嫌われ用務員令息は、愛され男装令嬢に困惑中
橘都
※「嫌われ用務員令息と愛され男装令嬢が、恋に落ちたなら」を先にお読みください
【簡単な登場人物紹介】
彼=国立学園で多くの生徒に嫌われてしまった男子生徒。奨学金制度の一環で、学園の用務員の仕事を手伝っている。手伝いという立場だが、一人前の用務員さんと遜色ない仕事ぶり。
彼女=国立学園で多くの生徒に愛されている女子生徒。男装を常にしていが、男だと偽っているわけではない。男装している理由を多くの生徒は知っている。
リティと名乗っているが本名ではない。
エイラット=嫌われ令息の幼馴染の侯爵家令息。幼馴染を大事に思っている。
セイラ=愛され令嬢を慕う侯爵家令嬢。嫌われ令息が嫌われる原因の一つを作ってしまって後悔している。
**********
あと数か月で十一歳になる少年には、可愛い可愛い妹がいる。
「おにいさま! お花をつんできました!」
満面の笑みの可愛い妹は、寝台に寝たままの少年のもとへ花で両手が塞ったまま駆けてくる。
「危ないよ。走ってはいけない」
妹のお転婆に怒りたいところだが、なにをしても可愛らしい妹には少年も自然と笑顔になってしまう。
「ごめんなさい、おにいさま」
今度はずいぶんと慎重に歩いてくる妹に吹き出し笑いそうになりながら、妹の背後の申し訳なさそうな表情の幾人かの侍女たちにうなずいた。軽く上半身を寝台から起こし、妹がすぐそばまで来るのを見守る。
「庭園まで行っていたのかい?」
「はい。庭師と侍女たちにお花の種類を教えてもらいました。香りが強くないものを選んだのです。どうですか?」
少年は鼻から大きく息を吸い込んだ。
「うん、いいね。とても爽やかな気持ちになる」
ぱあっと妹が笑みを大きくする。
「ありがとう」
そう礼を言えば、妹は本当に嬉しそうに全身で表現する。兄に抱きつきたいけど両手に花を持っているからできなくてウロウロと身動きし、兄が喜んでくれた嬉しさで体が上下に跳ねている。
「ほら、花瓶を持ってきてくれたよ。そこに生けるといい」
侍女の一人が持っている花瓶へと促し、妹が一生懸命に綺麗に生けようとしているのを少年は見つめていた。
もうすぐ、この可愛い妹の姿も見られなくなる。
あと、どれくらい。
あとどれくらい、一緒に過ごせるのだろう。
可愛い声をあげながら、花の配置を何度もやり直しをしている、この愛しい妹と。
少年はなにかに願った。
大切な妹と、愛する家族が、この先も幸せでありますように。
少年はなにかに祈った。
せめて、この地を離れるときには、皆が悲しみませんように。
いや、悲しんでほしい。
自分がここにいたという証に、悼んでほしい。
少年は込み上げてくるものを飲み込み、妹から目を逸らした。侍女が手渡してくれるタオルを顔に押し当て、声を殺す。
ああ、幸せだ。
皆が心配してくれる。可愛い声を出していた妹も、いまはこの兄の様子をうかがって息を潜めている。
「あとで、父上と母上にも、見てもらおうね」
なんとか声を出すと、
「はい、おにいさま」
気丈に明るい声を出す妹の声が聞こえた。
こんなに幼いのに、気遣わせてごめんね。
どうか、みんな、しあわせに。
「入学生代表、リティ・エルハディン」
「はい」
国立学園の入学式は、滞りなく行われていた。
入学生代表挨拶は、入学前試験の成績上位者の中から選ばれる。ただ試験結果がよかっただけでは選ばれない。社交界での影響力も考慮される。家柄も重要だが、家格よりも生徒本人がどのくらい社会で力を発揮してきたかを判断される。国内有力貴族ではなくても、数年の間に急成長を遂げた郷士の出身者や、大商会の実家で幼き頃から商品開発や事業に携わった者も入学生で代表挨拶をしてきた歴史がある。
十一歳から十四歳の間に入学資格のあるこの学園では、毎年定員があり、今年度はここ数年で最も希望倍率の高い学年だった。数年前から情報合戦は熾烈を極め、今年度は、定員に入ろうとする受験生たちの血と汗と涙が文字通り飛ぶような努力の成果で、稀に見る高得点率だった。
その理由は、名を呼ばれて登壇したこの一生徒にあった。
見た目は極上の美少年だ。
真新しい男子学生服姿は凛々しく、短い頭髪も清々しく、瞳は聡明にきらめいている。
その生徒が口を開いて、入学生徒代表挨拶をし始めると、ほんのわずかに来賓や生徒たちからざわりと声が上がるが、彼らが発した声が全体人数からみれば少数であると悟ると、小さなざわめきはすぐに収まった。
登壇の男子学生服を着た生徒の声が、明らかに女性のものであり、話し方も端的ではあるが男に寄せたものではなく目を閉じて聞けば女生徒だとわかるからだった。
そして、彼女が男装した少女であると多くの人が知っているのだと、会場の雰囲気でわかったからだ。
彼女を知らなかった人々は後悔する。
