3章『舞い降りた大仕事』

その1 『帰還』

――そう、ただの憂さ晴らし。


 街を歩きながら思いを巡らす。

 頭の中にいつも浮かんでいる。血と悲鳴。瓦礫の音と、赤い炎。そして、あの時見えた深紅の瞳。

 幼いころのトラウマ。まるでカビのようだ。私自身が気づかないうちに、どんどんと心を芯から腐らせていく。


――たぶん、復讐したいんだろうなあ。


 空には雲がまだらに浮かんでいる。海のように奇麗な青だ。それはまるで心が洗われるようで、心地の良い風が体の中を駆け巡っているかのよう。

 しかし、ぼーっと何かを見つめているときに限って、そいつはやってくる。


 浮かんでくる情景は真っ黒。真っ暗な中、蒸気機関の音が鳴り、紫色のライトがゆっくりと明滅する。

 目の前に座るのはくたびれた男。髭も髪もぼさぼさで、もはや顔など分かったもんじゃない。


『ああ、赦してくれ』


 言葉が繰り返される。吹き出る血しぶき。宙に浮かんだ彼の頭。

 ライトの明滅が速くなる。まるで心臓の鼓動のようで、ドクドク、バクバク、パチパチ……暗闇を照らす。

 地面に伝う、どす黒い血液。握っているのは白銀のナイフ。ああ、こびりついている。手にこびりついたその血は妙に温かかった。


「おい」

「はっ!?」


 トロルの分厚い手が私の左肩をがしりと掴む。まるで、寝起きに冷や水をぶっかけられたかのような感覚だった。


「お、驚かさないでよ!」

「わりぃわりぃ。ぼけーっと突っ立ってるからよ、大丈夫かなって」

「大丈夫じゃないっての! こちとら考え事してたんだから!」

「ほぉん? お前が考え事なんて珍しいじゃないの。”憂さ晴らし”とか言っちゃうお前がな。で、なにを考えてたんだ?」


――まさに、そのことなんだけど。


 そう言いたいのは山々であったが、ここはぐっと飲み込む。ここで赤裸々に語ってしまったら、あのとき飄々と気取ってカッコつけたのが台無しになってしまう。


「まあ、なに? 飯のことよ」

「それって、食うことか? それとも……もしかして、アレか? もしかすると……作るとか?」

「なに。悪い?」

「いやあ、ぜんぜん! シェフのお料理はいつも絶品でありますからなあ! なあっはっは!」


 大きな口を開けて笑うトロル。しかし、どこかげっそりとした雰囲気が溢れ出ていた。

 あの後のことだ。トロルはあの夜から三日三晩下痢であったらしい。ナニに当たったのかは教えてくれなかった。


「ま、まあサシャよぉ。料理を作るのはいいんだが、肉の種類とか草の種類とかさあ、ちゃんと見とけよ?」

「え? 急にどうしたの」

「い、いやあ! ただのアドバイスさ! まぁさか、あの肉が毒持ちの獣の肉だったりなんてしないよな! 我らが大シェフなんだから! がっはっは! ……マジで気を付けてくれよ」

「もちろんじゃん」


 そんなの当たり前だ。馬鹿にしているのだろうか。だけど、私も大人。たかがそんなことで怒ったりしない。

 しかし、トロルはなぜか私の顔を見て、たらりと冷や汗を流していた。


「で、でさあ! 話は変わるんだけどよぉ、あの”式”の件なんだが」

「ん? ああ、あれね」


 私たちは並んで歩きだした。人が入り乱れ、出店が立ち並ぶ大通りを見渡し、遠く先にそびえ立つ巨大な城を見やる。

 ここは王都『セイントハウンズ』。グランデベルト王家が誇る黄金の牙城はまるで神聖な太陽の如き光を放ち、街行く人々は気品と活気に満ち溢れている。


 私たちは城にお呼ばれされていた。先日のヴェントス奪還により、オークに占領されていた人間の領土が全て解放された。その功績が讃えられ、傭兵という立場にも関わらず、国から褒賞を受けることになったのである。これは異例のことらしい。


 そういえば、あの城に足を踏み入れたことがなかった。一応、王族ではあるはずなんだけど。

 小さい頃は、よくあの城に入ることを夢見ていた。街を通りがかっては、いつもあの城を眺めていた。あの頃が懐かしい。


 だけど、忘れてはならない。今の私はサシャ・ニンデベルク。血に塗れた傭兵である。

 すでに幼き頃の夢は跡形もなく消え去って、得体の知れぬ悶々とした感覚だけが心に纏わりついている。


――私は王の命に従っただけだ。

 

 不思議だ。あの時、あの男がその台詞を口走った時、なにかとてつもない虚無感が私に乗りかかったのを覚えている。体の力がどっと抜けて、何も考えたくなくなった。

 なぜだろうか。私の大好きな人たちを殺されたのに、その張本人に向かって怒りが湧いてこないだなんて。今になっても答えがでない。そして、今に至る。

 今の私は抜け殻。行き場のない不思議な感覚を抱えながら生きる屍。


 だから、憂さ晴らしなのかもしれない。

 もしかしたら、あの時からの違和感こそが、俗にいう怒りなのかもしれない。だけど、そんなこと私は分からない。分からないから、それを忘れるために戦うのだ。身近な敵を殺し、戦いにふける。忘れることで、なにかをしている気になる。生の感覚なのかは分からないが、微かにそれを認識することができる。


 ああ、なんでこうなってしまったのだろう。小さいころ、家族に囲まれていたころは、ナイフなんて見ようものなら今にも泣きだしてしまいそうだったのに、どうしてこんなに戦いを求めるようになってしまったのだろう。

 たぶん、”アイツ”のせいだ。自らを本当の”父親”だと言ったあの男が、今の私を形作った。


 そう考えていると、隣でトロルが呑気に口を開いた。


「いったい何貰えるんだろなあ」


 彼女は、頭の後ろで手を組みながら空を見上げていた。


「金かなあ、飯かなあ。それとも男かなぁ!」

「ほんと相変わらず」

「しかたねえだろ。それがアタシの唯一の楽しみなんだから!」

「たのしみ……ねぇ」


――そういえば、最近楽しいことがない。


 私も、トロルに合わせて空を眺める。


――あれ? それって、いつからだっけ。

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