第12話 遭遇
七歳になった。
当初の目標通り、剣術はミーシャを圧倒できるようになり、魔術も水属性、火属性、光属性、闇属性は中級に、さらにキアラのレクチャーのおかげで土属性と風属性は上級に到達することができた。
これで、一般的な一流の魔術師の資格は得たことになる。
ただし、無属性の魔術は未だに初級の域を出ない。
無属性の下級は自分の肉体を強化する系統の魔術らしいが、こちらの習得は難航している。
剣術にも魔術と同じく等級があり、名前も全く同じである。
中級のミーシャを倒せるレベルにまで到達したので、今のオレは剣術も中級以上というわけだ。
中級の次は上級……といきたいところなのだが、ミーシャとヘレナの実力は中級。上級を教えるには力不足だ。
そこでいよいよ、学校に通うことになる。
剣術や魔術を教えるだけなら実力のある家庭教師を雇えばいいだけの話なのだが、同年代の子供たちとの交流も必要だろうと考えたヘレナたちの判断である。
オレの受験に伴って、受験の数日前から陛下より賜った王都の屋敷に滞在している。
オレ一人だけなら、『高速移動』の能力と無尽蔵のスタミナのおかげで往復で半日もかからないのだが、入学試験のときだけはヘレナもついて行きたいと言っていたので、王都まで一緒に馬車で来た。
この家に来たのは初めてではないが、いまだに前世の常識が頭の中に色濃く残っているオレからしてみれば、この馬鹿でかい家に気圧されてしまうのは無理のないことだと思う。
無事入学試験に合格すれば、自立の訓練も兼ねてこの王都の屋敷に住むことになる。
こちらに一緒に住むことになるのは、オレが信用している使用人数名とカタリナ、そしてキアラだけだ。
「親の監視の目から逃れたラルくんと一緒に、ただれた新生活……うふふ」
そんなことを口走りながらキアラがめちゃくちゃニヤけていたが、ただれた生活なんてしないからな。うん。
まあ、ヘレナやミーシャの目が無くなったらやりたいことも色々あるので、新生活を楽しみにしているのは事実だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして、あっという間に受験当日になった。
出発直前に、忘れ物などがないかしっかりと確認する。
筆記用具はともかく身分証を忘れたら事なので、誰も手出しできない亜空間に収納しておいた。
「いってらっしゃいませ、ラルさま!」
「うん。行ってきます」
満面の笑みを浮かべながら、カタリナがきつね色の尻尾を振っている。
カタリナは出会った時と比べて、だいぶ自然に笑うようになった。
残念ながら戦闘の適正は無かったが、家事全般のレベルは既にその辺の使用人よりも高い。
いい仕事先を見つけられれば、将来も問題なく生活していくことができるだろう。
「ラルならきっと大丈夫よ。自分の力を信じて頑張って!」
「はい、母様!」
ヘレナにもいままで本当にお世話になった。
これからは会うことも減ってしまうだろうが、一回一回の機会を大切にしていきたい。
カタリナとヘレナの言葉で少し緊張が解れていくのを感じながら、オレは家を出発した。
……とはいえ、やはり緊張するものは緊張するわけで。
オレは試験会場へと続いている王都の大通りを、今にも死にそうな顔をしながら歩いていた。
「ラルくん大丈夫? 顔色悪いよ?」
「だ、大丈夫」
キアラに心配されて反射的に答えてしまったが、あまり大丈夫ではない。
何せ、この世界に来てから初めての受験なのだ。
緊張していないと言えば嘘になる。
というかぶっちゃけ、ものすごく緊張している。
誰か助けて。
「大丈夫だよ。そもそもラルくんが落ちたら、他に誰も合格なんてできないし」
「さすがにそれはないだろ」
オレのことを買い被り過ぎだ。
しかしキアラはオレの正面に回ると、大真面目な顔で、
「いやいや、ラルくんは間違いなく主席になるからね。そんなラルくんが不合格なら、今年の入学者はゼロ人という前代未聞の事態が起こるよ」
「それこそありえねえよ」
「でしょ? だから、ラルくんが不合格なんて絶対ないよ」
キアラは微笑みながら、両手でオレの手を握った。
あたたかくて、とても柔らかい手が、オレの手のひらを包み込む。
安心できるぬくもりだった。
……絶対に合格しないといけないな。
キアラにここまで励まされて、不合格なんて格好悪すぎる。
「ありがとうキアラ。オレ、頑張るよ」
なぜかキアラの顔を直視することができない。
少し顔が熱い気もするが、きっと気のせいだ。
そうに決まってる。
オレの言葉を咀嚼したキアラは、
「キャー!! 私の言葉で照れてるラルくんかわいいかわいいかわいいいい!!」
めちゃくちゃ悶えていた。
「うっせー黙れ! 人が珍しく真剣に感謝してたってのによぉ!!」
「え!? じゃあ感謝の気持ちを込めて私にチューしてよ!」
「しねえよバカ!」
「バカって言われた!? バカって言うほうがバカなんだからね! このバカ!」
「その主張に基づくと、キアラもバカってことに……」
というかなんだこの会話。小学生かよ。
お互い見た目は小学生で通りそうだけど。
「あれ?」
キアラからすぐに何らかの反応が返ってくると思っていたのだが、一向にその気配がなかった。
「キアラさーん?」
キアラの目を見て、様子がおかしいことに気付いた。
焦点が合っていない。
