その3 『戦がおわって』

「おいしくなーれ、おいしくなーれ」


 パチパチと鳴る火花。クルクルと回る鉄のレバー。


 サーシアは、死んだ目で巨大な肉を焼いていた。何度もやっているが、いつも不味い。今回は本で調べたのだから、絶対に成功する。そう考えながらレバーを回す。だが、なんとなく焦げ臭い。


 後ろのテントでは、どったんばったんと何かがひっくり返されるような音がしていた。それも立て続けに。

 何をするにしても静かにと言ったのに。サーシアはため息をついた。


「でけたー」


 星の浮かぶ夜空に向かって、炭の色をした肉を掲げる。焦げたカスがぽろぽろと顔に落ちるが、彼女はそんなこと気にしない。


「いただきまーす」


 むしゃり。彼女はそれにかじりついた。しかし、感触はパッサパサ。焼きすぎたせいか、肉汁がダダ漏れだったのだろう。そして、何より苦い。


「……まじゅい」


 かといって、無駄にもできない。食べ物を目にすると、どんなものでもご馳走に思えてしまう。金を手にした今でもそうだ。少し前は卑しくなった自分に辟易していたが、今となってはどうでもよくなった。

 だが、それでもできれば旨い飯を食いたい。サーシアは焦げた肉を獣のように頬張りながら、後ろのテントを睨んだ。


「ぜっんぜん集中できなかった! こんなになったのも、アイツがうるさくするからだ!」


 テントの中から激しい声が聞こえる。


「おらあ!! テメェ、それでも男か! もっとドンと来いやあ!!」

「あっ、ああ~」


 取っ組み合いでもしているのか、中からは女の勇ましい声と、男の情けない声が交差していた。


「おらっ! こい! こいやあ!」

「もうだめぇ~」


 最後に腑抜けた声が聞こえたと思ったら、ばさりとテントが開く。中から現れたのは、汗だくになったトロルだった。

 ボロの布切れで腰と胸元を隠し、鍛え上げられた屈強な体を夜の冷たい風に晒す。彼女はふんと胸を張ると、逞しく言った。


「最近の男はてんでダメだ! すぐ弱音を吐きやがる!」

 

 テントの奥で誰かがノビている。昼間、トロルに目を付けられたイケメンの騎士だ。彼女はそれを一瞥すると、ふんと鼻息を鳴らした。

 不完全燃焼な一戦だったのだろう。トロルは明らかに不機嫌だった。しかし、サーシアはそんな彼女を怖がることなく、ぬっと近づいた。


「ねえ」

「はっ!」


 真っ黒こげになった肉がトロルの顔に近づく。


「うるさくすんなって言ったよね」

「い、言った」

「うるさかったよ」

「す、すまん」


 サーシアは食いかけの肉で、トロルの頬をペチペチと叩く。


「どったんばったん、ずったんばったん。おかげでまったく集中できなかったんですけど」

「ご、ごめんって……」

「もしアンタが静かにやってたんだったら、コレ。こんなになってなかったと思う」


 ギラリと煌めく彼女の目から逃げるように、トロルは形も保てなくなりそうな焦げカスを見つめた。


「こ……これは?」

「肉」

「……ホント?」

「うん」

 

 目は逸らされても、何かを訴えるように睨み続けるサーシア。トロルの額からは先ほどとは別の冷たい汗が浮き出ていた。

 トロルの眼は泳いでいた。何か逃げ道はないか、どうにかこの地獄から抜け出せないかと考えを巡らせているような顔であった。


「な、なあ、サシャ! それ……う、うんまそうだなあ! く、食っていいか?」


 トロルの目がぱっと開く。何かを閃いたのだろう。

 しかし、トロルの爛々とした瞳は、どこからどう見ても焦りしかなかった。だが、サーシアは何も言わない。ただ、大きく頷くだけである。


「ほい」

 

 濁った瞳をしながら、黒い塊を差し出す。トロルは子供の顔ぐらいはありそうな大きさの握り拳を開き、それをむんずとつかみ取った。

 

「お、おう! おお、おい……しそうな肉だぜぇ。こ、こんなの……ぜっぴんに決まってらぁ!」


 ちら、ちら。

 トロルは不機嫌な料理長に目くばせをする。まるで、ご機嫌を伺うように。だが、彼女はじっと見つめるだけだった。


「ほんとに食っちまうからな?」


 トロルは再び目くばせをする。サーシアは頷いた。


「ほんとに全部食うぞ? お前のぶん、なくなるぞ?」


 サーシアは大きく頷いた。


「いいんだなあ!?」

 

 サーシアは大きく大きく頷いた。

 トロルの顔が一瞬ひどく引きつったが、覚悟を決めたのだろう。戦場でも見せないほどの凛とした表情だった。


「じゃ、じゃあ……いっただっきまぁぁす!」


 ガブリ。大きな一口だ。

 可哀そうなトロル。彼女の勇ましい顔は一変した。


「ム……むぐぐ」


 だが、咀嚼を続ける。ぐっとそれを飲み込むと、再び一口。今度はさっきよりも大きく行った。

 血色のよかった彼女の顔色は青に変わり、紫に変わり……完食間際には真っ黒になっていた。


 何十分かかったのだろう。彼女は遂にやり切った。ところどころが黒くなった骨をカランと落とし、涙目で天を仰ぐ。

 彼女の太い喉を巨大な塊が通過していく。ゴクンとすべてを飲み込むと、トロルは少しの間、動かなくなった。


「おいしかった?」


 暗い影が落ちた表情で、サーシアは問い詰める。少し間はあったが、トロルは絞り出すような声で答えた。


「あ、ああ……もちのろんよ」


 サーシアに向かって、ぐっと親指を立てる。その手はガタガタと震えていた。

 それを見た小さなコック。その表情は一気に明るくなった。


「でっしょ~!! 私が作ったんだから! 旨いに決まってるっしょ!」


 彼女は飛び跳ね、息も絶え絶えなトロルの肩に手を回す。しかし、あの戦場で獅子奮迅の活躍をしていた巨大な体はぴくりともしなかった。


「あれ、トロル? おーい」


 サーシアは彼女の肩から手を外す。すると、巨木のようなトロルの体は、まるで斧で切り落とされたかのように、勢いよく地面に倒れた。


「え? マジ?」


 サーシアは、彼女の名前を呼びながら肩をポンポンと叩く。


「おーい、トロルー。いきかえれー。死ぬほど旨かったんなら、もっかい食わせてやるぞー」


 そんな地獄の主でも言わなさそうな言葉を発しながら、白目をむいた彼女の頬を叩く。

 ぺちぺちと音が鳴る。トロルは白目を剥いていた。

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