その3 『メイドのジェーン』

 遊園地は驚きの連続だったことを覚えている。あの”楽しかった”という経験は、今でも私の宝物だ。


 私とナンシーは、遊園地内を隅から隅まで駆け回った。たくさんのアトラクションに乗って、たくさん汗をかき、たくさん笑った。

 でも、一番記憶に残っているのは観覧車。広場からも見えた果物の観覧車である。あそこで私は、大人の恋愛の様を見た。とても貴重な経験だった。


「見て見て、ナンシー!」

「なになに? なに見つけたんです、お嬢さま」

「あれ!」


 ゆっくりと回る観覧車。私たちが乗るリンゴ型のゴンドラに合わせてか、天井に真っ赤に熟れたリンゴがなっている。 

 それをシャクシャクとかじりながら見下ろすのは、二人の男女。ジェーンと、研究所長のヒューイの姿であった。


――――――


 今日は記念すべき日だ。あの人の研究が認められる最高の日。


「ねぇ、ナンシー! あれ乗りたい!」

「どれどれ~? ああ! あの観覧車ですね! 行きましょ行きましょ!」


 そんな最高の日なんだけれど、いつも通り仕事はする。

 

「こら! お嬢様! 危ないので戻って来てください!」


 私はジェーン・ナシアル。

 奥様、アレクシア・グランデベルト様とそのご息女、サーシア様のメイドだ。


「私がついてるから大丈夫だって! ねっ、お嬢さまぁ〜!」

「うんっ!」


 できれば私も一緒に遊びに行きたいんだけど、私はメイド。二人にお仕えする立場だ。

 お嬢様の保護者代わりでもあるし、奥様をお守りする従者でもある。なので、ここは立場上、叱るほかなかった。


「いいじゃない、ジェーン。こんなところ連れてきてやれなかったし、偶には……ね?」


 奥様の優しい声色が心に刺さる。

 声を聴いているだけでも癒される。ヒーリング効果でもあるのではないかと思ってしまうほどだ。

 奥様がこういうのだから仕方がない。私はやれやれとため息をついた。


「はぁー……。分かりましたよ。まだ発表会が始まるまで時間がありますし、私たちは先に会場まで行ってますから。開始までにはちゃんと来てくださいね! 分かりました?」

「「はぁ~い!」」


 二人して、とてもいい返事だった。


「いってらっしゃーい! 楽しんでくるのよ〜」

「うんー!」


 奥様の声に送られて、お嬢様たちは駆け足で人ごみの中に消えていった。


「本当によかったんですか?」

「いいのいいの。いい思い出になってくれればそれで」

「まあ、そうですね」


 心配ではあった。ナンシーは出来のいい妹で、可愛げもあるが、ついついお嬢様を甘やかしすぎてしまう節がある。悪いことではないんだけど、しっかりとお嬢様のことを守ってくれるのか……私も心配しすぎなんだろうか。

 思わず頭を抱えてしまう。そんな私に向かって、奥様が言った。


「いつもありがとう。助かってるわ」

「やめてくださいよ。私は務めを果たしているだけですので」


 改めて言われると、少し恥ずかしい。


「ジェーン。これからも頼むわね」

「……はい。ありがとうございます」


 どこか意味深な表情だった。いや、考えすぎだろう。いつも通り、とても朗らかなん表情だった。

 すると、広場の向こうから馬車がやってきた。


 二頭の馬に引っ張られた王冠のような形の馬車だ。まるで子供が乗るような遊び心たっぷりのものだが、太陽に照らされ光り輝くその姿はどこか高貴さを感じられる。


 遠く離れた発表会場までの足だろう。だが、それに乗るのは奥様だけだった。


「でも、あなたも時には楽しまなきゃ」


 奥様は、コツコツとヒールを鳴らして歩き始める。


「ちょ、ちょっと! 奥様!?」


 蹄の音が止む。馬車が止まった。

 彼女は馬車の運転手をチラリと見ると、まるで「よろしく」と言うように微笑み、そのまま乗り込んだ。そしてチラリと顔を出し、私に向かってひらひらと手を振る。


「今日ぐらいは羽を伸ばしなさい! 私は先に行ってるから! 時間まで、そこのカレシさんとデートでもしてきなさいな」


 少女のような笑みを浮かべながら彼女は馬車の中に戻っていく。


「……そこの、カレシ?」


 遠くなっていく馬車の姿。その時だった。右肩に誰かの手が触れた。


「ひゃっ!?」


 あまりの驚きで足がもつれた。まるで誰かに突き飛ばされたかのような感覚。地面に倒れ込む。だけどその瞬間、私の体は彼に抱き寄せられた。


「ごめんごめん! びっくりさせようとは思ってなかったんだけど」


 彼は長身だった。顔はシュッとしており、黒の短髪がとても似合っている。目は黒く、とても優しい。口元には小さなほくろがあり、それが何ともセクシーである。

 肌は真っ白で、全く日焼けのあとがない。だけど、室内で鍛えているからだろう。その腕や足は筋肉質で、身につけた白衣はパツパツである。


「ヒューイ!」


 私は恥ずかしげもなく、彼に抱き着いた。


「おっとっと! 大丈夫かい? 足とかくじいてないか?」

「ええ、大丈夫! あなたのお陰で助かったわ」

「そりゃあ良かった」


 ヒューイはニコッと爽やかに笑うと、私の体を持ち上げ、きちんと地面に立たせた。


「今日は来てくれてありがとう。会いたかったよ」

「こっちこそ! あなたが呼んでくれたんでしょ? 所長さん」

「たはは……。まあね」


 顔を赤くしながら頭を摩る。ヒューイは恥ずかしそうにそう言った。

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