その6 『パーティの始まり』

 そこはまさにオペラ会場。

 開演前の客席は黄金の光で照らされ、敷き詰められた真っ赤なシートは玉座のよう。座り心地はまるで雲の上に乗っかっているみたいで、フワフワとした感覚を覚える。だがその実、しっかりと腰をキャッチされているかのような安定感もあった。


「うわー、すごい」


 お嬢様は場内をくまなく見渡していた。

 今まで浴びたことのない光の量、声の数、座席の感触、澄んだ空気、ひりついた雰囲気。心が躍るのも無理はない。かくいう私も、ここまで煌びやかな場所で行うとは思ってもみなかった。


「ここで研究の発表をするのね」


 奥様がつぶやく。


「なんか、ポくないですよね」

「ちょっ、ナンシー!」


 ぼーっと天井を眺めるナンシー。なんてことを言うのだろうと、私は小声で諫める。


「だって、学会の発表ってよりかは、コンサートとかオペラとか、そんなのに向いた場所じゃない?」

「まあ、そうだけど......」


 確かに、そうではある。そうではあるが、彼が決めたことだ。


 おそらく、ここでも格式ばった研究発表はしたくない、楽しいものにしたいという彼なりのこだわりなのだろう。とはいえど、やはりやりすぎにも感じてしまう。彼の幼心にも困ったものだ。

  

「ナンシー、あんまり大きな声で言わないでね」

「ん?」


 私はナンシーに小さく目くばせをした。


「あ~」


 彼女はすでにそれに気づいていたようだ。ちらりと客席上方に視線をやる。


 二階のボックス席には、各国の重役が集まっていた。

 そして、その中央付近、ロイヤルボックス席の周辺四席には、国の代表とも呼べる者たちが、重々しい雰囲気を醸し出している。


 左の奥から、オークの国『オーガード』の現・戦長(※人間でいうところの将軍)ゴア・ハンマーウッドとその妻、ミリーシャ・ハンマーウッド。

 真っ赤な肌と逆さに生えた大きな牙、それとまるで熊のように発達した筋肉隆々の四肢が特徴的である。


 その隣の席に座るのは、ドワーフの国『レドノーズ』の王、ベンガ・アンガ。

 ドワーフは背丈が小さく、昔はよく小人と馬鹿にされていた。しかし、丸太のように太った腕を見ても分かるように、彼らの力はオークにも引けを取らない。


 そして、ロイヤルボックス席を挟んで右の手前では、獣人の国『トーラン』の長、バスバス・リンダァが優雅に紅茶を啜っている。

 彼らはまさに獣の容姿を持ち、人以上の知識を持つ不思議な生物である。ここにいるバスバスは牛のような姿をした男であった。


 右端を見てみると、エルフの国『ナイトニア』の魔法大臣、クレイシア・ニースが暗く光る眼鏡の奥で、神妙な表情を浮かべている。


 ナンシーは若干納得したように頷いたが、少しため息をついた。


「なんか、こういうキラキラしたとこって苦手なのよね~。お呼びじゃないって言われてるみたいで」

「なに言ってるのよ。私たちはお呼ばれされたんだから、ここにいるんじゃない」

「へえへえ」


 ナンシーは肩を落とし、諦めたような微笑を浮かべる。


「まっ、いい経験じゃない。こんなとこに来るなんて、一生に一度あるかないかよ。楽しまなきゃ」

「まあ、そうだよね」


 駄々っ子でも、諭されれば分かるものだ。ナンシーは何かを飲み込むようにもう一度軽く頷くと、今度はボックス席の中央、様々な宝石で彩られた巨大な客席、ロイヤルボックス席を見上げた。


「王様も来てるみたいだし」


 既に、そこにはこの国を統べる一人の男が座っていた。

 レオ・グランデベルト。後ろにサラリと流れる銀髪と、同じく銀色の滝のような髭。黄金で装飾されつくした王衣を身にまとい、その上からは真紅のマントを羽織っている。ちらりと見えるごつごつとした岩のような手には数多の傷が刻まれており、若かりし頃の激しい戦いが容易く想像できる。


