものも探していた。

「お前、ちょっと見すぎだろ」

 わざと短く見て止めたガムが言ってきた。

「ん、いや。他になにかあるからさ」

 俺は冷静に返して、もう一度観ろと促した。優しさである。これこそがクールである。そして実際、中には小さな箱が見えていた。女と小さな箱。その他には何も見えない。しかし、友達が言ったのはその二つ以外のことであった。

「ニキビだ」

「え?」

「ニキビがあるよ」

 俺はもう一度よく眼を凝らして中を覗き見た。確かにニキビがある。それも、おでこに大きなのがひとつ。俺達は何度もそのニキビを見ようとガラスを擦った。

 見始めてから五分は経っただろうか。他の人達の警戒心も薄くなってきたらしく、俺達に近づいているのが分かった。

 俺は、俺達が裸の女を見ようと必死になっていたと思われるのを、たまらなく嫌だと感じた。そして初めて俺の口から仲間にこう打ち明けた。

「実は、ニキビめちゃくちゃコンプレックスなんよな」

「え?」

「お前が?」

「うん。恥ずかしいからあんまり言ってなかってんけど」

「みんなあるのに?」

「うん。なんか、ちょっとクールぶりたくてさ」

「はは、お前そういうとこあるわな。確かに」

「やろ?」

「おん」

「んでさ、あんまりニキビの話、したことなかったんよな。って。ついでに言っとこうと思ってん」

「おーな、まあ正直俺らにもあるけど、綺麗なもんではないからなあ。見られたらイヤではある」

「せやな。同じく」

「せやろ? だからさ。このまま、これ」

「え?」

「これ、押して流さへん?」

 俺は漂着物を目配せで示した。一瞬、ふたりは迷ったように見えたが、ニキビを触りながら頷き始めた。

「確かに、な。あれだけの人に観られたくないやろうし。観られたら観られたでもっと沢山の人目につくやろうしな」

「そもそも、たぶん海から来たんやろうしな。また海に返したところでなんも悪いこともないしな」

「せやろ? もう皆近いから早くしよら」

「おう」

「わかった」

「いくぞ。せーーーの!」

 柔らかい砂地に踏ん張って、俺達は押した。自分達が浸かるまで押さなければ流れてはいかないと思っていたが、不思議なことに、簡単に波にさらわれていった。そして、やがて沈み、見えなくなった。しかし、沈んだあとにも空気の泡はたたず、あの中の空気は充填されたままなのだと安心をした。

 酸素量がどうなるだとか、あの女がどう生きていくだとかは俺達は何も知らないし、検討もつかない。ニキビと謎の箱とが中にあっただけなのだ。

 慌てた大人たちが声をかけてくる。

「おい! 君たち、中には何が?」

「ん。えと」

 としか言えなかったが、夜寝る前にニキビを触りながら思い付いた言葉はこれだった。

「中にも少しうみがあって。これは、どこから出た物なんでしょうね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

浮出物(ふきでもの) 神﨑公威 @Sandaruku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