目の前でぶんぶんと手を振ってみても、何の反応も示さない。
ただ、目の前にある道のずっと先の方を見つめているように見える。
「キアラ?」
「え? あ、ああ。ごめん。ちょっとボーっとしてた」
「びっくりした。どうしたんだよ、大丈夫か?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。……それよりラルくん、ちょっと寄り道して行かない?」
「寄り道って、そんなことしてるほど時間に余裕はないんだけど。というか、何でそんなこと急に言い出したんだ?」
「それは……」
オレがそう問いかけると、困ったような表情を浮かべながら、キアラは俯いた。
まるで話すのを渋っているように見える。
が、やがて顔を上げた。
「この道の先に、危ない人がいるの。だからね、その人と接触しないで試験会場までたどり着きたいんだよね」
「うーん、でもなあ……」
目の前の大通りを避けていくとなると、大きく迂回して行くルートしかない。
時間に余裕を持って受験会場へ向かっているとはいえ、そちらの道を選んでしまったらおそらく遅刻してしまう。
「わかった。じゃあ私はあっちの道を通って会場まで行くから、一旦ここで別れよう。ラルくんだけなら多分大丈夫だから、先に一人で行ってて」
「え? でも」
今まで、キアラのほうからオレから離れたいなんて言い出すことは一度もなかった。
これははっきりとした異常事態だ。
本当にオレ一人で大丈夫なのか?
あのキアラが危険視するような奴だぞ?
……いや、でもキアラの言う通り遠回りして行ったら、試験の開始時間に間に合わないかもしれない。
それに、キアラがおそらく大丈夫だと言っているのだ。
その言葉を信じよう。
「お願い、ラルくん」
「……わかった」
キアラの真剣な表情を見て、そう答えるしかなかった。
彼女が裏路地に入っていったのを確認したオレは、周囲を見回しながら再び足を進める。
念のため、不審者の確認だけはしておきたかった。
キアラが言っていた『危ない人』。
それがこの近くにいるはすなのだ。
だが、それがどいつなのかわからない。
大通りには数十人単位の人間たちがひしめき合っている。
顔も名前も特徴も、性別すらもわかっていない相手を探すことなど不可能のように思えた。
こんなことなら、キアラからそいつの特徴をもう少し詳しく聞いておけばよかったな。
「――あなたは、知りませんか?」
「え?」
いつの間にか、オレの目の前に女が立っていた。
いや、正確に言えばいつの間にかそこにいたわけではない。
その姿は、先ほどからずっと視界に入っていた。
先ほどまでは、その姿に特に違和感もなかった。
「――っ!?」
なかったはずなのに、今オレの目の前にいるそいつは、明らかに異常だった。
赤い服を身に纏った女だ。
闇のように黒い髪と、病的なまでに青白い肌。
その異様なほどに長い髪の毛と服の先端が、彼女が一歩歩くたびに地面を擦っている。
長い髪と髪の間から、大きな両目がこちらを覗いていた。
「あなたは、知りませんか?」
再び、同じ声のトーンで同じ質問を繰り返す女。はっきり言って不気味だ。
「な、何をですか?」
「見つからないんですよ。どこを探しても見つからない。どれだけ探しても見つからない。何回死んでも、死んでも死んでも死んでも死んでも見つからない」
女はブツブツと同じような言葉を吐き続けている。
ただひたすら不気味だった。
見る者すべてに嫌悪感を湧き立たせるであろう、その立ち姿。
間違いない。
こいつだ。
こいつが、キアラが言っていた危ない奴だ。
「ああ見つからない。見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない」
「な、何が見つからないんですか?」
オレがそんな問いを発した瞬間。
ぎょろり、と。
女の双眸が、オレの姿を捉えた。
「あなたは知りませんかね? これくらいの大きさの真っ赤な棺(ひつぎ)を」
「……棺?」
「ええ、棺です。主に人間の死体を入れて火葬や土葬などをするために使用されますね」
女が大仰な動作で示したそれの大きさは、一般的な棺のサイズと大差ないように思える。
だがもちろん、そんなものに見覚えなどあるはずもない。
「……いや、見たことないですね」
「そうですか。残念です」
女は特に気落ちした様子もなく、虚空を見つめている。
その焦点はどう見ても合っていなかった。
「ところで、あなたはこれからどこへ行くのですか?」
ぞわり、と。
全身の鳥肌が立ったような錯覚を覚えた。
目の前の女に認識されているというだけで、耐えがたいほどの嫌悪感を感じる。
「に、入学試験があるので、その会場に向かっている途中です」
「入学試験、ですか。なるほどなるほど。あなたは今日という日のために、今までずっとたゆまぬ努力を続けてこられたのでしょうね。とても素晴らしいことです」
女はゆっくりと頷きながら、心の底から感心したような声を漏らす。
ここまで褒められても嬉しくない相手も珍しい。
「そうですかね? ありがとうございます」
視界に入れたくない。
声を聴きたくない。
存在そのものが許容できない。
吐き気を抑えるのが精一杯。
目の前で女に応対しながらも、オレの脳内はそんな言葉で埋め尽くされていた。
こいつはいったい何なんだ?
