その2 『VSオーク』
「まずは、アタシからだあ!」
地面に下したハンマーをズリズリと引きずりながら駆け出していく。まるでスコップで掘ったかのように深々と土がえぐれた。
革のブーツから放たれるドスドスドスという足音は、山のように大きな闘牛が怒り狂っているかのようだった。剣山のように尖った歯をむき出しにして、無邪気な子供のように血しぶきの嵐の中へ入っていく。
「あ? なんだあれ」
一人のオークがこちらに気づく。今しがた二つに割られた男の間を通して、二人の目があった。その瞬間だった。焦げたように赤いオークの顔が青く染まった。
「トロルだとぉ!?」
「がははははは!!」
トロル。彼女はその巨体と強靭さから、そう呼ばれていた。
オークの口からその言葉が発せられた時すでに、彼女はハンマーを大きく振りかぶっていた。
「どらああああ!!」
「めきゅ」
小さな断末魔が口から飛び出る。
彼女のハンマーはオークの頭部に直撃した。振り下ろされたそれは、まるで超重量の鉄の重りで柔らかい肉をプレスするかのように、オークの体をぺちゃんこにする。紫色の血は飛び散ることなく、じわぁと地面に伝わっていった。
「まずは一匹ぃ!」
高らかに宣言するトロル。肉片がこびりついたハンマーを余裕そうに肩に担ぎ、鼻を鳴らして辺りを見渡した。
「手ごたえのありそうなヤツはぁ?」
いつの間にか、彼女は囲まれていた。しかし、オークたちは子犬のようである。瞳からは力が消え、怯えの色が見えている。
トロルはきょとんとした顔で、鼻の頭をポリポリと掻いた。
「あれえ? いねえのか。まあ、いいや。ヤればヤるほど金もらえるし」
首をコキコキと鳴らし、ハンマーをブンブンと振り回す。
オークたちは、彼ら一人分はありそうな木槌に目をやると、静かに冷たい汗を流した。
「おい、なにしてんだ。てめえらの”魂”ってのは、そんなに軟弱なのか?」
トロルは退屈そうな瞳でオークたちを見下ろした。
その瞳は、オークたちを焚きつけるには最適だったようだ。彼らの怯えた瞳は一瞬にして変わり、まるで王者に臨む挑戦者のようであった。
「来いよ」
「く……クソがぁぁぁぁ!!!!」
真っ赤な挑戦者たちは各々の得物を強く握りしめ、無謀であるが魂を昇華させる聖戦へと繰り出していく。
しかし、力の差は歴然。トロルは、そんなオークたちに向かって猛々しく叫んだ。
「そう、その意気だあ!!」
審判を下すにはやけに粗暴なその乙女は、オークたちの心意気をその身で受け止めるかのように大槌を振り回した。
「ぐぎゃああああ!!!!」
「おっしゃあ! つぎぃ!」
悲鳴と紫色の血しぶきがあがる。その虐殺を遠くから見つめるのはサシャ、もといサーシアである。
彼女は名前を変えていた。サシャ・ニンデベルク、それが今の彼女の名である。
「相変わらず元気ねぇ~」
「てめえはどうなんだよ」
彼女もまた、トロルと同じ状況に巻き込まれていた。しかしオークたちは、やけに余裕そうだった。
「こんなのが雷神の娘って呼ばれてんのか? こけおどしだろ」
槍を構えるオークが言う。サーシアは、その言葉にムッとした。
「ねえ、その”娘”っていうのやめてくれない? 付け足されてる感満載で嫌なんだけど。どうせ呼ぶなら”雷神”だけとかさあ」
「あん? てめえみたいな小娘が神様だってぇ? おい、聞いたかよてめえら!」
「こりゃあ傑作だぜぇ! お前みたいなチビ女がなあ!」
「「がはははは!!」」
オークたちはサーシアのふてぶてしい顔を高らかに笑った。サーシアは慣れっこだと言わんばかりだったが、やはり癪に障るようだ。深々と大きなため息をついた。
「まあ、いいわ。どうせすぐ死ぬんだから。今のうちに好きなだけ笑っとけば?」
「ほえぇ~、俺らすぐ死ぬのかぁ。そりゃあ見ものだぜ。どうやってチミみたいな女の子がボクらを殺すのかなぁ?」
「そりゃ、脳死させんだろうよ! 服をはだけて巨乳をボロンってよ! 俺ら、鼻血ブゥーでイチコロだわ!」
オークたちは明らかに彼女をおちょくっていた。しかし、サーシアはなぜか得意気であった。