 その横に立つのは、第二王子トレス・グランデベルトだ。

 あんなに猛々しい王の子とは思えぬほどに爽やかで、筋肉はそれほどついているようには見えず、すらっとしている。右目の下にある泣きぼくろが特に女泣かせで、これにやられた女性は数知れない。


 しかし、剣の腕は世界を見ても指折りで、まだ十五歳という若さであるのに、国中の猛者が集まる剣術大会では三十連続優勝という偉業を成し遂げていた。

 これは、レオ王の記録に並ぶものであり、次男とは言えど、次の王の筆頭候補と言っても差し支えなかった。


 トレスは王と何かを喋っているようだった。柔らかい表情を浮かべているところから、おそらく単なる暇つぶしの雑談をしているのであろう。しかし、片手は常に腰に着けた剣を触っている。今日は王の警護として来ているらしい。


「トレス様が気になる?」

「へっ!?」


 今朝の仕返しとばかりにナンシーへ囁く。それを聞いた彼女の顔は、熟れたトマトよりも赤くなった。


「そそそ、そんなことないよ!」

「えぇ~? ほんとぉ~」


 とは言いつつも、とてつもなく照れている。顔からは大量の汗が噴き出ており、まるで突然右ストレートを食らったかのように面食らっている様子であった。

 やっぱり双子で姉妹なんだな。この子は一見、恋愛慣れしているように見えるが、所詮私の妹だったということなのだろう。

 

「やっぱり、トレス様ってすんごいイケメンだものね~。惚れちゃうのもわかるわー」

「ほ、ほれてない! そんなんじゃないってば!」


 ナンシーは強く否定するように顔の前で両手を振った。と、その時だった。


『ブゥーッ!!』


 ステージ上から大きなブザー音が鳴り響く。

 

「おっ、始まる」


 徐々に暗くなる照明を見つめる。ナンシーはここぞとばかりに口を開いた。


「ほら、前向かないと! 彼氏さんの晴れ舞台じゃないの? 見逃しちゃうよ」

「はいはい」


 ぷんぷんと怒るナンシーをあやす。


 私は椅子に深く座り直すと、反対側に座る隣に座っているお嬢様とその隣の奥様を一瞥した。二人は暗くなる会場にドキドキしているようだった。

 実は、私自身もドキドキとしている。おそらく、ここにいる誰よりもドキドキしているだろう。


 さっき別れを告げた愛する男が、今から歴史に名を刻むのだ。その瞬間を見れることがどれだけ幸福か。私の目からは、すでに涙が出ようとしていた。

 さっきのナンシーとのからかいあいもそうだ。確かに彼女に仕返しをしようという目論見はあったが、それよりも心の高鳴りを抑え、平静を装うためだった。

 

 私は侍女。その立場を一時も忘れるわけにはいかなかった。

 たぶん、奥様はそんなことなど気にしない。好きなようにしていいと言ってくれるだろう。だけど、私自身はそれを許さない。

 

――どんな時でも私は二人の召使い。


 これは決して自分を蔑んでいる訳ではない。誇りとしてそう考えている。

 こんなにも優しく、楽しく、暖かい人たちをこんな私が支えられるんだと、いつも幸せに思っていた。

 そして、そんな最高の立場で最愛の人の門出を見守ることができる。


――ああ、幸せだ。


 頬に一筋の涙が伝る。

 

 幕が開く。真っ赤なカーテンがゆっくりと引かれていく。ステージから真っ白な光が漏れだした。

 

 始まる。

 その瞬間だ。私は、なにも考えられなくなった。


「ヒュー……イ?」


 ステージの中央に立つのは、白衣を着た最愛の男。そんな彼が両手を広げている。

 それは、いつも見ているヒューイの姿であった。そう、いつも私を抱きしめる姿。だが、今は違った。


「パーティー!!!!!!」


 狂ったような叫び声が場内に響き渡り、大きく開いた彼の胸から、巨大な大砲が現れる。

 次の瞬間、魔法の砲弾が飛び出した。

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