2章『戦の乙女』
その1 『戦の乙女』
血しぶき、咆哮、幾千もの剣戟。それらを神の目玉の如き太陽に晒す。
ここはグランデベルト王国の東端に位置する町、『ヴェントゥス』。まさに自然の防壁とも呼べる高峰『アイギス』に守られた国境線の街である。
街を囲むのは、夕焼けのような赤い煉瓦で組まれた巨大な城壁であるが、それはボロボロに欠けていた。隣国による度重なる襲撃に耐えてきたのだ。
しかし、それも三十年前の話。トーランの長、バスバス・リンダァが開催した世界調和会議において、百年にも渡る種族間の戦争が終わったのである。
その時を境に、この鉄壁はその役目を終え、長い眠りにつくはずだった。
「殺せぇぇぇぇ!!」
筋肉ではち切れんばかりの赤い肌。二本の鋭い逆さ牙を生やし、獲物を追い求める狼のような瞳。
オークだ。十前の凄惨なテロを皮切りに、彼らは再び人間の国へと攻め入ってきた。
オークの国『オーガード』との国境に位置するこの場所は、奇襲とも言える彼らの猛襲に三日と耐えられなかった。それを皮切りに人間たちは、またしても殺戮と陵辱に耐えるしか無かった。
しかし、それも今日までだ。
「取り返すぞ! 我らの故郷を!!」
「うおぉぉぉぉぉぉ!!!!」
銀色の甲冑を身に纏った騎士たちが、オークの軍団に突撃をしかける。薄っすらと生えた緑が蹴散らされ、ボコボコと黒茶色の土が現れた。
太陽の光をまとって白金に光る剣を振りかぶり、彼らは鬼とも言える蛮族共に向かっていく。だが、白兵戦は明らかに不利だった。
「どっせぇぇい!」
オークの戦士たちが握るのは、人間など容易く両断できてしまうほどの巨大な武器である。彼らがそれを横に薙ぐだけで、ただの人間は吹き飛ばされ、胴と足を真っ二つにされる。
そして、城壁で彼らを見下ろすのは、エルフの弓兵たち。彼らは、まるで機械のように矢筒から矢を取り出し、一心不乱に人間たちに向かって弓を弾いていた。
「うわあああああ!!」
あちこちから悲鳴があがる。真っ赤な血が飛び散り、地面には数えきれないほどの死体が転がっている。
「くっ、くそぉ! ケダモノ共めがぁ……!」
前線では血が雨のように降り注いでいる。しかし、彼らは決して引かない。及び腰になどならない。なぜなら、ここを取り戻せばあの屈辱の日々が終わるからだ。蛮勇と呼ばれようと構わない。命をいくら積んでも、この城さえ取り戻せば終わりなのだ。
九年間、人類は侵略され続けてきた。殺され、凌辱され、悪行の数々が彼らを襲った。しかし、取り返してきたのだ。一年前のあの時、あの
「奴らは……奴らはまだか!」
「いったい何をしてやがんだ!」
甲冑を揺らし、到着を待つ。血をいくら流しても、アレが来ればこんなオーク共など赤子のように容易く倒すことができる。だが、今日は遅い。いつもなら、すでに戦が終わっているような時間であるのに、奴らが来ないせいで無駄な血を流す。騎士たちは明らかに焦っていた。
しかし、やってきた。日の光をバックに、大きな背伸びをしながら姿を現した。
「わりぃ、わりぃ! 寝てたわ!」
それは女だった。二人の女である。一人は大柄で、一人は小柄。
大柄な女が一人の騎士の肩をたたく。その姿はまるで人間の恰好をしたオークで、背は大人の男二人分はあり、岩のように盛り上がった腕には数多の傷がついている。真っ白な頬にはバツ印の痕がついており、針のように硬い金髪は小さく後ろで結われている。肩に担ぐのは、巨大なハンマー。丸太のような大きさだが、それを軽々と握っている。
「おっ! お前、いい顔してんなぁ!」
大柄の女は騎士の兜を覗き込んで言った。ムムムと難しい顔をしながら体を眺め、彼の背中へと回る。そして、彼女はハンマーを地面へ落とすと、彼の両肩をがっしりと握りしめた。
「決めた! 今日はおまえ! 絶対死ぬんじゃねえぞ!」
「……は?」
騎士はきょとんとしていたが、大柄の女はそんなこと気にせずハンマーを担ぎあげて、がははと笑いながら歩いて行った。
「ご愁傷様」
ぽつんと声が聞こえる。騎士はその声にハッとした。美しい声だった。戦場に似つかわしくない花のような香りが隣を通り過ぎる。
小柄な女だ。薄汚れた布のローブで顔を隠し、気配の一つも見せずに歩く。胸元に見えたのはバラの形の指輪がぶら下がったネックレス。彼女は丸腰だった。
「……え?」
騎士は混乱していた。ただ後方でポツンと立ち尽くす。彼は、前を征く二人の背中をじっと見つめるほかなかった。
彼女たちはずかずかと踏み込んでいく。汗と血と刃が入り混じる男の世界へと。死地に赴くにしては、やけに気楽な足運びであった。
「さあて、やるかあ! 今日もいい男が捕まったしなあ!」
数多の戦士共がやられていく姿を見ながら、大柄の女は大きく背伸びをする。彼女は右手にハンマーを握り替えると、ブオンと大きく一振りした。
小柄の女は小さなため息をつく。
「あんまりうるさくしないでね」
「わかってるって! もう、アンタにどやされるのは懲り懲りだしね!」
シシシと笑う大柄の女。彼女は大きく深呼吸をすると、囁くように言った。
「いくぜ、サシャ」
「うん」
風が優しくローブを払う。サラサラとした金色の短髪。その下で澄んだ湖のように輝く青色の瞳。しかし、それはまるで底の底を映しているかのようで、どこか暗く感じる。幼いころの面影はすでになく、尖った視線は眼前の蛮族どもを突き刺していた。
サーシア・グランデベルト、十六歳である。
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