その5 『パーティ準備』

 時刻は夕方、十八時三十分。

 今まで空で威張っていた真っ赤な太陽が、向こう側へと落ちていく。まるで一日の仕事を果たし、家へ帰っていくかのようだった。


 薄っすらと現われてくるのは、粒のような星たちと、穏やかな顔をした三日月である。仕事を引き継いだ彼らは、刷毛で適当に塗ったかのような雲たちと戯れながら、絵画のような美しい空模様を作り出していた。


「頑張ってね」

 

 ドームの中の舞台袖。ステージから漏れる光を浴びるように、私たちは向かい合っていた。

 周りでは、ヘッドセットを身に着けた人間のスタッフたちが慌ただしく駆けまわっている。今から今日のメインイベントである『魔法石の研究発表』が行われるのである。

 

「ああ。今日は大切な日だからね。頑張るよ」


 ヒューイはニコリと微笑みながら白衣の襟をキュッと正した。これからステージに立ち、世紀の発見のプレゼンをするというのに、緊張の色が全く見えない。

 柔らかい表情や雰囲気はそのままで、まさに自然体。しかし、私にはお見通しだった。ぐぐっと踵をあげて、彼の頬に両手を添える。


「ほら。もっと笑って」


 少し無理やりに口角をあげた。

 彼はまさかそんなことをされるとは思っていなかったのか、一瞬動揺の色を瞳に浮かべたが、すぐさま心が解けたように肩を落とした。


「表情が硬いわよぉ~。もっと柔らかくしなきゃ」


 まるで子供をあやすように言いながら、口に当てた親指でこね回す。ヒューイは若干うざったそうに顔を背けるが、その表情はとてもにこやかだった。


「やめろよ。それ以上すると後でお仕置きだぞ」

「えぇ〜。じゃあ、もっとしちゃ〜う! そーれ! ぐりぐり~」

「ちょ! やめろって! ほら! みんな見てるってば!」


 ヒューイの顔は真っ赤だった。確かに周りを見てみると、機材を抱えたスタッフたちが汗を流しながらも、ニヤニヤとこちらを見ている。


「別にいいじゃない。見られたってなんともないわ」

「いーや、僕が恥ずかしいんだ。ほら、あそこなんて!」


 ヒューイは嬉しさと恥ずかしさが共存したような表情で奥の方へと視線を向ける。そこでは、二人組の女性スタッフが台本を片手に口を開いていた。


「しょちょー! いちゃつくのはいいですけど、本番で失敗しないでくださいねー!」


 まさに冷やかしである。他にも「ヒューヒュー!」とはやし立てる者もいれば、その先を待望するかのように顔を赤らめている者もいた。中にはあまりのイチャイチャ具合に腹を立てているものもいるが、それでも二人を見て楽しんでいる人たちの方が多いのは確かである。


 ヒューイは優しく私の手を掴むと、子供からおもちゃを取り上げるように指を離させる。そして、気を引き締めるように、スタッフたちに向かって大声を出した。


「ほらほら、みんな! もう時間がないぞ! 油売ってないで仕事だ仕事!」

「はぁ~い」


 スタッフたちは彼に従うように返事をする。だが、その声は仕方がなくといったようで、少しおちゃらけたような声だった。

 ヒューイは大きなため息をついた。


「まったく。みんな、いっつもこうだ。研究所でも何かあると君を持ち出して、僕をからかうんだよ」

「祝福してくれてるんじゃない?」

「そうなのかな。僕には楽しんでいるようにしか思えないよ」


 ヒューイは困ったように頭をさすった。

 

 そんな彼の顔が大好きであった。

 博識で研究熱心で、いつも落ち着き払っており、とてもやさしい。しかし、照れた時や困った時のなんとも言えない眉の動きが、私の心の奥にある何かをくすぐる。


 とんでもなく愛おしく感じていた。今も気丈に見えるが、心の奥では緊張している。彼の手に触れて確信した。汗でしっとりと湿っているのだ。

 

 これから彼は世紀の発表をする。ただの研究所の所長ではなく、歴史に名を刻む研究者になるのだ。

 私は少し悔しかった。一緒のステージに立てないことを。助手として最後までサポートしたかった。でも、ずっと考えていた。ちゃんと送り出してあげるのが今の私の一番の仕事だ。


「ねえ、ヒューイ」


 周りがさらに慌ただしくなっていく。私は、じっとヒューイを見つめた。


「ん? どうしたんだい?」


 最後の段取りを確認するように、ヒューイは辺りを見渡している。私の声にあまり構っていられないようだ。しかし、そんなの関係ない。

 そっと、彼の頬に手を添える。一瞬見えたヒューイの瞳。ぎょっとしていながらも、肌で感じたのか、すぐにうっとりとしたものに変わった。


 唇が触れる。

 

「がんばって。あなたは最高の研究者。そして、最高の男の人。私の誇りよ。自信をもって、胸を張って。私は見守っているから」


 ヒューイの頬から手を放し、私はニコッと微笑んだ。

 ヒューイは少しの間、黙りこくっていた。私はそんな彼を横目に見ながら舞台から離れていく。客席に通じる暗闇へと歩き出す。すると、声がした。


「ジェーン!」


 ヒューイだ。


「ありがとう!」


 ヒューイのその言葉にこくりと頷き、その場を去る。

 胸がとてもドキドキとていた。だけど、どこかとても落ち着いていた。


 まるでベッドの中で天井を見ながら好きな人を思い浮かべている時のような感覚。それがずっと心の中にあって、ぽかぽかとして暖かい。

 高鳴る胸を抑えながら進んで行く。ゆっくりと歩いていたのが、いつの間にか早歩きになる。早歩きがいつの間にか駆け足になって、気づけば関係者用の出口の前にいた。


 ここを出て、会場入り口のお嬢様たちに合流する。そして、四人でヒューイの雄姿を見届けるのだ。その後はみんなで美味しいご飯を食べて、また暗くなった遊園地で楽しく遊んで、奥様に許しをもらい、ヒューイと夜を共にする。そんな計画を頭の中で練る。考えただけで心が躍った。


 きっとナンシーはそんな私たちのことを冷やかすだろう。羨ましいとか言いながら、いつものように。それを恥ずかしながらも、二人で笑うのだ。そんな光景が自然と浮かんで来る。

 ついつい笑みを浮かべながらドアを開ける。外は涼しかった。


「あれ?」


 奇妙だった。自然な光景のはずだが、不思議に感じてしまった。

 ドームの外に立っていたアンドロイドたち。大きなスーツケースのような荷物をカートに乗せ、待機している。


 ただ彼らは荷物の運搬を任されているだけだ。アンドロイドは人間に比べて何倍も力が強いし、作業の精密性も比べ物にならないほどである。機械人形が機材の運搬をするのは、なんらおかしくはない。


 しかし、そこを通り過ぎる中、もう一度、アンドロイドたちの運ぶ荷物に目を向ける。それは確かに大きかった。そして、何か異様な熱を感じた。機械が出すような熱ではない。そこに何かがいるというような大きな存在感だった。


 だが、そんなことがあるはずがない。私は気にしないようにした。そして、そのまま歩き出した。

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