なぜ、これまで彼女を知らなかったのかと。
そして、これから彼女を知る。
彼女の過去と、本名を名乗らない理由を。
彼女は、現在学園の談話室の一室で二人の少年の前でわずかにほほえんでいた。
彼女の隣には、小柄な少女が座っていて、まるで小動物が怯えるように縮こまっていた。
国立学園の談話室は、昼食休憩時間や放課後、休日などに気軽に利用できる係員付きの休憩室で、生徒が親類と面会するときにも使用される。予約制で、軽食と飲み物を事前申請にて選択できる。
紅茶と軽食がすでに生徒たちの間の円卓に並べられ、今回の利用でやってきた女性係員は控えめに部屋の隅の椅子に座っている。生徒たちだけの利用で羽目を外さないようにとの措置だ。
談話室の席には、男子学生服姿が三人。女子学制服姿が一人。だが、この生徒たちの割合は、男子生徒が二人と、女生徒が二人だ。
侯爵家令息エイラットは、にこやかに少女たちに対峙していた。隣に座る幼馴染はもうすでに気持ちは席を立ちたがっているのがわかるが、彼らは座ったばかりだ。エイラットは自分の前に置かれた、少し時間が経って冷めかけている紅茶を飲んだ。未だ他の三人は口をつけていない。
「まあ、まずはお茶を飲まれてはどうかな。こちらは、そちらからの要望でやってきただけだからね。話したいことがあるなら、気持ちが落ち着いてからにするといい」
優しげな声音で対角に座る小柄なほうの少女に声をかけるが、言葉の内容は結構相手を突き放している。こちらからは話題はないと言外に言ったつもりだ。さて、どうするのかな。小柄な侯爵家令嬢は少し下を向いたまま、目の前の相手ではなく、チラリとこちらを見てくるが気づかなかったふりをした。
「あなたも、あえてこういう席を設けるとは。誰も得をしないと思うけどね」
今度は目の前に座る男装の少女に言う。
エイラットは彼女らが嫌いなわけではない。どちらかといえば、学園の嫌われ者の噂を放ったままにしている隣の幼馴染に対して怒っていると言ってもいい。
「セイラが気にしているから、一度お詫びをする機会がほしくてね。受けてくれたのは、ありがたく思っている」
彼女は、男だと自分を偽っているわけでも、周囲を男だと騙しているわけでもない。ただ、女らしく振る舞ってはいないため、一見は美少年、彼女を女だと知る者には中性的な美女に見える。
彼女の美を讃えるなら、可愛いとか綺麗とかの形容ではなく、ただただ「美人」の一言となる。髪は他の男子生徒よりも短いくらいで化粧っ気は皆無、少女から女性へと移り変わる年齢と、中世的で美少年のような狭間の色気もあって、学園の生徒たちから絶大なる好感度の高さがある。
「この幼馴染が受けたわけじゃないけど、まあねえ、そのままってのも後味が悪いかなと思ってね。俺が一緒に行くからと言ったら、どっちでもいいって答えだったから連れてきたんだ。ただ、このあとこいつには用務の仕事があるから、早めに終わってくれるといいかな」
気持ちが落ち着いてからと言いながら早くしろとは、意地悪だったかな?
なにしろ、自分たちは誰も自己紹介すらしていない。行動権は未だ発言していない小柄な侯爵家令嬢のほうにあるからだ。
発言していないもう一人、エイラットの幼馴染は単に無口なだけ。無精に伸びてしまった前髪で顔が隠れているので、誰からも彼の感情はうかがえないだろうが、エイラットはなんとなく幼馴染の感情はわかる。もう体が椅子の背もたれから随分と離れてきているので、離席する寸前。早くしてくれセイラちゃん。
「あ、あの、わたくし、セイラと、申します。この度は、あなたに、大変なるご迷惑をお掛けしたこと、お詫び申し上げたく、このような席を設けさせていただきました。あの、あの、本当に、申し訳ございませんでした!」
事前に、エイラットから幼馴染にそれとなく話をしてあった。人前で幼馴染を忌避する発言をしてしまったこの少女のせいで、学園内でさらに嫌われてしまった可能性があると。可能性ではなく、はっきりとした原因の一つではあるが、そこはこの少女を庇い立てした。少女本人に悪気があったわけではない情状酌量だ。悪気のない迷惑行為は許されない場合もあるが、なにせこの幼馴染自身が嫌われていることを気にしていないので、エイラットが罰を下すわけにもいかない。
がばりと音が聞こえるほど座ったまま勢いよく頭を下げた行為は、淑女としては失格かもしれないが、一人の人間の謝罪としては好感が持てた。
ただし、幼馴染の反応は短かった。
「わかった」
一言。
次の瞬間にはもう立ち上がり、談話室を出て行ってしまった。
その行動の音が聞こえたからか、少女は身を起こすと呆然と幼馴染が出ていった扉を見つめていた。もう涙目だ。すぐ泣くな、この子は。
溜め息をついたエイラットは、少女を慰めることにした。本格的に泣かれてはかなわない。