彼女は、ふふんと鼻を鳴らすと、おもむろに肩にかかったローブに手をかける。だが、その時だった。
「がっはっは! バッカでぇ、コイツ! ほんとに脱ぎだしやがった! てめえの無い乳で俺らが興奮するかっての!」
その言葉に彼女の手が止まる。真っ白な指がプルプルと震えだした。
「だれが……」
「おん? なんかいったか?」
「だれが無い乳じゃ、ぼけえ!!」
絞り出すような声から一転、サーシアの声は怒号に変わった。怒り狂った少女は右手をバッと開く。一瞬、真っ白な掌に小さな雷が見えた。
「コイツ、急に怒り出しやがった!」
「がっはっは! 胸ねえの気にしてんだ! 可愛いねえ!」
オークたちは相も変わらず大笑いを続ける。しかし、一瞬の熱い感覚が彼らの首元を襲った。
「死んだのに笑ってんじゃないよ」
「へ?」
サーシアの左手は、地面に置かれていた。ローブがはためき、デニムのショートパンツの先に延びる生足が露になる。雪に塗れたように白い足だが、右の太ももには痛々しい傷跡が残っていた。
大きく開かれた足はまるでコンパスのようで、地面には足先で削り取ったのか、綺麗な円が刻まれている。雷の残滓が空中でバチバチと漂い、青色の瞳は冷たく彼らを見上げていた。
オークたちの首がゆっくりと宙に浮く。体が後ろに倒れていく。舞い上がった土埃の間を縫って、彼らの瞳に映る最期の光景――それは、雷の槍を右手に握りしめた小さな戦姫の姿であった。
「あぁあ、怒らせちまった」
遠くで血まみれになったトロルがつぶやく。彼女から見た今のサーシアは、まさに怒れる雷神そのものだった。
サーシアはすっくと立ちあがると、一斉に倒れたオークたちを見下ろした。そして、眼前に広がるオークの大群に目を向ける。
「やろおおおお!」
同胞をやられたことへの憎しみか。いや、彼らの目からは強い恐れと警戒心が溢れ出ていた。
サーシアは槍を頭上でクルクルと回すと、波のように押し寄せるオークの軍団に鋒を向ける。
足で地面を踏みつけ、突進の準備を整える。彼女は息を一度吐くと、体勢を低く構えた。
全身に青い光が伝わり、髪が少し浮く。帯電モードと呼ばれるそれは、彼女の動きを光のように速くする。
次の瞬間だった。
サーシアが地面を蹴り出す。一瞬、彼女の姿が消えた。
ドスッ!
土埃と放電の跡が、後ろに続く。槍は、二人のオークを貫いていた。
遠く離れていた彼らとの距離は、たったの一歩で消え去り、戦場はすでに彼女の独壇場となっていた。
槍を薙げば、まるで超高温の鉄の棒で焼き切ったようにオークの胴が裂け、地面に落ちる。斬ったそばから焼け固まり、血は流れない。ただオークの苦悶の表情だけが、その痛みを物語っている。
囲まれても動じない。サーシアは槍を振り回し、有象無象のオーク達をバッタバッタと薙ぎ倒していく。ただ、それでも数が減らない。彼女は辺りを見渡すと、一度後ろに飛び跳ねた。
距離を取る。彼女はその場で、眼前のオーク達を見渡した。
「……ッスゥー」
大きく息を吸い込む。それと共に、彼女は片足を上げた。槍を振りかぶり、ピタリと止まる。そして――
「フッ!!」
バチリと閃光が走った。烈風が吹き、土が跳ね上がる。
瞬く間に、彼女の姿勢は変わっていた。すでに腕は放りだされ、手に持っていた槍が消えている。
そう、それは投げられていたのだ。
轟音。城壁に突き刺さる5人のオーク。突き立てられた光の槍は放電しながら消え、残ったのは、腹に大きな穴を空けたオークの死骸だった。
「い、いつの……まに」
「もういっちょー!」
そう声がしたと思ったら、再び閃光が走る。再び5人。死体で出来た真っ赤な団子の隣に、まったく同じ物が来上がっていた。
オークたちは、彼女を見て慄いた。
「ば……バケモノ」
サーシアは小気味よく鼻歌を歌っていた。空を向いた人差し指の上では、雷で作られた爪楊枝サイズの槍が回っている。
「もう一回イく?」
天使のようなその少女は、悪魔のような笑みを浮かべてそう言った。
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