何か、人に嫌悪感を覚えさせる能力でも持っているのか?
……確かめてみるか。
オレは愛想笑いを浮かべて無難な返事をしながら、こっそりと『能力解析』の能力を発動させた。
人間族 合成魔獣(キメラ)
大罪『憤怒』
ステータスが確認できない。
最初に『能力解析』でステータスを見せてもらったキアラを除くと、こんなことは初めてだ。
こいつは、ヤバい。
「こら」
「――っ!?」
「他人の個人情報を勝手に盗み見る。そんなこと、絶対にやってはいけません。お母さんやお父さんから教わらなかったのですか?」
女が目の前に立っていた。
腕を組み、不快げに眉を寄せている。
数瞬遅れて、怒っているのだと理解した。
「え、あ、ご、ごめんなさい」
――――間違いなく、『能力解析』を使ったのがバレている。
何故だ?
そんなことが起こり得るのか?
「もう二度とやってはいけませんよ。次やったら怒りますからね」
歪(いびつ)だった。
これ以上ないほどに歪んでいた。
その姿は、まるで母親のようでもあり、化物のようでもあり、汚泥のようでもある。
とにかくこの場から離れたくて、オレは思わず口を開いていた。
「ごめんなさい。試験があるので僕はもう行きますね」
「ああ、呼び止めてしまってごめんなさいね。いってらっしゃい。頑張ってね」
笑顔でオレのことを見送る女。
女の言葉に愛想笑いで返しながら、悟られないように、でも若干速足でその場を離れる。
しばらくしてから後ろを振り向くと、遠くのほうからこちらを見ている女の姿が視界に映った。
すぐに回れ右をして、試験会場の方へと向かった。
試験会場の付近に着き、女の姿が完全に見えなくなったところで、オレは息を吐く。
「王都にあんなヤバそうな奴がうろついてるなんてな……。一度ヘレナに言いに戻ったほうがいいか?」
あれは明らかに異常だった。
まともな人間ではない。
というか、『能力解析』の結果を信じるなら、あれは人間で、かつ合成魔獣(キメラ)ということになる。
意味がよくわからないので、さすがに誤表示だと思うのだが……。
「そうだね、試験が終わったらヘレナさんに報告したほうがいいと思う。……大罪の魔術師、『憤怒(ふんぬ)』っていう情報は伏せて、ね」
オレが独り言を呟いていると、どこからともなくキアラが湧いてきた。
突然現れるこの人にも、もうさすがに慣れた。
「キアラ、大罪の『憤怒(ふんぬ)』って何なんだ? それに大罪の魔術師っていうのは?」
「ラルくん最近、私が急に出てきても全然動じなくなってきたよね……まあいいけど」
キアラはオレのリアクションの薄さに少し残念そうな顔をしながらも、説明してくれた。
「大罪の魔術師っていうのは、この世界で最も強力な力を持つとされている七人の魔術師たちの総称だよ。それぞれが、『色欲(しきよく)』、『傲慢(ごうまん)』、『憤怒(ふんぬ)』、『嫉妬(しっと)』、『暴食(ぼうしょく)』、『怠惰(たいだ)』、『強欲(ごうよく)』の名前を冠してるの」
「ああ、七つの大罪か」
前世でも聞いたことがある。
中学二年生にとっては、なじみの深いワードだろう。
しかし、そういったものが異世界にあるということは、こちらの世界も前世と何やら関係がありそうな気がするな。
まあ、今はそれはいいか。
「『能力解析』を使って、『大罪』って出てきた奴とは関わらないで。できるだけ相手を刺激しないようにして逃げて」
「ということは、さっきのオレの対応は間違ってなかったってことだよな?」
「うん、あれで大正解。特に『憤怒(ふんぬ)』は相手の心を読めるから、ラルくんと別れるときはあえて何も言わなかったんだよ」
なるほど、そういうことだったのか。
……あれ。
ということは、オレが散々気持ち悪いと思っていたことは相手に筒抜けだったということか。
なにそれこわい。
「でも、オレなら戦いになっても大丈夫なんじゃないのか? ほら、防御力異常に高いし」
「……命を奪わなくても、人間を冒涜する方法なんていくらでもあるってことを、ラルくんには覚えておいてほしいな」
「どういう意味だよ、それ」
「とにかく! 大罪の魔術師を見かけたら戦おうなんてせずに逃げること! わかった!?」
「お、おう。わかったよ」
最終的にキアラに押し切られる形となってしまい、オレは少しもやもやしたものを抱えたまま試験会場へ入るのだった。
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