「謝罪は受け入れたってことだよ。悪いね、ぶっきらぼうなやつだから。この席に来たってことだけでも御の字だから。本当のあいつは、こんなんじゃなかったんだけど。いろんな生徒から、嫌われて、避けられて、言い繕うのも、自分を改めるのも、ぜーんぶ、面倒になったみたいでさ。もうあいつのことは気にしないで、ほっといてやって」
ぷるぷると震えながら縮こまってこちらを涙目で見る少女は、すがるような目をしていた。
俺をそんな目で見ないでくれよ。どうにもできないって。
「なんだか、お見合いの席の破局みたいだね」
席を設けたあんたが言うな。
隣の少女を慰めるように頭を撫でている男装令嬢に心で文句を言う。
「ほ、ほっとけません! やっぱり、どうにかすべきだと思います! わたくしが言ってはいけないのかもしれませんが! でも、でも、人に嫌われるって、悲しいことだと思うのです」
うん、そのことに早く気づいて欲しかったかな。
「まあとにかく、ちょっと見守っててやってよ。いまのあいつは偏屈じじいみたいだけど、なにかを強要されるのは好まないよ。あいつが嫌われたままでいるのを俺だって変えてやりたいけど、あいつの気持ちが変わらない限り、協力はできない。ごめんね」
「いいえ」
持っていたハンカチでこぼれ落ちそうな涙を拭いながら、少女が小さく答える。
いい子なんだよな。なんでこうなったんだか。
拗れてしまった幼馴染の対人関係に、あいつが笑ったのをいつから見てないんないんだっけとエイラットは嘆息した。
彼は、彼女のことをあまり知らない。
辺境の領地から学園入学まで王都に来たことがなかったために、社交界での彼女の噂を聞いたこともなかった。多少幼馴染の侯爵家令息エイラットから噂程度の話を聞き流した程度だ。
学園の同期学生だけど、最年少入学した彼女より入学制限年齢ぎりぎりで入った自分のほうが年上で、発育がいいのか年齢よりも大人びていて、とてもとても……
まだ十二歳には、とても見えない。
学園の礼拝堂の硝子絵修復は終わりかけていたが、あれから早朝の同じ時間にやってくるようになった女装の少女は、いつもよりも幼く見える。
彼は礼拝堂の一席に座る少女を見ないように努めながら、最後の修復をなんとか終えた。慎重に梯子を降り、一息つく。
「お疲れさまでした」
「ああ」
少女の存在を気にしないようにしていたのに、つい返事をしてしまう。
「綺麗だね。あのキラキラした黒色、使ったんだね」
「もったいなからな」
「うん」
言葉も、なぜだか幼く聞こえる。
実際、ここにいるのは、一人の少女。
男装していない、兄の代わりでもない、ただの女の子。
突き放そうとした。
無視しようとした。
それでも気にせず声をかけてくる少女に絆されたわけじゃない。
つい、返事をしているだけだ。
短い髪を隠す長い同色の鬘をつけている少女は簡素な女装なのに美少女だった。それは彼も認める事実だ。
あまり彼女を正視できないのは、伸びすぎた前髪のせいで見えないだけだ。
「もう、帰るの?」
「そうだな」
そう言いながら、片付けの手が遅いことには自分で気づいていた。
溜め息をついて顔を上げ、しゃがんでいた体勢から立ち上がり、彼女のほうへと歩き出す。
少女が目を見張ったのがわかるが、彼女の横を素通りし、一列挟んだ彼女の後ろ辺りの席にあえて座る。
「出来上がりを、確認しないと」
近くまで来た言い訳のようにつぶやいた。
「そうだね。でも、ちゃんと綺麗になったと思うよ」
「ああ」
会話じゃない。つい返事をしているだけだ。
用務の仕事は嫌いじゃない。むしろ好きだった。
細かい作業をコツコツとすることは苦じゃないし、誰からも認められなくても、こんなふうに仕事の成果が形になったのを見るのが好きだ。
だから、褒められることには慣れていない。
ぶっきらぼうなのは自覚している。
この少女が自分を嫌わないのが不思議なほどだ。
好意を向けられているのはわかっている。
だけど、その好意の種類がわからず、反応にも困る。
たくさんの人に嫌われている自分に向けられている、このたった一つの好意が、気持ちを落ち着かないものにしていた。
むず痒くて、喉奥で呻きたくなって、溜め息もいつの間にかついている。
彼女は後ろを向いてはこなかった。
そのあとは、二人、同じように、絵硝子を見上げていた。
**********
お読みくださりありがとうございます。
ちょこちょこと、時間ができたら続きを書こうかと思うので、短編での投稿になっております。
完結の目処が立ったらまとめるかと思います。
読みづらくて申し訳ありません。
続きの投稿時期はまったくの未定ですが、遅いかと。書けたらです。
嫌われ用務員令息は、愛され男装令嬢に困惑中 橘都 @naokit
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